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| 経済学の名著30 (ちくま新書)
松原 隆一郎
¥ 903(税込)
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【くちコミ情報】
「経済」と「政治」
経済学といえば数学的な学問と思いがちですが、実際は政治学的、倫理学的、心理学的な学問ということがよく分かり面白いです。実際に時代を超えて現在に活用できるのは倫理学的、心理学的な部分だと思います。 ただ、この本を読む限り、社会は豊かで悲劇的(不安定、不確実、不道徳)な社会か、貧しくて悲惨な社会かの、どちらかしかないような気がするのですが、実際はどうなのでしょう。(悲劇的でも豊かな社会の方がよいとは思いますが)
数理経済学のサムエルソンについて
史上もっとも多く売れたサムエルソン『経済学』で、現代、多くの大学で講じられているミクロ・マクロ経済学という分析に数学利用が不可欠という脅迫観念を浸透させた。彼が大学院生の頃、アメリカでは実証分析や制度論が絶頂期で、彼の登場以降、経済学は数式で表現されるモデル分析へと急速に傾倒して行く。また多くの数学者や工学者が参入し計量経済学からシュミレーション分析へと巨大コンピュータというハードの進歩とともに研究が大いに進んだ。 それは同じく数量表現の背後にある人々の生活や心情への配慮を経済学から放擲する過程であり、経済思想史に名を残す人々の思考の大半を否定してしまった。というよりそれまでの文学的、社会学的、政治学的なものから、実証科学的、なものへと腑分けされ、より細分化・細密化したものへとなった。その結果、現実世界からの乖離がより大きくなった。自由資本主義経済を世界がめざす以上、勝ち組、負け組、格差社会、南北格差は無くなるはずは無い、それは遅れて参加したロシアや中国をみれば顕著である。そのような矛盾を孕んでいても自由資本主義経済がやはり人間の欲望をより充足してくれるならまだましだと思うしか無いので・・・・
今こそ古典の力を活かす時
社会経済学を専門にする著者が、現代(特に経済危機にあるこの瞬間)においてもその力を発揮しつづけている経済学の古典を幅広く紹介した好著。 著者自らが述べているように、特定の学派の優位性を主張するような構成にはなっておらず、多様な思想から現代に生かせるものを読者に考えさせるための案内書になっているといえる。1冊あたりの紹介は10ページ程度とコンパクトだが、それぞれの古典がどのような歴史的状況の中でどんな思想を体現しているのか、大胆に個性をつかまえて紹介がなされており、印象に残りやすい。 本書は単に各著作のエッセンスを入門的に紹介するだけのものではなく、現代にこれらの古典が読まれる意義について、著者からの明確なメッセージがあるという点は強調しておきたい。自由とは何か、正義とは何か、消費の意味とは何かなどについて経済学の名著は思想を豊富に提供する。しかし、現在進行中の金融危機の背景にある市場原理主義は、このような思想を捨て去った浅薄な経済理論に則っているために、破局的な状況に対して根本的な対策を提示できないでいる。こうした世相や経済学界の思想状況への痛烈な批判が本書全体に散りばめられている。 もっとも、筆者が反新古典派の主張を押し付けようとしているわけではない。主流の経済理論がスタンダードとなり、それ以外を認めない不寛容さが支配的になり、多様性を失っていることが問題なのである。混迷の時代には多様な思想が闘わされることで処方箋が生まれるものである。今こそ古典の力を活かさなければならないというのが本書のメッセージである。
新自由主義派が独占したパーティの後に
