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リベラルから政治理論まで
著名な政治学者による政治学史の本であり政治学理論の本でもあります。 政治思想ももちろんのこと、官僚制や利益集団にも記述を割いてあります。 教科書として少々レベルは高いかもしれませんが極めて充実した内容となっています。 リベラルや保守についても理解が深まるようつくられています。 このタイプの概説書としてはベストではないでしょうか。 政治学をきちんと理論的に学びたい人には是非おすすめです
鮮明な態度表明
政治学が、古典古代以来積み重ねられてきたことを的確に理解した上で、20世紀における広範な議論を幅広く咀嚼しつつ、著者の政治学のスタンスを明快に示した著作。特に、多元主義論に対しての的確な理解をふまえたうえでの批判は、数十年おくれて多元主義を無批判に受容している日本の学界の動向のなかで、特筆すべきものである。 p 本書は、従来多かった学説のつまみ食い紹介とは一線を画す。議論は、政治学が単純な学問でないことを反映して総じて難解であり、ハウツウものやカタルシスを求める読者には向かない。 p 第1部原論は、文字どおり政治学原論であり、人間論から始まるその議論は、類書と比べてきわめて構成上の違いが大きく、著者がもともと政治思想史研究者であったことを如実にしめす特長である。 p 第2部の現代民主政論は、民主政の動態を分析。ナイション・ステイト体制が、自治体・分権政府と地域連合とのあいだで揺らいでいることをも射程に入れる。ステイトを声高に主張する立場は、政治学者としての著者のものではない。
国家論抜きの政治学講義は可能か
著者によると、この本は、東京大学法学部の「政治原論」の講義の骨格部分を書き下ろしたものであるという。「政治原論」というと、政治学のもっとも原理的な理論のことかと思う人がいるかも知れないが、そうした内容ではない。「あとがき」によると、この本は、「政治をどのように読み解くか」「政治についてどのように思考するか」という問題に焦点をあてたという。 しかし、実際にこの本を読んでみると、ああでもない、こうでもないの学説イロイロ集的な色合いが濃い従来のこの国の政治学教科書と少しも違わない。そこが残念なようにも思われるが、しかし、そもそも日本の大学の政治学の講義などというものは、所詮、そんなものなのかも知れない。 p なお、グローバリゼーションが進む現代世界において、「国家」がますます大きな焦点になっているというのに、この本では「国家」をテーマにした章が存在しない。率直に言わせてもらうと、少なくともわたしには、国家論抜きの政治学の講義などというものが成り立つとは信じられない。
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【くちコミ情報】
イスラム原理主義に思いをはせる
ヨーロッパ中世から近代初頭における宗教と権力との関係を概観した書。ローマ教皇を頂点とする教会が世俗権力の上に君臨する世界から、後者が独立し、ついには逆転するまでについて、カノッサの屈辱、アビニョン捕囚等々、世界史の授業で聞いたことがある事件も取り上げながら、両者の関係についてのどのような思想があったか、非常に分かりやすく解説している。 政教分離は、現代社会において当然のこととされているが、筆者が前書きで示唆しているとおり、9.11は、政教分離が「世界のすべて」においては当然とされているわけではないことを示すもの。宗教を政治より上に見る世界観がどのようなものか、中世ヨーロッパ社会の歴史的経験を見ることでイメージが豊かになるという意味においてイスラム原理主義の理解の端緒にもなると思われる。 そして究極的には「政治とは何か」という問いが湧き上がってくる。政治に対し、今日においても、単なる利益配分システムを超えた意義付けを追求し得るのか。思いは古代ギリシャに還り、本シリーズの1作目(よみがえる古代思想)を再び手にとることになった。
西洋中世における政治思想(史)の入門書
中世は教皇至上権に代表されるように、キリスト教普遍的共同体の時代であるが、その普遍的共同体が確立し崩壊していく過程、つまり宗教が政治(世俗権力)に対して優位する状態から次第に政治が自律していく過程を、平易な表現でわかりやすく描いていく1冊である。 対象は、教皇至上権の確立から主権論の登場まで。 p 第5章で、宗教戦争に始まったコンフェッショナリズムの時代を、佐々木氏は「政治の解体」と述べているが、むしろ、コンフェッショナリズムの時代になってようやく政治が自律・確立するに至ったのではないか、との思いは残る。 その点の疑問はあるにしても、面白く理解もしやすい概説書であることに違いはない。初学者・門外漢の方に特にお薦めしたい。
