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   Edward Hallett Carr の売れ筋最新ランキング   [2008年10月07日 20時11分]
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通常24時間以内に発送
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カスタマーレビュー数:3

くちコミ情報
賛否両論の書籍
 国際政治学における古典中の古典である『危機の20年』を、イギリスの著名な国際政治学者M・コックスの序文付きで再販したものが同書である。内容は46年に出版された「第2版」に基づいている。39年に出版された「第1版」に基づいて同書を訳してくれたならば、「削除・変更された箇所」も含め、カーの認識した「リアルな戦間期の危機」を理解できた筈なので、それが若干残念ではある(後年、彼が認めた様に『危機の20年』は、戦間期の時代背景に強く影響されて書かれている)。  古典の再販のため、既に同書を改めて買う必要は無いのかも知れない。しかし、コックスの「序文」を読むだけでも買う価値はある。なぜなら彼は、00年前後までの研究史、そしてイギリス・バーミンガム大学所蔵の「E・H・カー文書」を用いることによって、国際政治学におけるカーの評価の「知的漂流」を丁寧に描いているからである。加えて、日本においては一般にあまりなじみのない第2版での彼による「自己検閲」を、コックスが改めて取り上げているのも興味深い。  しかし、我々はどうしてこうもE・H・カーに惹かれるのだろうか。実に多くの研究者達が、カーを分析の対象としている。39年〜40年にかけての「理想主義者」達、40年代から50年代にかけてのモーゲンソーやトンプソン、50年代〜60年代にかけての「英国学派」、それぞれの立場に基づいた幾分厳しいカーに対する批判、80年代から90年代、そして現在においてもおこなわれている「非リアリスト」的側面の再評価、そして、本書が出版された00年前後に頂点を迎える「カー・リヴァイアル」。これらが示すことは、国際政治学の分野から、何時の時代においても彼と同書が忘れられなかったという事実だろう。  約70年という歴史の厳しい試練に耐え、今でも我々の興味を惹く『危機の20年』。国際政治学を勉強する1人の学徒として、いつまでも同書から学び、同書を模範とし、そして同書を批判的に捉えていきたいものである。
リアルな「リアリズム」
一般に、カーはモーゲンソーとともにリアリズムの始祖と位置づけられている人物である。 しかし後のネオ・リアリストと呼ばれる人々の言説を想像して本書を読んでみると、まったく印象が異なることに驚かされることと思う。 現在の「リアリズム」と呼ばれる国際政治上の理論、ないし態度は、アナーキーな環境下においては国家間の衝突が不可避であるという前提のもとに立っている。従って、自然とその姿勢は悲観的であり、協調の可能性を過小評価する傾向がある。 しかしカーは、あまりにも理想的に過ぎて現実から乖離してしまった思想を非難する一方で、あまりにも悲観的に過ぎる思考をも非難しているのである。この点が、カーが凡百の自称「リアリスト」と一線を画している由縁であろう。 p 翻ってわが国で「保守」と呼ばれる人々は「現実を見ろ」という言葉を好んで用いる。しかし彼らの言う「現実」とは何であろうか。 確かに空想的なまでの平和主義は不毛であるし、危険でさえある。その一方で、何らかの危機的状況が発生したときに、それを平和的に解決しうる可能性やヴィジョンを軽視してしまうような過剰に懐疑的な態度も、結局は同根なのではないだろうか。 たとえば現在の中国との摩擦について考えてみるならば、信頼醸成措置や軍縮のような努力を「奇麗事」として一蹴し、ひたすら強硬策をとることを「現実的」と見る向きがある。しかしそのような態度は過度に悲観的な前提に立っているという点で「リアル」な思考とは言えない。 p カーの思考は、こうした楽観や悲観を徹底して廃したところに立脚している。そこにあるのは豊富な学識と高い知性に裏打ちされた冷徹な「客観」であり、それこそが「リアリズム」と呼ばれるべきものであろうと思う。
物事を見る態度
