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| カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)
ドストエフスキー
亀山 郁夫
(翻訳)
¥ 760(税込)
通常24時間以内に発送
ジャンル内ランキング:1,184位
カスタマーレビュー数:36
【くちコミ情報】
19世紀の人々はこの大作をどのように読んだのだろう
文体は饒舌で情緒的、観念的。登場人物は歓喜し絶望し冷笑し絶叫する。その感情の起伏はジェットコースターのよう。 あらすじ的には父親殺しを巡る推理劇と言えなくもない。しかし、メインプロットとはどうみても無関係に思われるサブプロット、ディテール、登場人物が、要するに枝葉がこれでもかとばかりに繁茂している。いったい今読んでいるこの部分は、この大木の幹につながっているのだろうか?とたびたび不安になり、うんざりしてくる。 たとえば神の存在について登場人物が開陳する持論。それが、先述の「過剰な」叙述でもって延々と描かれる。 第5巻の大半が費やされる訳者による「解題」によって、そうした「うんざり」の大半が相応の意味付けを与えられはするのだが、もし解題なかりせばとんでもない徒労感が読後に残ったことだろう。 ところで、本書が世に出た19世紀ロシア(もくは欧州)の人々は、この大作をどのように読んだのだろう。 もちろん解題などないわけで、その中でこうした収まりの悪い「過剰な」エピソードやディテールをどう咀嚼したのだろうか。 少なくとも現代日本のスピード感や文化的問題意識においてはどうにも向きあうことのシンドイ諸々の内容も、当時のロシアの人々にとっては同時代性を持った切実なテーマとして捉えられたのかもしれない。 また振幅の激しい感情をもった登場人物のキャラ設定も、当時のロシアの「情緒」からすれば別段の違和感はなかったのかもしれない。 そうとでも考えなければ、この壮大すぎるストーリーをそのまま受け入れるなんてことは出来ようもないと思われてならない。 とはいえ、この作品に触れておくことは「読書経験」としては決して無駄ではあるまい。 その意味でも本書は一読の価値はある。 もう一度読め、と言われたら「ご勘弁を」かもしれませんけど。
これまでの読みにくさがかなり払拭されている
過去、新潮文庫にドストエフスキーの作品が山脈のように連なっていた。「罪と罰」「白痴」「悪霊」「未成年」・・・・、いずれも大部で読破した作品もあるし、挫折した本もある。 カラマーゾフはその中でも特に長く、名作といわれながらこれまで読んでいなかった。 1巻目を読了したが、これまで読了を阻んでいた「呼称の複雑さ(正式名称や愛称、父称などロシア人の名前はややこしい)」「訳文独特のわかりにくさ」はかなり払拭されていて、読みやすかった。 また巻末に、当時のロシアにおける宗教の情勢やドストエフスキーの宗教的スタンスも記されており、作品自体の理解を助けている。 文章のつながりの悪いところがいくつもあるが、これは原文のせいであろう。ドストエフスキーは悪文家だったとどこかで読んだことがある。 それにしても、愛憎が錯綜するカラマーゾフの一家を巡る面々、これからどうなるのか非常に楽しみである。人物描写はさすが。
出版社が言うほど優れた訳ではありません
出版社は、画期的な新訳と宣伝しますが、翻訳臭のする文体で書かれたふつうの訳文です。昔出版された本をお持ちの方は、わざわざこの本を買ってまで読む必要はないでしょう。「昔、途中で挫折したが、今回は読めた!」という方は、年齢を重ねてこの小説の面白さがわかるようになったということであり、この本のおかげではないでしょう。
汲めども尽きぬ。