著者によると経済学では、原著者の意図を厳密に再現し、歴史的な経緯をふまえて紹介するような学説史というのは滅多にない、といいます。というのも、経済学では、単独学派の独占状態をあえて忌避しない風潮があったから、だとか。ということでついこの間までは独占状態を謳歌していた新自由主義派はケインズの学説を賃金の下方硬直性ゆえに生じる失業を公共投資でなんとかしようとした人とサマライズするようになってしまった、と。 他の人文社会学でも、学説史を読むと、素人なりにもだいたい大きな流れがつかまえられると思うのですが、確かに経済学では、そうした本を読んだ記憶がありません。まあということですが、経済理論はあまり面白くないのに、社会学というか社会批判としての経済書には面白いものが多いな、と感じたのがこの本を読んでの収穫でした。 《流行の衣服から高等学術までが「他人への見せびらかし」にすぎないと断じた》ヴェブレン『有閑階級の理論』、ユダヤ教の世俗内的禁欲によって蓄積されたエネルギーが経済活動において爆発したことがプロテスタンティズム以上に資本主義の生成に機能したというゾンバルト『ユダヤ人と経済生活』とか。neue kom inationen(新結合)というドイツ語が、イノベーションの元となった言葉であり、イノベーションとは古い結合から新たに結びつけなおされることだとか(シュンペーター『経済発展の理論』)も勉強になりました。
松原先生、邦人がひとりも見当たりません。
本書は3部から成る。第I部はロックに始まり、J.S.ミルに終わる。第II部はマルクスに始まりロビンズに終わる。第III部は所有と経営の分離を指摘して旋風を巻き起こしたバーリ=ミーンズに始まり、1998年にNo el経済学賞を受賞したインド出身のセンに終わる。著者自身の説明はないが、第I部が勃興期、第II部が展開期、第III部が成熟期ぐらいの感じなのだろうか?著者の好みもあるのだろう、第I部ではスミスが2回、第II部ではケインズが2回取り上げられる。 私自身の好みを言わせていただければ、難解極まりないケインズの“一般理論”をIS-LM理論という形に体系化したヒックスと、女流経済学者としてはじめてNo el経済学賞にNominateされたロビンソン女史の名前のないことが淋しい。キリストをキリスト教の祖たらしめたのはパウロであるが、同じ意味でケインズをケインズ経済学のケインズたらしめたのはピックスである。たとえそれが通俗化との謗りがあったとしてもである。ヒックスとロビンソン女史との論争も懐かしい。 もうひとつ気になるのは、この“…の名著30”Se iesにはこれまで邦人が必ず取り上げられてきたが、この本にはひとりも取り上げられていない。例えば、“宗教学の名著30”では7冊までが邦人の手になる書物である。数理経済学の旗手であった宇沢弘文やマルクス経済学を数理経済学の手法で取り扱った森嶋通夫あたりの名前があってもいいのではないだろうか?どちらも日本だけでなく、世界で名の通った方である。あるいは経済の倫理という観点から、少し古い話にはなるが、カルヴァンの日本版とも言える石門心学の祖である石田梅岩あたりも取り上げられていてもおかしくないと思われる。
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【くちコミ情報】
経済学は「確信」を生み出せるか
本書は経済思想史を専門とする著者がその応用編として昨今の金融危機について論じたものである。サブプライム危機を論じた文献は大量にでているものの、経済思想史の角度から斬り込んだ本書は独特の視点をもつものとしておもしろく読める。 まえがきにもあるように、経済危機からの立て直しはいかに人々の将来見通しに「確信」を付与することができるかにかかっているという指摘はシンプルだが最も重要なメッセージであろう。近年主流の経済学は、構造改革にせよ金融緩和にせよ、供給条件や貨幣量といった「客観的な」経済環境を調整すれば景気は回復すると主張してきた。しかし、人々の「主観的な」確信がなければそれは望むべくもない。古典派以来の経済学には、確信の過剰と過小によってバブルと不況を論じる伝統が存在するが、それが近年主流となった経済学では軽視されてきたのだ。こうして今回の住宅バブルと金融危機を招いた経済学の現状に対して、著者は経済思想の「偽装」であると手厳しいが、もっともな批判と言わざるをえないだろう。 現在ではかつてのように構造改革路線がもてはやされることはなくなっているが、それにかわって本当に「確信」を与えることができる経済政策が提唱されているとはいいがたい。危機からの脱出のために経済学、経済思想はそのような政策に資する提案をだす使命があるだろう。欲をいえば著者の具体的な考えも書いてほしかったが、それは別稿を期待することとしよう。
思想史の知見から金融危機を明快に読み解く意欲作!