本書は一般に国際関係論におけるリアリズムの始祖に位置づけられているようですが、実際に読んで見るとそうしたラベルがあまりしっくりこないと感じるのはおそらくレヴュアーだけではないと思います。近年カーの再評価が進められている(評伝としてJonathan Haslam, "Vices of Integ ity: E.H.Ca 1892-1982"、研究書としてCha les Jones, "E.H.Ca and Inte antional Relations: A Duty to Lie"、Michael Cox, "E.H.Ca : A C itical Reapp aisal"など)のは、この脱歴史化された書を再び自由な視点からの解釈へと返そうということかと思います。 p しかし、そうした研究動向やその評価の如何は別としても、同じくカーの『歴史とは何か』と並んで、本書は、国際政治や歴史に関してどうこうという以上に、社会的な物事一般に関する批判的精神の一つの在り方に触れることのできる名著でしょう。 p なお、この新版ではMichael Coxによる序文がつけ加えられていて、それがなかなか長く質的にも良いものですので、既に旧版・翻訳を読まれた方も、この序文のためだけに改めて新版を購入して無駄ということはないかと思います。



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くちコミ情報
「いまを生きる」ための戦略的技術としての歴史研究・歴史学習
 E.H.カーの著作で、日本でとても有名な著作。自分も高校生の時に買って、何度も挑戦してはわかりにくくて放棄し、また読んでの繰り返しだった1冊。  今改めて読み返してみると、歴史の持つ個人的効用、社会的効用がわかり始めたような気がする。「歴史は現在と過去の対話である」という言葉がここではとても印象的に使われているが、じゃあなぜそんな対話をする必要性があるのか。  今の社会で広範に流布している風潮は「いまを生きよう」や、「二度とないこの瞬間を大事に生きていこう」といったものが有力に見えて、そこには歴史を学ぶ必要性・必然性は欠落しているし、歴史への意識はかえっていまを生きる上で邪魔な障害物でしかないように思わせる。じゃあなぜ、歴史を学ぶ必要があるのか。  それは、いまを生きるときの「いま」は歴史的に構築されたもので、何らかの勢力が特定の意図の下で設計した結果として「いま」が「あるがまま」にあるという事実を、歴史は学ぶ者に教えてくれるからだ。この議論は本書の中に収録されている。そのことこそが歴史を学ぶべき最大の理由なのだと思う。毎日毎日、毎週毎週、毎年毎年「いまを生きる」ばかりでは、自分たちがいる位置について知ることは出来ないし、自分たちを取り囲んでいる諸々の制度の仕組みについても知ることが出来ない。「いまを生きる」精神を要求しているのは、例えば今の産業システムであり、それを前面に立って支えているマスメディア産業であり広告産業であり、そこでは物事のもつ歴史性を隠蔽し、また歴史自体を商品にすることによって人々を永遠に「いまを生きる」状態にとどめようとする傾向をもつ。そんな状態を食い止めるのが、現状の持つ問題性を明らかにする戦略としての歴史研究だ。  そういう風に考えれば歴史研究は実はとても過激なインパクトを齎すことの出来る分野でもあり、普通に生きている人々にとっても「いまを生きる」際の基本的なリテラシーともなり得る。この著作は、そんな視点からの読解にも耐えうる、中身の濃い1冊です。
「主観」という言葉のひびきが悪いものであるかのような誤解をとく
 大学では西洋史を専攻した私。史学科の課題図書の筆頭はこのE.H.カー『歴史とは何か』だった。そしてカーの決めゼリフは「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話である。」(p. 40)  でもこれだけでは、カーの真意は伝わらないように思うので、私の言葉でカーの代弁をしてみたいと思う。  一般的には、歴史的な事実というと、考古学や日本史の遺跡発掘のイメージで「客観的事実」を宝探しの宝を探すように「発見」し、それを記述したら歴史が出来上がり、という感じがするのだが、そうではない、とカーは言いたいのである。そして「主観的」という言葉が何か悪いものであるかのように考えられがちだが、そうではなく、歴史家の「判断」があって初めて「歴史的な事実」として認められるのだということである。そうすると主観的な判断が入るので「客観的事実はない」「不変の真理はない」と嘆いたり、怒ったり、ぐれたり、すねたりしてしまう人がなぜがいる。それが学問的態度ではない、って言うことなのだ。私たちができることは、限りなく近づこうという態度で臨むことだけだ。そしてあくまでも仮説として設定することに意味があるのである。「客観的事実」を設定すること、「不変の真理」を設定すること、それに意義がある。