以前、古典が古典たり得るのは時代を経て様々な読み方や解釈を内包していくからだ、という文章を読んだことがあります。これは逆に言うと、多用な解釈を受け入れ切れない作品は古典にはなり得ない、ということです。この観点から見た場合、「カラマーゾフの兄弟」ほど古典に”向いている”作品はなかなかないでしょう。完璧な構築物として壮大な物語が紡ぎ出されている一方、書かれるはずだった「第二の小説」が著者の死によって書かれないままになっている。これほど読者の想像力(妄想力)をくすぐる作品も珍しいです。 シューベルトの「未完成」とかのレベルじゃないんですよね。ベートーヴェンの「第九」を聴いた後に「これは実は第一部で、残り半分の第二部の方がメインなんです」と言われたようなもの。ああ、なんてこと。 もはやどこまでがドストエフスキーの思惑通りなのかわからなくなるほど、様々な読み方をなされてきた作品ですが、未だに新しい読み方や妄想を受け入れ続けているのには脱帽です。特に911テロ以降、テロル文学としての「カラマーゾフの兄弟」が注目されたりもしてますし。どんだけ懐広いんですかね。ホント恐れ入ります。 こういう古典文学は、やっぱり読んでおくべきだと改めて思い知らされました。読まずに一生を送るなんて絶対人生損してる。
読みやすいんだが
多くの方がおっしゃっているように私も長年中途挫折してきた作品でした。この訳本は読みやすく初めて読破できました。が、一点、日本語訳本なのには”とんでもございません”とか”とんでももありません”というとんでもない訳が繰り返されて使われているところに脱力感を感じます。
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| 「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する (光文社新書 319)
亀山 郁夫
¥ 819(税込)
通常24時間以内に発送
ジャンル内ランキング:14,579位
カスタマーレビュー数:14
【くちコミ情報】
ずるいけど面白い
それにしてもよくこんな本を出しましたね。ターゲット狭すぎでしょ。「カラマーゾフの兄弟」そのものですら読んでる人はそんなに多くないのに、そのニッチを狙って新書を出すとは。。 ちなみになぜこんなマニアックな本がこのタイミングで出たかというと、本書の著者である亀山さんが最近「カラマーゾフの兄弟」の新訳版を出して、ちょっとした「カラマーゾフの兄弟」ブームになったからです。亀山さん訳の「カラマーゾフの兄弟」を読んだ人が、まんまとこちらの新書も買わされるという(僕もそうなんですが)一種の抱き合わせ商法になっているのです。しかも内容は本家の最終巻に載せてある「解題」を膨らませただけという、なんとも手抜きな感じの新書になってます。はっきり言って、これはずるい。 でも困ったことに、この新書けっこう面白いんですよね。「カラマーゾフの兄弟」は作品そのものよりも「続編」を想像・空想・妄想する方が断然楽しいというのが定説なわけですが、それを翻訳者がやっちゃってるわけで、これは当然興味深いし面白い。また普通は「カラマーゾフの兄弟」を読み終わっても、こういう「空想」を語り合える友人が近くにいることはなかなかないわけで、本書は空想を共有する楽しみもちゃっかり備えていると言えます。翻訳者がこんな本を出しちゃうこと自体、やっぱりこれもずるい。 なんかねー、とにかくずるいよね。だって最近「カラマーゾフの兄弟」を読んだ人は、この新書も読まざるを得ないんだもん。悔しいけど、オススメ本なのです。特に亀山訳で「カラマーゾフの兄弟」を読んだ人は、必ずこちらも一緒に読んでみてください。「カラマーゾフの兄弟」の魅力が一気に数倍に膨れあがること間違いなし、なので。
正に「余熱」の書
・・たった今、本書を読み終えたところです。 既にタイトルにもあるようにこの本は、「・・空想する」という立場にたって書かれた書であり、読者はそれを予め踏まえた上で読むべきものであると思います。 著者は、ドストエフスキーの大名作「カラマーゾフの兄弟」を新訳する快挙を成し遂げた後に、どうにも書かずにはいられない内的衝動、否使命ともいうべき意思で、本書を謂わば「空想」した・・それは常人には、計り知れない程のプレッシャーが有ったことでしょう・・ 推考に推考を重ねながらも逡巡し逸脱しそうになりながら執念で書かれたのが、この本ではないかと思います。 著者の姿勢には、常に極めて謙虚でありながらも飛躍する勇気(冒険)も含まれてあり、その論考には読者を惹きつけて離さない切迫したものがあります。 ぼくは、新書でこれだけの「内容」の濃い「密度」の高い本を嘗てこれより他にみたことがありません(極めてCPが高いと思います)。 既に「カラマーゾフの兄弟」(未完の書)を読了した読者には、正に待望の、また「余熱」冷め遣らぬ書と言えるのではないでしょうか・・ 大名作「カラマーゾフの兄弟」続編に挑戦した著者の惜しみない「情熱」に拍手を捧げたい・・そう素直に思えます。