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民主主義を維持してゆくのにはかなりの努力が必要だ
民主主義のルーツ、ヨーロッパにおける民主政治の誕生、代表制や選挙の意味、世論や大衆との関わり、市民の政治参加、今後の政治の課題、などなど民主主義を論ずる上で不可欠な事柄がまとめられた一冊。 読んだ感想としは、本書が若年層向けであるせいか、筆者のメッセージ性が非常に強く押し出されているように思われた。それはいかなるものかというと、健全な民主主義を維持してゆくには私たち一般市民の主体的な政治参加が必要である、ということである。逆にいうと、筆者は選挙に行かないような、政治に無関心な人々に対して非常に批判的である。 そのようなスタンスは「おわりに」で述べられる理想的な社会像からも明らかである。以下の文を読んで欲しい。。 「定年になったら年金頼みの生活をするのではなく、協力し合いながら積極的に社会に対して貢献する事を当然と考える社会であり、いよいよ動けなくなるまで社会の中に自分の居場所を求め、またそれが与えられるような社会です。」 このような社会ではたしかに民主主義は健全に機能することであろう。しかし、一生涯に渡って社会に貢献しなくてはならない、というのは楽なことではない。むしろしんどい、というのが正直なところだろう。今、求められているのは、社会の一定の数の人が政治に参加しないでも健全に「民主主義」を機能させる方法ではないだろうか? しかし、何はともあれ本書よりわかりやすく民主主義がきちんと解説された本を私は知らない。オススメの一冊です。
わかりやすい
かつて東京大学で政治学の教鞭をとっていた著者によるデモクラシーの本です。 政治システムとしてのデモクラシーが大変わかりやすいです。 平易な言葉で書かれていますし良書です。 著者には現代政治を分析した本やプラトン、マキャベリに関する本もあるので、 これを読み終えたらそちらも読まれるとさらに理解が深まると思います。
民主主義を知るためのベストな入門書
民主主義についての入門書としてはベストではないだろうか。 これまでは福田歓一「近代民主主義とその展望」というこれまた良書の民主主義入門書があったが、本書はさらにわかりやすく書かれている。 プリマー新書はもともと中高生向けなので、かなり噛み砕いて書かれているが、要所は外していない。 民主主義の歴史については、ポリスの民主制からアリストテレスの政治論、フランス革命、アメリカの政治制度とイギリスとの比較など、きちんと押さえられている。 また、民主主義の擬制としての側面(本書では「みなし」という言葉を使っている)、代表の原理についても1章割いている。 民主主義に潜む危険、「多数の専制」や「政治無関心」についても、きちんと正面から向き合っている。 引用・言及されている本を見るだけでも、アリストテレス「政治学」、ルソー「社会契約論」、ハミルトン「ザ・フェデラリスト」、バジョット「イギリス憲政論」、リップマン「世論」、福澤諭吉「学問のすすめ」、ソロー「市民的抵抗の思想」など、ポイントは網羅されていることがよくわかる。 民主主義というものについて考えてみる最初のステップとしては、非常にまとまった本だと思う。 福田歓一「近代民主主義とその展望」とあわせてオススメの一冊である。
”解せなさ”を読み解きつつ、その魅力に近づく
本書は、「民主主義」という、”とある政治のしくみ”の解説書である。 その歴史や、特徴を取り上げながら、まずは純粋に、”不思議さ”へと導いてくれる。 そして、世間でもよく言われているような”問題点”が発生する原因についても。 それらの問題点を織り込んだ上で、なお、民主主義がなぜ生き残ったのか。 この制度のもとで、よりよき社会が実現するためには、どうあればよいのか。 読者に問いかけるような力を持っている。 若者向けのちくまプリマーとしては、ちょっと読みづらいかな、とも思うが、中高生に限らず、まともに投票権を行使ししようとしている人、政治のしくみに興味をもった人にはオススメだ。 著者がこめた、ひとりひとりの政治参加への願いを受け取る気分で読了。 余談だが、川口澄子さんのイラストは、もっとたくさんつけて欲しかった!