有るかどうかは問題ではない。(愛も神様もそういう存在だと私は思っています。)  画家の安野光雅は数学者で水道方式で有名な教育家でもある遠山啓と対談し、以下のように語っている。「主観」という言葉のひびきが悪いものであるかのような誤解をとくこと。これが科学教育の第一歩だと思います。 ●安野:ひとつの目的に到達するための一種の方向感覚のようなものはありますか。(中略) ●遠山:構想力といいますか、これは数学ばかりでなく、科学ぜんぶがそうだと思います。科学をあまり知らない人は、科学というのはわれわれの世界を写真みたいに写す学問だというように考えている。そういう人が多いのですが、実際は写真みたいな写し方ではない。むしろ、絵に近いです。不必要なものは大胆に捨象してしまう。重点的な点だけつかみだして見ていくんですね。だから、科学的な精神というのは、なにかおのれをむなしくして、写真のカメラみたいにならなければいけないように考えている人が多いようですが、実際は、そうではない。非常に主観がはいるわけです。 『空想茶房』(平凡社1986年 <初出> 美術と数学との対話『遠山啓との対話 教育の蘇生を求めて』太郎次郎社1978年) 2002-11-9記す
歴史家の本分は何か
歴史哲学の古典的名著。 歴史事実、歴史叙述、法則、進歩などなど、歴史哲学の重要な問題が簡潔にまとめられている。 歴史哲学の最初の一冊にも薦められる本であろう。 以下概要 歴史は客観的に与えられたものではない。 なぜなら、歴史家は無数にある過去の事実の中から、何個かの事実を選び出して叙述するものだから。 また、おのおのの事実同士をどのような関係で結びつけるかも、歴史家の主観や現在の価値観が入り込むものである。 しかし、歴史は好き勝手に作っていいものではない。歴史家はやはり過去の事実にもとづかなければいけない。 だから「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります」(p40) 歴史家の中には、歴史事実をすべて個人の力に帰してしまうものと、すべて歴史の流れに帰してしまうものとある。 しかし、そのどちらもが誤りである。歴史は、その両方によって動かされているのだから。 歴史は科学であり、歴史家は史実という特殊的事例から一般的事例を引き出し、現在の我々に警告や教訓を与えていくものである。 歴史事実の因果関係もまた、そのような地平において設定される。 歴史の外側に完璧な未来や絶対的法則を設定するのは誤りだが、歴史をカオスとして捉えるのも誤りであり、我々は歴史の教訓を学び、未来へと生かすべきなのだ。 上記したように総じてよく出来た書である。 しかし、歴史をあそこまで科学にしてしまうのには疑問も残る。 確かに歴史を科学として機能させることは出来るし、そういう側面も歴史は有しているが、それだけが歴史ではないように思われる。 我々が歴史の本を読んで楽しんだりするのは、過去から教訓を学んで未来へ生かすという目的だけだとは到底思えない。 歴史には、そうした科学以上の深みがある。 そこら辺が、本書ではかけてしまっているように思えた。 なお、訳については、確かにときどき変な文章はあった。 例えば「第二点は、歴史は、なぜ個人が「彼ら自身の気持ちから見て、このように行動したのか」を研究する、というのですが、一見したところ、これはひどく異様に思われますけれども、私の感じでは、他の敏感な人々と同様に、ウェジウッド女史もぞ文が説教していることを自分では実行していないようです。」(p67)は、わかるといえばわかるのだが、やはり読みにくい文章だと思う。 しかし、こうした文章はそんなに多くはなく、訳で困ったりするようなことはほとんどなかった。 なので、訳の問題はそこまで気にしなくてもいいように思われる。
歴史研究者志望者と歴史教育者は必読書
本書は「歴史学」は如何なるものかについての論考である。 歴史学研究の基礎となる名著は本書以外にもあるが、 本書は多角的な視点で史実や研究方法及び史料批判の方法、 そして思想・哲学分野も含まれており、 歴史研究者を目指す者や教職課程で歴史学を学ぶ学生は、 必読の書と言えるであろう。
『水準器的意義』