がっかりでした
タイトルから、非常に魅力的に感じて買いました。 とてもがっかりしました。 空想というより、妄想という感じでした。 興味の無い個人哲学を延々読まされた気分です。 カラマーゾフの兄弟を好きな人でも 本書を買うときはよく考えたほうがいいと思います。
素直に受け止められる作品
「続編を空想する」と言うタイトルですが、何となく「推理する」と書き換えたいような感じでした。そのくらい「推理小説」感覚で一気に読みきることが出来ました。 宗教問題、そこからくる性の問題、そしてオイディップス・コンプレックスとしての「父殺し」、その延長線上にある「第二の父殺し=皇帝暗殺」と、様々な視点で描かれているのですが、それに戸惑うことはありません。 そこには、作者が言う「象徴層」「自伝層」「物語層」というはっきりした視点を用意されているからだと思います。そうした作者の論理性の素晴らしさが、誰が読んでも素直に受け止められる作品にしているのだと思います。 とにかく、この本を読むと『カラマーゾフの兄弟』の続編は、これしかないと思ってしまいます。 改めて、『カラマーゾフの兄弟』を読み直さねば・・・。
「幻の作品」が見えてくる!
「カラマーゾフの兄弟」の新訳を手がけたドストエフスキー研究の第一人者が、〈幻の続編〉を空想するという知的ロマンの書だ。大まかな構想だけ示された続編については「三男アリョーシャの皇帝暗殺物語」との見方が支配的だが、本書では想像力あふれる斬新なプロットを提示しているのが注目される。 著者はオリジナル作品の暗示的な「序文」や、続編への伏線とみられる謎めいたディテールをはじめ、作者の残したメモ類、同時代人の証言など、客観的データを多角的に検証。想像の翼を広げ、続編の輪郭や骨格をイメージしていく。そのまるでジクソーパズルを1枚ずつはめ込んでゆくみたいな丹念な作業を経て構築したのが、以下のようなダイナミックでスリリングなストーリーだ。 ……本編の舞台から13年後、1879年のロシア。キリスト教布教者アリョーシャはモスクワの大学を卒業し、村の学校で教えるかたわら、新しい信仰を広めてゆく。一方、少年時代から彼と交流があるコーリャ・クラソートキンらの〈弟子〉たちは成人し、コーリャが中心となり革命組織を結成、列車爆破による皇帝暗殺計画を練る。そして、組織は皇帝暗殺後のリーダーにアリョーシャを据えようと決議。コーリャはアリョーシャに就任の要請をするが、ふたりはテロルか融和かをめぐり対立。その後、暗殺計画が漏れ、テロ決行前日、コーリャは逮捕される……。 ざっとこんなプロットだが、著者は様々な根拠を挙げ、従来のアリョーシャ=皇帝暗殺者説を否定。事件の首謀者をコーリャとし、アリョーシャは間接的な関与にとどまるとの創見を示す。その背景に設定した1879年というのはドストエフスキー死去の2年前、国内で政府要人に対するテロルの嵐が吹き荒れた年である。 全体の構成は本編同様、「4部+エピローグ」形式を想定、各部各編の展開もラフスケッチ。さらに、本編を彩る登場人物、カラマーゾフの長男ドミートリー、次男イワンをはじめ、カテリーナら女性陣のその後の足取りを描いているのも興味深い。 このほか、壮大な物語に採用されたであろう、ロシア正教異端派の「性と信仰」のモチーフを幅広い観点から論考するなど、全体として著者の学識とイマジネーションが発揮され、ライトな新書らしからぬ読み応えがある。 ……空想、仮説とはいえ、おぼろげに見えてきた「幻の作品」。もし、世に出ていたなら……。