経済思想史プロパーで研究を進めている人は「思想史」なるものの今日的意義を十分に知っていながらも、それをたとえば今次の世界金融恐慌の考究にどのように活かすべきなのか、なかなか苦慮するかもしれない(そういう学術論文が受容されないという独特・暗黙の雰囲気があるともいえる)。そういう方を含め、現実に何が起きており、またそれをどのように理解したらよいのかという問題に広く関心を示す人びとに推奨したい作品である。<経済思想史>のなかで問い直す点がとくに魅力的だ。 本書全体が「書き下ろし」ではないため論述の展開構成に若干のぎこちなさは残るものの、総じて興味深い考察が及ぼされている。分析の基点にあるのは、主流派とよばれるアメリカの新古典派経済学の問題性だが、それは新自由主義を支える理論的基盤であり、また現実の構造改革(IMFの構造調整プログラム=ワシントン・コンセンサス)における支柱でもあり、その(負の)影響は多岐に及んでいる。それは日本経済の改革論にも深い影を落としている。ケインズの経済学を無色化する新古典派の罪は重い。著者の「社会心理」論との対比で読み進めると面白いだろう。とくに全体のおおよそ半分を占めるイギリス経済思想を扱った章は、「思想史」のいわば醍醐味を知るうえでも大変貴重な内容が詰め込まれている。圧巻パートだ。 著者が本書を通じて強調する「社会心理」の意義は客観面のみを重要視する新古典派では概して看過されるものであり、そこから一連の危機の諸相と含意を明快に解きほぐしてゆく著者の手腕にも敬意を表したい(なお「社会心理」の理論・政策面における重要性は主流派のなかでも最近見直されつつある。アカロフとシラーの共著『アニマルスピリット』参照)。本書に続編というべきものがあればどんな内容になるのか、想像しただけでも食欲をそそる。本書を通じて著者の以前の諸作品に関心をもつ読者も多いのではないか。
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【くちコミ情報】
全ての武道愛好家に。
「生涯武道」の実践者である松原氏による、自身が師範代をつとめる空道や、現在も町道場で稽古を続ける柔道を中心とした武道論。 著者は、「信頼」が崩壊しつつある現代社会において、魅力的な社交空間を提供し得る「社会資本」としての武道を高く評価する。 講道館が、如何にして大日本武徳会や高専柔道などの対抗勢力との対立を経て近代柔道の確立に至ったのか(第1章)、現代化・国際化に伴う課題(第2章)など、柔道経験者としては興味深い。 一対多の路上の現実を想定し、試合においても常に「真剣勝負」を意識する必要があるとして、嘉納治五郎が重視していた柔道の武術性や実戦性が、大日本武徳会や高専柔道などの対抗勢力が消滅する中で忘れ去られていった、という指摘はとても興味深い。 柔道(講道館?)関係者には耳が痛い部分もあるだろうが、「講道館の家元意識」の問題、「勝利至上主義」の弊害や老若男女が楽しめるための環境整備の必要性などは重要な指摘だろう。 第3章では、地域に根ざしたスポーツクラブとは何か、企業とスポーツとの関わりなど、スポーツビジネス論を踏まえて、町道場の経営の難しさなど生涯武道の普及における課題が論じられており、興味深い。 第5章は著者の武道体験談、第6章は稽古仲間等の武道との関わり方が紹介され、気軽に楽しめる。 全体として、著者の「生涯武道」への情熱が感じられる好著。自分も武道の稽古を再開したくなった。
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| 経済思想
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グローバライゼーション
金融・経済界と異なる業界で働いている人が読んでも、ためになる一冊と思われます。時代時代で語られたさまざまな異なる経済思想を振り返りつつ、現代経済学の定説を再評価する試みは初心者でも面白いはず。もちろん知らない用語や歴史的背景も出てきますが、さらっと内容がつかめる本書は必読の価値ありです。スミスとグローバライゼーションの項は、現代のグローバル化について知る上で役に立つのではないでしょうか。
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【くちコミ情報】
ゆくえが見えない消費資本主義のゆくえ
現在の主流な経済理論と対立する「消費資本主義」という概念を立て、消費の面から資本主義を歴史的に捉え直すとともに、日本の不況についての分析が述べられていました。 特に製造よりも流通・商業・金融などが産業を支えている局面では、生産という概念よりも生産を支える消費を表に立てて分析するという着眼点は斬新に感じました。また消費資本主義の類型は、経済史的な視点だけでなく、組織マネジメント・マーケティング・流通などの経営史的な分析としても大変興味を感じました。 硬派なテーマに柔らかい話題が織り交ぜられており読みやすかったです。経済学の歴史的な理論も要点が整理されていたので、知識がなくても補充しながら読み進めることができたのもよかったです。消費を中心に経済学を分析・構築した場合に、生産を中心にした場合とどのように異なる視野が開けて、どのような「ゆくえ」になるのか、その示唆が見えにくかったのが唯一残念でした。