 歴史・宗教・民族。これらはすべて琴線に素手で触れてしまう危うさを秘めているため、どうしても扱いにくいと思うのは、小生だけではあるまい。ことに「歴史」という言葉を目にする時、その意味は、「事実」、「まつわる感情」、「歴史という名の履歴の見方」等々、完全にとは言わぬまでも、分割すべきものが、ないまぜとなっている気がする。本書は、小生が示したもののうち、「歴史という名の履歴の見方」つまり「歴史哲学」について再考を促す書物である。  著者E・H・カーは、1962年の本作出版時、トリニティ・カレッジのフェローであった。この著作はケンブリッジで1961年に行われた連続講演を基に仕立て上げられたもので、とても読みやすく、問題点がよく分かり、また原注も丁寧である。  著者のスタンス(視点)は、あくまで冷静・穏健でありながら厳しい。それは『歴史を研究する前に、歴史家を研究してください』そのためには『歴史家の歴史的および社会的環境を研究して下さい』という主張に現れている。つまり、歴史は、歴史家を通じて届けられる『社会的産物』(3点とも同書p61より)であることに注意せよ、という事で、まさにこの点を意識しつつ、目次に掲げられた6項目について述べているのである。  歴史哲学というと、へ―ゲルなどに見られる「史観」という看板のもとに、ややもすると、強引な押し売りが目に付くが、本書は、たとえそのような事が後に明らかになったと仮定しても、極めて地に足のついた秀作であると、小生は感じた。 よって推薦したい。 なお現代においてのスタンスは、『岩波講座 世界歴史 第一巻』に手際よくまとめられているので、こちらも参考になる。


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歴史と未来
 1979年に書かれた書物であり、ソビエト連邦のこれからの発展を真摯に考える為に書かれた書物。  日本では初訳が1979年に出版されています。マルクス経済学だけでなくケインズ経済学の未来を考える上でも有益です。  レーニンとスターリンという偉大な二人によってなされた革命とその未来について知ることができます。  いまだにトロツキーが実在していたと信じる人にお勧めできる。
社会主義研究の道しるべ
 差し当たり、「弁証法だけがひとり、矛盾によって生きかつ動く進化の過程を再現する」(1)といった立場にはない私であるけれども、ロシア革命直後の経済運営等に関心をもっており、こうした観点で本書はコンパクトだが、客観性に富んだ内容の濃い書物といえよう。  確かに、革命直後の経済運営に関して、例えばマルクスは「(未来社会の-引用者)具体像をどこにも描いていないという文献的事実」(2)が先ず厳存し、さらに「レーニンにとって(略)不幸であったのは、マルクスの経済理論がケインズによって完成される以前に社会主義政府を指導せねばならなかった」(3)という見方もできなくはない。  革命後のソ連邦は、一部の人々を除き、「資本主義市場経済をこえる社会主義の先端モデルを形成」(4)してきたものと信じられてきた。と同時に、その崩壊の端緒も、革命直後の経済運営(政策)の中に既に胚胎していたと思料され得る。  そうしたコンテキストから、「社会主義が依然追求に値する理念であり、現実世界で依然として実現可能なもの」(5)と考える私にとって、本書はいつも持ち歩きのできる貴重な1冊である。     (1)L.トロツキー『ロシア革命史(二)』(山西英一訳、角川文庫)P.3 (2)広松渉『マルクスの根本意想は何であったか』(情況出版)P.15 (3)M.ケイザー『現代ソビエト経済学』(平凡社)P.8 (4)伊藤誠『市場経済と社会主義』(平凡社)P.10 (5)J.ローマー『これからの社会主義』(伊藤誠訳、青木書店)P.13
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この書を一読することによって、ロシヤ革命のからスターリン体制の成立に至る時期について大まかな輪郭をつかむことができる。初学者は無論、専門家であっても時々読み返すと参考になる良書である。岩波現代文庫には、この種の良書をもっと多く刊行することを望みたい。


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 国際政治学における古典中の古典である『危機の20年』を、イギリスの著名な国際政治学者M・コックスの序文付きで再販したものが同書である。内容は46年に出版された「第2版」に基づいている。39年に出版された「第1版」に基づいて同書を訳してくれたならば、「削除・変更された箇所」も含め、カーの認識した「リアルな戦間期の危機」を理解できた筈なので、それが若干残念ではある(後年、彼が認めた様に『危機の20年』は、戦間期の時代背景に強く影響されて書かれている)。  古典の再販のため、既に同書を改めて買う必要は無いのかも知れない。しかし、コックスの「序文」を読むだけでも買う価値はある。