民主主義、その進化の過程
民主主義というのはどんなものか?佐々木氏の基本的な問い掛けです。 あるいは、集大成かも? 冒頭で、民主主義とは”不思議で、荒っぽく、はなはだ心許ない仕組み”と言っています。 さて、その成り立ちと変化の歴史は? プリマー新書は、中高生向けに書かれる本ですが、なになに、やはり大人が読むべきものでしょう。 原点に戻ってみるには、好適な本だと思います。
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私たちは、過去の哲学をいつも正確に解釈しているわけではない。自分に都合のいい哲学を引っぱり出し、その解釈に何らかの恣意を働かせるのが常だ。かつて歴史の1ページに収められていた哲学が2000年の時を超えて突如よみがえったとき、そこにはどれほどの恣意が渦巻き、人間はどんな思想的危機に瀕していたのだろうか。『プラトンの呪縛』は、イデア説に代表される超越的秩序や新しい世界の「原理」による国家論を説いたプラトンが、「戦争と革命の20世紀」にいかに巻き込まれ、どんな解釈や批判、反批判が加えられていったかをたどることで、20世紀における哲学と政治思想の交錯のドラマに光を当てたものである。わかりやすく一言でまとめると、プラトンを軸にして20世紀という時代を振り返ろうとする試みであるといえよう。 構成は全3部。第1部は、ドイツにおけるプラトンの「政治化」の経緯、そしてプラトンがファシストとして解釈されていく思想的背景が描かれている。特に、反自由主義・民主主義のシンボルとしてナチズムに利用されるプラトン像が浮き彫りにされる。こうして全体主義へと振れるプラトン解釈に対しては、やはりその反動が起こる。第2部では、英米からその役割を担ったファイト、クロスマン、ポパーの代表的なプラトン批判論が取り上げられ、検証される。西欧には、プラトンを西欧思想の定立者であり精神的権威とする伝統が存在するが、それが容赦なしにおとしめられていく20世紀前半の険しい空気が読み取れるだろう。第3部では、世紀後半の思想界がこの論争を、そしてプラトンをどう位置づけたのかを、多元主義の観点などから論じている。 最後に、著者はプラトンを「警告者」として現在によみがえらせようとする。そこでは、自由民主主義のなかで権利のみを求め、そこに甘んじて堕していく、私たちの危機的状況が見事にえぐり出されている。プラトンの「呪縛」が続いているかのように。(棚上 勉)
【くちコミ情報】
思想の琴線
序 「プラトンはファシストだった!?」 第1部 プラトンの政治的解釈(プラトンと社会改良主義;プラトン像の転換;「精神の国の王」;ナチス体制下でのプラトン) 第2部 プラトン批判の砲列(反近代的な反動的思想家;民主主義の恐るべき批判者;「閉じた社会」のイデオローグ) 第3部 プラトン論争の波紋―二十世紀後半の「哲学と政治」(近代思想の病理論;プラトンからアリストテレスへ;政治学の「科学化」と多元主義;警告者としてのプラトン) プラトンと現代政治について語った本。なんど読み始めても最後まで行き着かない本。思想の琴線に触れるためであろうか。
プラトンの呪縛、あるいは、呪縛されたプラトン
20世紀、それは数多の知識人が危機感を以って指摘したように、ひとつには「大衆の時代」 「ポピュリズムの時代」であり、ヒトラーやレーニンの台頭が象徴するように、ひとつには 抑圧的な全体主義、共産主義の時代であった。 ところで、古代ギリシアのプラトンはとりわけその著書『ポリテイア(国家)』において、 すべて知を愛でる者=哲学者が政治や国家を操縦すべきである、と主張していたことは周知の 通りである。 こうした彼の言説が、20世紀に際しては、ときにファシストとさえ名指しされ非難を浴びる こととなった。 本書では、20世紀ドイツ政治思想を中心に、プラトンをめぐる議論を追う。 この本に登場する人物の主張の大半というのは、プラトンのテキストは古代アテナイの コンテクストではいかに解釈されるべきか、を追求するわけでも、現代の文脈に置き換えた ときプラトンはいったい何を言っただろうか、を論じるわけでもない。無論、およそ2500年の 時を隔てた彼と現代との間の思想史の変遷を丹念に跡づける、などというひどく厄介な作業に 取り組むような謙虚さ、勤勉さもない。 彼らにあるのはただひとつ、プラトンのテキストに仮託して、いったい自分が何を言いたい のか、でしかない。