消費分析の必要性が説かれる書
そもそも資本主義は、一つの考え方として需要・消費と供給・生産が市場によって自動的に均衡する、ということが言われてきた。しかし、ケインズなどが指摘しているように、これら両者の間には乖離が生じる。それは特に過剰生産問題として登場する。これは、マーケティングにおいては生産・消費の乖離問題として扱われるが、本書は、これをより経済学的な立場に寄りながら、消費の視点からこれを解決する糸口を見つけようとするものであり、その結果、消費分析の必要性が主張される書と捉えられる。その意味で、本書はマーケティングにも示唆を与えるものであり、これを著者は『消費資本主義』として提示する。 その大まかな内容は、消費資本主義は、生産における技術革新と消費における欲望の拡大を両輪として資本を蓄積するものであり、しかも好不況の波や将来における所得も考慮する消費によって主に決定される、というものだ。具体的には、1.貨幣経済においては将来の不確実性が高まると需給に乖離が生じる可能性も高まり、なかでも個人消費の不足が不況の原因になるという消費不況説、2.消費は社会の中で消費者が自らを定位したり、商品の意味を解釈する行為であり、また習慣や他人の判断とのかかわりにおいて行われるとみなす広義の消費社会論、この2点を兼ね備えているが故に、消費を分析することの重要性が主張される。詳細は本書を参照されたい。 ここで、本書に対するコメントを1つ提示しておこう。 コメント1、本書の意義についての自分の解釈。 そもそも、経済学においては消費を分析する視点が弱い。経済学において、消費は効用を最大化するという選択問題とみなされ、生産とともに数学的な最適化分析の一応用分野として定式化されている。具体的には、セーの法則や消費者の合理性仮定の問題があり、消費を分析する視点が弱いことが指摘される。しかし、消費は選択的側面だけではなく、創造的側面(商品の消費においてどのような意味が社会的価値もしくは個人的欲望に託されているのか、その意味はどのような空間において形成・伝達されるのか、消費支出はどれほど貯蓄を抑えて景気に影響するのかなど、消費に関する実質的な議論)も持つ。消費が重視される今日、この部分にこそ、資本主義にかわる新たな概念、消費資本主義が必要である根拠がある。
目の付け所はいいが
資本主義の歴史から説き起こして、消費と経済との関係を語るというような仕事は、なかなか普通の経済学者にはできないものである。原典を丹念に読むことがまず苦痛であるし(英語を読むだけでも面倒くさいのである)、必要な文献をバランスよく選択してよみこむ作業は本当に優れた学者にしかできない。現代数学を駆使した実証分析は一見難しそうだが、ツールはすでに用意されていて、データをはめこむだけの作業である。経済学史はもっともっと困難な作業である。 歴史的認識に裏付けられた実証分析ならば、いちばん良いが、この本はそこまでは射程に入っていない。流通や歌田ヒカルやB'zのメガヒットなどの事例研究に留まる。
経済分析は消費面から
本書が指摘するように、現在日本経済の6割を個人消費が占めているにも関わらず、経済を語る、あるいは経済を分析する際に「消費」の面から捉えるという視点は稀である。 p 古典派、新古典派経済学においても、生産サイドを捉えることに終始しており、「生産」の派生的結果としての「消費」を捉えているに過ぎないという。 p 労働に価値の源泉を置くマルクスにせよ、土地の生産性に経済活動の本位を置く説にせよ、「消費」はその行き付く先であって、「消費」から経済活動が始まると言う考え方は確かに目新しい。 p しかし、現在の「消費不況」といわれる状況を見るまでもなく、消費が主導して生産があるのだという考え方の方が納得性はある。 p その意味では、本書は異論のようではあっても「コロンブスの卵」的な正当論であるといえるだろう。 p この着眼の下に、「消費」というものが、経済社会における人々のどのような行動によって生まれてくるのかを、歴史的、あるいは心理的側面等々から分析している点も面白い。 p ただし、新書一冊で分析しきれるほどに「消費」行動とは単純ではないようで、本書は問題提起に終わってしまったともいえる。 p 消費行動も直線的に分析できるものでないことは、他の経済事象と同じであり結局、経済論文に対する我が懐疑感は深まるばかりだが、本書の問題提起を更に深めた研究成果が楽しみでもある。
宇多田のメガヒットの原因がわかる?