なぜなら彼は、00年前後までの研究史、そしてイギリス・バーミンガム大学所蔵の「E・H・カー文書」を用いることによって、国際政治学におけるカーの評価の「知的漂流」を丁寧に描いているからである。加えて、日本においては一般にあまりなじみのない第2版での彼による「自己検閲」を、コックスが改めて取り上げているのも興味深い。  しかし、我々はどうしてこうもE・H・カーに惹かれるのだろうか。実に多くの研究者達が、カーを分析の対象としている。39年〜40年にかけての「理想主義者」達、40年代から50年代にかけてのモーゲンソーやトンプソン、50年代〜60年代にかけての「英国学派」、それぞれの立場に基づいた幾分厳しいカーに対する批判、80年代から90年代、そして現在においてもおこなわれている「非リアリスト」的側面の再評価、そして、本書が出版された00年前後に頂点を迎える「カー・リヴァイアル」。これらが示すことは、国際政治学の分野から、何時の時代においても彼と同書が忘れられなかったという事実だろう。  約70年という歴史の厳しい試練に耐え、今でも我々の興味を惹く『危機の20年』。国際政治学を勉強する1人の学徒として、いつまでも同書から学び、同書を模範とし、そして同書を批判的に捉えていきたいものである。
リアルな「リアリズム」
一般に、カーはモーゲンソーとともにリアリズムの始祖と位置づけられている人物である。 しかし後のネオ・リアリストと呼ばれる人々の言説を想像して本書を読んでみると、まったく印象が異なることに驚かされることと思う。 現在の「リアリズム」と呼ばれる国際政治上の理論、ないし態度は、アナーキーな環境下においては国家間の衝突が不可避であるという前提のもとに立っている。従って、自然とその姿勢は悲観的であり、協調の可能性を過小評価する傾向がある。 しかしカーは、あまりにも理想的に過ぎて現実から乖離してしまった思想を非難する一方で、あまりにも悲観的に過ぎる思考をも非難しているのである。この点が、カーが凡百の自称「リアリスト」と一線を画している由縁であろう。 p 翻ってわが国で「保守」と呼ばれる人々は「現実を見ろ」という言葉を好んで用いる。しかし彼らの言う「現実」とは何であろうか。 確かに空想的なまでの平和主義は不毛であるし、危険でさえある。その一方で、何らかの危機的状況が発生したときに、それを平和的に解決しうる可能性やヴィジョンを軽視してしまうような過剰に懐疑的な態度も、結局は同根なのではないだろうか。 たとえば現在の中国との摩擦について考えてみるならば、信頼醸成措置や軍縮のような努力を「奇麗事」として一蹴し、ひたすら強硬策をとることを「現実的」と見る向きがある。しかしそのような態度は過度に悲観的な前提に立っているという点で「リアル」な思考とは言えない。 p カーの思考は、こうした楽観や悲観を徹底して廃したところに立脚している。そこにあるのは豊富な学識と高い知性に裏打ちされた冷徹な「客観」であり、それこそが「リアリズム」と呼ばれるべきものであろうと思う。
物事を見る態度
本書は一般に国際関係論におけるリアリズムの始祖に位置づけられているようですが、実際に読んで見るとそうしたラベルがあまりしっくりこないと感じるのはおそらくレヴュアーだけではないと思います。近年カーの再評価が進められている(評伝としてJonathan Haslam, "Vices of Integ ity: E.H.Ca 1892-1982"、研究書としてCha les Jones, "E.H.Ca and Inte antional Relations: A Duty to Lie"、Michael Cox, "E.H.Ca : A C itical Reapp aisal"など)のは、この脱歴史化された書を再び自由な視点からの解釈へと返そうということかと思います。 p しかし、そうした研究動向やその評価の如何は別としても、同じくカーの『歴史とは何か』と並んで、本書は、国際政治や歴史に関してどうこうという以上に、社会的な物事一般に関する批判的精神の一つの在り方に触れることのできる名著でしょう。 p なお、この新版ではMichael Coxによる序文がつけ加えられていて、それがなかなか長く質的にも良いものですので、既に旧版・翻訳を読まれた方も、この序文のためだけに改めて新版を購入して無駄ということはないかと思います。


A History of Soviet Russia (Pelican)
Edward Hallett Carr (著)  
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