そこに共通のプラトン解釈の根底があるわけでもない。各々が各々の プラトン像、より正確に言えば己の言説に従って捻じ曲げたプラトン像を披露するに過ぎず、 この巨人をめぐる言説として種々の論客を並べてはいるが、そもそも噛み合うはずもない。 忠実なテキスト批判に基づくプラトン解釈ならば、彼らを同列に並べて、その違いを吟味 することもできようが、ただ単にプラトンの名に託けて自説を披瀝しているだけなのだから、 そもそもプラトンの名前の下にかき集めたところで、そこに何らかの意味が生じようはずも ない。そのあたりの調整を筆者が図った形跡もない。 悲しいかな、ここで列挙された議論のほぼすべてが、プラトンなしでも成立する代物。 少なくとも私としては、とりあえずオピニオンを揃えてみました、という以上の印象を何ら 受け取ることが出来なかった。 はじめにプラトンありき、ではなく単に、はじめに結論ありき。 いかに解釈の政治性が古典の宿命であるとはいえ、「プラトンの呪縛」というよりは、己の 議論を恣意的に捻じ曲げられて、あまつさえ彼の影響を全体主義に見出されるに至っては、 ひどくかわいそうな「呪縛されたプラトン」と述べる他ない、というのが私の感想。
恐るべきプラトンの影響力
政治思想の大家、佐々木毅先生の著作。内容、記述ともに難解だが、読んでよかったと思える一冊です。 近現代社会の様々な問題の根源、つながらないと思えることが実はつながっているという驚きは、満足と共に恐怖さえももたらします。 内容が難解すぎると思われた方は、同じく佐々木毅先生の「よみがえる古代思想」を読んで、基礎知識を得られてから読まれると、より理解しやすいかと思います。
虻の弟子は虻
プラトンの哲学にちなんでいえば、「プラトン思想のイデア」とでもいうような、唯一不変の理念があるわけではない。 本書においても、たとえば『ポリテイア』で示された国家観をナショナリズムと結びつけた議論もあれば、 いっぽうで権力批判の原理を強調し、自由民主主義と共存しうる方向性を模索したものもみられるように、 論者ごとのじつに多様なプラトン像が紹介されている。 テクストの意味は、受け取る側の解釈によってさまざまに形を変える、問うものの数だけ答えはあるのだということを、改めて認識させられた。 本書本文の最後には、このことを踏まえた、根源的問いが提示されている。 「何のために?」 この問いは、問うものと答えるもの、いずれにも真理の自明視を許さない。 「自由・平等」という、現代社会では一見当たり前の価値でさえも、この問いを免れず、ときに批判の対象になりうるのだ。 虻に刺されてでも目を覚ましたい方は、ご一読を。
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日本語の意味が理解しずらい。
コンテンツが充実しているので基礎習得のために勉強しました。 基礎的訓練としては最適だと思います。 (無論、大学生、院生以外、読者はいない 完全無欠の専門書なのでしょうが…) ユグノー戦争の記述はもう少しまとめて書けないのかと。 この部分が大学の報告で担当させられ読みにくく整理されていない文章に 往生させられ苦い思い出があります。 ややこしいパートではありますが、ユグノーあたりだけは、 もう少し分かりやすい日本語で、きちっと整理するべきだったと思います。 (ここの部分の報告者はレジュメを作って報告をすると悲惨な目にあうと思います) それ以外は、要旨をまとめやすい文章になっています。 ただ、面白みはまったくありません。 これによって政治思想史が好きになる人はいないでしょう。これだけは確かです。
初学者にオススメ
この本は西洋政治思想史の初学者が読む本としては最適だと思う。 全体として極めて平易な表現に終始しているし、内容も時代背景等を絡めて記述がなされている。政治思想の分野に関しては初学者である私からしても、比較的面白く学ぶ事ができた。 ただ西洋政治思想に関してある程度の教養がある人からすれば、物足りないかもしれない。 よって初学者にオススメの本です。
やや物足りない・・・