著者は、戦後日本の消費の歴史を、欧米社会に見る消費の五つの類型をなぞるものとして解き明かしていくと同時に、戦後日本の消費に関して「まことしやかに」語られる通説を痛烈に批判している。これらの通説の周辺には、「規制緩和」や「多様性と個性を獲得した消費者の出現」や「電子ネットワークの発展」などが不況を克服するという主張がある。 p しかし、著者は、反証をあげ、さらに貨幣経済や消費の根本から論じることでこのような通説の誤謬を指摘している。私は、岩井克人の「二十一世紀の資本主義論」と通ずるものを感じた。 p 後半の「消費資本主義」論では、経済学が「均衡モデルにおいては、生産のみを語れば、わざわざ消費を語る必要はない」として、マーケティングや社会心理学にまかせてしまった消費の側から資本主義を考えるという、経済学に縁遠く、消費に身近な者にとって見れば当たり前とも思える視点を提供している。 p ここでは、ジンメルの「我々は、商品に接しそれとの距離を感じた時に欲求を形成する」とか、ハイエクの「商品種についての分類は時と所によって異なる仕方で行われる」など社会学・経済学の示唆的な研究を引用しつつ、宇多田ヒカルやGLAYのメガヒットの原因や、インターネット上のフォーラムやメーリング・リストがしばしば「仲間ほめ」、「バトル」に陥る理由までを分析している。理論として読んでも、また戦後消費史として読んでも面白く、さらに視点の新鮮さは、マーケッターやネット業界の人間に有用なヒントをもたれしてくれそうである。
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共感と信頼
終章(「復活した情念論」の項)で紹介されているA・ラヴジョイの『人間本性考』が面白い。ラヴジョイによると、人間が秩序ある社会を作りうる一つの理屈は制度(民主制)だが、いまひとつはそうした制度の枠組みによらず、承認願望・自己称賛・競争心の三つの心理(情念)の絡み合いによって人々が自生的に社会秩序を築く場合である。著者は、この三つの情念は「まさに現代の若者たちの心理そのものではないか」と言う。それは若者だけではない。日本経団連の初代会長に就任した奥田碩は、所信講演で「共感と信頼」という言葉を使った。《「共感と信頼」は、内輪の似た者に対して向けるのでは、自分を信じるということでしかない。「他者が自分と異なるものを求め、生きていること」へ向けるとき、共感や信頼が本来の意義を持つ。そして各人の相違は、社会背景から生まれるだろう。したがってそれは、景観も含む地域の伝統や各国に異質なルール、生産と消費の多様な慣行に対する共感や信頼でもある。》
「制度破壊による信頼の崩壊」と「消費不況」
お金の量が増えてもそれが投資や消費に向かいにくいという現状のもと、実体経済では実際にどのようなことが起こっているのかを考えてみたいとか、経済学では当然とされていることと現実との間になんとなくギャップを感じるとか、こういう点に関心がある人にはおもしろいと思いますよ。「制度破壊による信頼の崩壊」と「消費不況」がキーワードです。「問題は金融面ではなく実体面にある」との認識から書かれていますから、逆の立場からの反論も当然予想されるところではあります。
期待もしていなかった良書
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著者のようにまっとうなセンスを持った経済学者は稀