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| ロシア闇と魂の国家 (文春新書 623)
亀山 郁夫
佐藤 優
¥ 788(税込)
通常24時間以内に発送
ジャンル内ランキング:63,538位
カスタマーレビュー数:9
【くちコミ情報】
ロシアの闇と魂の探求から導かれた日本の病理への処方箋
ロシアの碩学お二人の対談形式で、1861年の農奴解放からプーチン=メドベージェフ二重王朝までのロシアの闇と魂を、以下の切り口で鋭利に探求しており、時に意見を違えるお二人の常人ならざる洞察は、非常に読み応えがありました。 1.各自のロシア経験、2.カラマーゾフの兄弟を中心とした文学、3.宗教と思想(ロシア正教、ルター、カルヴァン、イエズス会、スターリン主義等々)、4.ロシアの詩人(フョードル・チュッチェフ)、5.ロシア監督映画(タルコフスキー)、6.チェコの知識人(マサリク・クンデラ)、7.音楽家(ストラビンスキー、ショスタコービッチ、プロコフィエフ等) 本書で一番重要な箇所は、以下の佐藤さんの言葉だと思いますが、我々読者へのメッセージ以外に、故人米原万里さんへの愛(哀悼)とお二人の恩師・兄貴文にあたる渡邉雅司氏(東京外大教授)への愛(強い励まし・例えるなら大審問官へのキリストのキス)をとても強く感じました。 抜粋 「我々がロシアから学ばなければいけないのは、「魂」の回復です。今の日本では、自分の魂に基づいて、責任を持って語るインテリも政治家もいなくなっている。ステレオタイプの感覚で世界を把握しているから、異質のものを見ると排除したいという欲望が働く。魂がこのように弱ることで、日本自体が弱ってきているのです。」 「亀山先生が追求している「政治と文学」は古臭いどころか、今の新自由主義の堕落が蔓延する世の中だからこそ必要とされる、極めて現代的なテーマです。今の政治家は閣僚になるのが夢というようなどうもスケールが小さな学校秀才みたいな奴が多い。政治家ならばそんな小さな夢でなはく、「全世界から貧困を一掃する」とか、「戦争を絶滅し、恒久平和を実現する」というぐらいの「不可能の可能性」に挑む大きな夢を持って欲しい。その為には、国民から託された権力を使わせてもらうという、「大審問官」型の政治家が出てくることが日本にとって重要なのだと僕は考えるのです。」 追記 本書を読む前に佐藤さんの「国家の罠」「自壊する帝国」、亀山さんの「カラマーゾフの兄弟」は読んでおくことをお薦め致します。更に、キリスト(教)の概要とチェコ、オーストリア(ハプスブルク家)の歴史ともちろんロシアの歴史を抑えていれば、より分かりやすいと思います。
ロシアと日本は案外似ているかもしれない
この本は、読者がインテリかどうかを試すリトマス試験紙である。宗教(キリスト教、仏教)、政治(民主主義、スターリニズム、ナチズム)、文学(特にロシア文学)、歴史(現代史)。どの知識を欠いても、読み進むことは難しい。(ドストエフスキー論がとっても難しかったので、自分がインテリからほど遠いことを強く自覚させられた。。) 集団のために個を犠牲にすることが強いられ、また強いられることを運命として黙って受容する大衆。集団的な自己犠牲がその文化の本質であるとすると、ロシアと日本というのは、良く似た社会のように思えてくる。私にとって、ロシアとは、ものすごく遠い、異質な世界だと感じていたが、案外日本と深いところで通じているのかもしれない。戦前の日本とスターリニズムのロシア、今の日本とプーチンのロシアとが重なって見える本。
中身の濃さ、充実度+読みやすさ