著者の1人である佐々木毅氏が冒頭で述べているが、本書は大学で講義を念頭に執筆されており、詰まるところ概説書である。 p 若干なりとも西洋政治思想史をかじった人間からすると、かなり物足りない内容である。それは、記述の簡素さと、必要最小限度の内容とに起因すると思われる。それ故に、深く学びたい人間は講義や他の書物によって補わなくてはならないだろう。こう言っているものの、知識がほぼ完全に欠けていた第4章(杉田敦氏執筆)は大いに役立った。先の要因が上手く働いたと言える。 p 要するに、入門者が読むにはなかなかいい1冊であるが、入門者とは言えない人間が読むには物足りなさを感じる1冊である。
一番やさしい入門書
政治思想史の解説書は様々なものがあるが 本書が一番読みやすい本だと思います。 p 全体的な解説書としては、福田歓一「政治学史」や 藤原保信・飯島昇蔵「西洋政治思想史I・II」、 藤原保信『西洋政治理論史』がありますが いずれも初学者が読み通すのは少し大変であると思います。 p 本書は全くの独学でも読み通せるでしょう。 (その分取り上げられている思想家は少ないですが) p 本書よりやや多くの思想家を扱っていて同様に読みやすいものとしては 藤原保信・白石正樹・渋谷浩『政治思想史講義』があります。
政治思想史初学者には最適な書
佐々木毅・鷲見誠一・杉田敦という今日の日本で最高の政治思想史学者が書いたにもかかわらず、非常にわかりやすく、初めて政治思想史を学ぶ人にはとても役に立つ本です。 その一方、押さえるべき内容はきちんと押さえられているので、大学院入試にも使えます。 政治思想史の教科書を1冊挙げろと言われれば、私は自信を持ってこの本を推薦します。
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走り書き
1494年の仏王シャルル八世のイタリア侵入をポイントに世界情勢は動き、やがてフィレンツェ共和国―ルネサンスという一つの文化は終わりに向かう。 1498年に軍事委員会書記官となったマキアヴェッリは動乱の時代の前線に身をおいた外交官であり、1520年の著作『フィレンツェ政体改革論』の中では「フィレンツェのように政治的平等の意識が強固に存在する場所では「真の君主政」の樹立は困難をきわめる」と述べている。 『君主論』は1513年、政争により職を解任された後の隠棲生活の中で、フィレンツェの若き僭主、メディチの小ロレンツォに向けて書かれたものであり、概要としては、大ロレンツォ時代の再来を望み、臣民統治および軍事外交についての技術を寄せたものであった。 目録は、統治の様態、被治者、権力の獲得と維持、軍事、統治、母国といった要素、構成からなり、チェーザレに倣った統治策、メディチ家への自己喧伝、政治的共同体の解体と支配権の拡大といった目的、などに包括される。 マキアヴェッリは「真の共和国」か「真の君主政」のみ安定した政体をもたらすと分析していたとのことですので、曲解すれば彼の統治論のうちの半分、それも"君主ガイド"程度の認識だったのかも分かりません。ギラギラとしたベテラン外交官の言葉に耳を傾ける、そんな調子で手にとると良いような気がします。
時代背景への洞察
まず、わたくしは他の訳者による翻訳には目を通していないため、佐々木氏の翻訳がベストなものであるかの判断はできないことをお断りしておく。 一般的に、古典の条件は、その時代背景の中で読まれなくても、読まれた時代時代において資するものである、ということであると思われる。しかるに、この「君主論」は「マキャベリズム」ということばを生み出したように、時代背景から切り離されて読まれることで多大な誤解を生み出してきたことはよく知られている。そのような場合、やはりマキャベリの生涯を辿ることで、この著作がどのような意図のもとに生み出されてきたのかを洞察することは正しい理解のために必須であろう。本書は前半にマキャベリの伝記を置き、同時にフィレンツェを取り巻く時代状況にも言及しながら、「君主論」が生み出された背景を的確に叙述している。この前半の知識を基に後半の本文を読めば、そのような誤解を最小限にとどめることができる、という前提のもとに執筆されている。そして、わたくしの見る限りそのような訳者の意図は達成されていると思われる。 他のレビュアーの方も触れている通り、マキャベリが理想的な君主として言及しているチェーザレ・ボルジアの生涯を題材にした塩野七生の「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」も併せて読むと、この本の理解も一層深まるのではないか。
「人間」と「権力」の本質に迫る政治学の古典