小泉首相に関しては、支持層も反対層も、その言説、キャラクター、パフォーマンスから受けるイメージで査定しているところが多分にある。国家意識の有無は置いといて、少なくとも国税納めてる身としては、日本の舵取りとしての小泉、具体的にはその構造改革の中身について、もう少し客観的に(しかも主体的に)評価する必要があると、常々考えていた。 本書は、小泉構造改革の意図、施策、成果、影響を噛み砕いて解説するとともに、的確な評価を加えている。自らの経済学者としての立ち位置を明確に示しているのも良い。「トリクル・ダウン」回路が失われた中での「勝ち組」「負け組」二極化社会への懸念、「買い手市場⇔売り手市場」と「マスメディア⇔パーソナル・メディア」による四象限での市場考察など、どの論考もスンナリと頭に入ってくる。他者の学説を掻い摘んで紹介する手際も良い。何を起点として現象を読むかで市場の捉え方はまったく変わるものなのだと感心する。本書は一般に向けた経済書として、俯瞰的であるが網羅的ではなく、密度は濃いが偏執的ではない。自らの学説に固執して客観性を失うところがまったくないのだ。 下北沢の街に幹線道路を通すという行政のセンスに著者は「絶望」を感じているが、実にそういったことに怒りを抱くまっとうなセンスを持った経済学者は稀なのである。著者は「暮らしやすさ」や「美しさ」を無視した「都市再生」論の不毛を解くが、正直景観がいくら良くても窓がなく外気に触れることのないタワー型マンションなんて糞であるってセンスは多くの人が持ち合わせていると思うんだけどな。小泉首相の表層的な部分のセンスを評価するのではなく、小泉構造改革の中身のセンスを問う上で、本書は大きな助力となると思う。
2005年体制を批判する
小さな政府、自由市場経済、弱肉強食という、 ある意味、富裕層と貧困層、高収益企業(業界)と イケテない企業(業界)など、極端に分断されて、 決して資源がうまく流れない(トリクル・ダウンしない) 日本を作り出した、小泉政権・竹中政策に対する アンチテーゼです。 社会経済学者らしく、ある意味、政治を動かす論客 たちや官僚、政治家、果ては、一般市民の判断は 果たして将来のために正解なのか?を問う力作です。 著者は、行き過ぎた自由政策、金融政策、アメリカ型 の資本主義、世界覇権主義に疑問を呈し、社会経済には、 豊かな社会資本と、ただしい制度という枠組み、相互の コミュニケーションが大事で、今の日本の政策、将来への 展望、市民の判断には、それが欠けていると 疑問を投げかけています。 年金問題、狂牛病問題、自民党政権問題、金融政策、 住宅政策、郵政民営化、道路公団問題、企業に おける年功序列、成果主義問題、教育問題、ニート問題などなど、 さまざまな問題を 取り上げ、世間でのメジャーな論理や意見と、それを詳細に 分析することにより、正しい考え方をしないと、大変なこと になる、という主旨で、経済学者などの論陣の矛盾をつき、 現実の社会経済の視点から、切ってすてます。 かなり難解な箇所もありますが、新聞ネタも多く登場し、 全体として「無知蒙昧」に、マスコミのいうことを妄信 し、自分の知恵と判断を放棄することの恐ろしさを感じさせて くれます。
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【くちコミ情報】
美しい景観の「創出」は善か?
この本では, 美しい景観の「創出」というコンセプトで, 身近な景観が急激に改変され, 長く住んでいる人にとっては喪失感が残ったという事例を挙げて, 景観「創出」論を厳しく批判している. 長く住んでいる人が望んでいるのは, 「景観が急激に変わらないこと」である. このように,長く住んでいる人たちに対しては, 景観を改変する際に,行政には特別な応答義務が生じるべきだと 著者は主張する. 一考に値する考え方である.
「失われた」のではなくて,もともとなかった景観をもとめている
著者が破壊された景観としてまずヤリ玉にあげるのは国道 16 号によって代表される郊外の道路景観である.行政による失敗例として神戸の震災復興,(ある程度の) 成功例として真鶴町の「美の条例」がとりあげられている.また,電線地中化にもひとつの章があてられている. 著者がもとめている,空中電線や派手な看板がない規制されて整然としたまちなみを批判するひともすくなくない.一歩ゆずって景観の整備が必要であるとしても,もともとめだった建築がほとんどなかった国道 16 号のような地域においては景観は「まもるべき」ものではなくて,創造するべきものだろう.そこで著者がもとめるヨーロッパ的な景観がモデルになるとはかぎらない.「失われた景観」は「失われた」のではなくて,日本にはもともとなかったし,いまもいくつかの例外をのぞいて基本的にはないのだとおもう.
都市景観について啓蒙する書
本書は現在の日本の都市景観に関して憂慮の念を示した書。著者は全国均質な郊外景観等にみられるように、我が国ほど都市景観が貧しく醜い国はなく、「荒廃している」のだという。都市の景観は、外国から見た我が国の魅力というものに大きく影響を与えるものである。従って、従来からもっと関心を払われるべき問題であった。しかし、「荒廃している」というのは言い過ぎではないかと思う。確かに各地方ごとの特徴ある景観が失われるのは問題だが、経済活動の活発さが生み出した結果であり、全く否定すべきものでもないだろう。ただ、本書の指摘とは論点が違うが、大規模店舗の郊外への無秩序な展開は、特に地方都市で中心市街地の空洞化により、車交通への依存を強め、公共交通機関の経営の悪化を招いており、懸念すべき事態であると思っている。このことは景観上の問題のみで論ずるべきではない。今後、本格的な高齢化社会を迎えるに当たり、徒歩圏内から生活関連施設が次々に郊外に移転することは、高齢者の行動圏に制約を与えるという観点から、憂慮すべきであると考えられるのである。また、電線の地中化については、国道などで電線共同溝などの建設が推進されつつあり、景観の改善に寄与している。しかし、市町村道まで全国津々浦々すべて電線を地中化するのは財政的な限界もあり、難しいだろう。
景観を守るには?
裏づけのある論理的な文章の端々に見え隠れする、身近な景観の醜さに対する怒り。私は、著者とその怒りを共有する者である。うっとうしい電線、ド派手は量販店の看板、欧米と比してあまりに絵にならない街並…。なぜ、日本はこうなってしまったのか?経済優先の土地利用に抗して景観を守る理論的根拠は?実際に景観をよくする上で何が問題か?この本は、具体例を通じ、それらの疑問に答えようとする。 p なぜ戦後日本の景観がひどいものになったかについての典型例として神戸市を例に挙げ、そこに、山を切り崩し埋立地を作るという作業の恒常化による雇用の創出・維持、本来そのの是非を問うべき議会や専門委員会、裁判所の機能不全、というパタンを見て取っている。一方、景観を守る理論的根拠としてロッ㡊??の所有権を挙げ、景観とはそこに住む人の人格の一部なのであるからその時間的空間的不連続は許されないという論理を、真鶴町の「美の条例」を題材に展開している。電柱地中化問題では、近年、政府・自治体や事業者(電力会社など)の意識が変わりつつあり、非常にゆっくりではあるが地中化は進んでいる。しかしながら、住民の意識の向上や理解・協力が不可欠であると論じている。 p 最後の電柱地中化問題でも見え隠れするが、景観問題は、結局は、日本人自身の意識の問題だと思う。しかしながら、悲しいかな多くの日本人は、自分の住んでいる社会を自分とは無関係なものと捉え、その結果、ごくごく狭い時空間範囲でしか利害を考えることはできない。日本の景観とは、そのような日本人の意識の狭さの産物だと私は考える。しかし、だからこそ、景観についての研究はより重要であろう。「美の条例」で謳われるような広い時空間利害を、建造物を建てる主体の直接の利害へと変換する理論・公式の構築こそ急がれねばならず、本書は、その端緒となった啓蒙書という評価を将来得るかもしれない。
「戦後日本の景観」を掘り下げた景観論
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