昔の人であれ今の人であれ、人間の内面や本性といったものはさほど変わりはしないので、ルネッサンス期イタリアのマキアヴェリによる権力への考察は、それが「人間」なるものの本質に肉薄しているが故に、現代の日本人にも説得力をもって語りかけてきます。 他方、「君主論」は当時のイタリアを中心とする国内的・国際的な権力闘争に対する観察によって生を受けた著作であり、具体的な時代背景の産物であることは間違いありません。そうした意味において、マキアヴェリのアプローチの妥当性やその限界を知るためには、彼の生きた時代のイタリアが置かれた戦略環境やフィレンツェ内外における権力闘争といった事柄を理解することが必要になります。 そこで本書では、前半部分でマキアヴェリの生涯を通じて「君主論」の背景となる時代状況を解説し、後半部分に「君主論」そのものの邦訳を収めるという形になっており、背景を含めたマキアヴェリ政治思想全体への理解の下、「君主論」に対する深い理解が得られるよう工夫がなされています。本文中の注という形で背景等を加えるよりも、読み易く、また総合的に理解できるのではないでしょうか。 「君主論」は「権謀術数」の教科書のように理解される向きが強く、甚だしきに至っては商戦や経営の観点から解説がなされたりすることさえありますが、本書を読めば、そうした理解が如何に皮相的なものであるか、自ら見えてこようかと思います。
政治の政治による政治のための政治論
マキアヴェッリの生涯についての伝記と、「君主論」の全訳から成っている本書は、ある意味とてもお得であるかもしれません。「君主論」が書かれた歴史的背景、またもっと進んでマキアヴェッリという人が「君主論」という著書をものした精神的背景が仄見えるからです。マキアヴェッリという人の人生の中で彼本人がどういう形で「君主論」的考えを形成して行ったかという問題はとても興味深いものがあります。本書はそのきっかけが一つ一つ指摘されていて、その道筋がよくわかるように出来ています。しかし、著者自身も言われている様に、訳文に注釈が不足しており、特に古代史の予備知識が無いとマキアヴェッリの真意がよく伝わってこない部分があり、この点はかなり不満なところです。 p 著者はあくまで学者としてマキアヴェッリを見て、その思想を理解しようとしておられます。そこはマキアヴェッリの影響をかなり濃厚に受けている、作家の塩野七生氏などとは一線を画し、特に伝記の部分でのマキアヴェッリヘの評価では、著者が彼をどう見ているのかが判然としません。私の受ける印象としてはマキアヴェッリという人は、自らの政治技術を認めてくれるならばその政権の性質を問わない、醒めたテクノクラートとしての官僚である、というものですが、著者はマキアヴェッリが無節操であるという非難に、当時としては珍しくないこと、と消極的な反論を返すだけで、人間マキアヴェッリには関心を示されない。例えば、仕える権力には拘らないマキアヴェッリも生涯、どうやら祖国フィレンツェには叛したことがないようなので、彼を愛国者と弁護することも出来たでしょうが、そんなことはしない。いくら政治を愛したマキアヴェッリでも一生政治のみをして生きてきたわけではないのです。怒りもあろう、不安もあろう、そんな人間臭いマキアヴェッリが僅かにしか触れられていません。それは残念なことです。
マキャヴェッリの生涯と思想形成の紹介と『君主論』の邦訳の二部構成
マキャヴェッリの『君主論』の邦訳はいくつもあり、本書もその一つ。こちらの特徴は日本を代表する政治学者で、現東大総長(2003)の佐々木毅氏が、マキャヴェッリを「近代政治学の祖」と位置づけて彼の生涯、当時のヨーロッパ、イタリアの政治・社会状況、そしてマキャヴェッリが独自の政治思想を形成する過程を追う大部の論考が最初に置かれている点である。他の邦訳で巻末の注釈として扱われる内容がひとつの読み物となり、豊富な予備知識を得ることができる。他のヨーロッパ諸国とは異なる、近代統一まで統一国家を成したことのない、「コムーネ」に代表されるイタリアの都市国家群としての性格の分析が詳しく興味深い。著者は『君主論』を現代の処世に役立つ「マキャヴェリズム」の教科書ではなく、読者に当時のルネッサンス・イタリアの人々と同時代の人間になってもらい、近代政治学の誕生の現場に立ち会わせることを企図していると思われる。
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