「カラマーゾフの兄弟」の新訳を訳した、東京外語大学長の亀山さんと、 元外務相で「外務省のラスプーチン」とも言われた佐藤優さん―― この対談が実現しただけでも凄いものだと思うが、中身が圧倒的に濃い。 互いの知識と考えをぶつけ合って、噛み合うところ、噛み合わないところ、 それらが「対談」という形式で、衝突の火花のように読者に迫ってくる。 私は学生時代にロシア文学をかじったが、その後ずっと文学からは離れていた。 だからロシア通でもなんでもない。 むしろ佐藤優氏の「国家の闇」「自壊する帝国」などや、 新訳の「カラマーゾフの兄弟」で、改めてロシアに関心を持ったレベルだ。 お互いがその分野のエキスパート過ぎて、やや難解に走る箇所もあったが、 対談形式による読みやすさが、それを救っている。 レーニン、スターリン、プーチン……ロシアの「闇」の部分に 充分に切り込んでいるとはいえないが、ワクワクしながら新書を読み終えたのは久しぶりだった。 個人的には、「暗殺国家」とも言われるロシアの闇について、もっと触れて欲しかった。 最近ではリトヴィネンコの毒殺、古くはスターリンとトロツキーの確執と暗殺。 ただこれらにほとんど触れなかったのは、おそらく二人の、ロシアへの愛情ゆえなのかもしれない とも思ったりする。 タイトル通り、「闇と魂の国家」であることを言いたかったのだろう。 精神と物質――魂と闇の対立を、ロシアは乗り越えられるか、という やや高度(?)な問いかけが、本書の最後でなされる。 「ロシアの魂」という曖昧なものに対する見解も、二人は微妙に違う。 しかしそこでギクシャクしないで読めてしまうのは、亀山・佐藤ゆえだからだろうか。 刺激的な一冊である。
異常なまでに密度の濃い対談です
ロシア文学者亀山氏と、元外務省の佐藤氏の対談。 対談本というのはえてして、同じような考えの人がお互いの話に相槌を打ちながら、平凡な内容がダラダラと続く、というものが多いような気がするが、本書はまったく違う。 お互いのバックグラウンド(亀山氏のロシア文学および文化全般に対し、佐藤氏の外交官としての経験と神学)の幅広い知識を総動員しながら、お互いの考えを認めるところは認めながら、異論はきちんと唱える。 そんな丁々発止のきわめてレベルの高い対談なのだ。 特に、亀山氏のレーニン廟論(レーニンのミイラが残されているのは、逆説的にレーニンが復活しないという証明)やペテルブルグ論(ペテルブルグは「鉄のコルセット」としてロシア文化を締め付けたがゆえに、多くの国で賞賛されるようなロシア文化を築きあげた)には目からウロコが落ちる思いがした。 また、佐藤氏のプーチンの大統領退任後に対する見解(ロシアでは人に権力があるのではなく、地位に権力がある。だから大統領を離れたプーチンに権力が留まるとは考えにくい)やチェコなど周辺諸国が抱えるロシアへの恐怖の正体などは、経験豊富な氏だからこそ語れる、きわめて貴重な視点だった。 と、ここでは書ききれないくらい気づきの多い一冊なのだが、やっぱりあくまで本書は「ロシア好き」がターゲット。 ドストエフスキーを始めロシア文化に対するそれなりの知識がないと、付いていくのは少々厳しいかも・・・。
やや敷居は高いかもしれないが…
本書は、“ドストエフスキー好き”が入り口となってロシア文学に関わり、色々と回り道をしてドストエフスキーに戻った亀山氏による、ドストエフスキーが作品で暗示しているような“魂”を解いてみようとしていて、そこにロシアの宗教や思想に明るく、最近20年程度の社会や経済のウォッチャーでもある佐藤氏が助太刀をして、“ロシア”という不思議な世界の“闇”に光を当てようとしている…という体裁であると思う。「魂が闇を吸い込み、また闇の中に魂が偏在するというイメージ」というのものが、本書を通じて考えることが出来ると思う。 これは何も“ロシア”に限ったことでもないのだろうが、何処かの国や地域に特有な“○○的”な魂というのは「規定し難い」ものなのであろう、ということだけはハッキリした感じがする… 個人的には「“ドストエフスキー”へのガイド本」というような気分で読了した…
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ドストエフスキー
亀山 郁夫
(翻訳)
¥ 820(税込)
通常24時間以内に発送
ジャンル内ランキング:1,373位
カスタマーレビュー数:10
【くちコミ情報】
脇役たちのエピソード集といったつくり。後半への伏線か?
フェラポント神父に始まり、スメルジャコフやスネギリョフ大尉などカラマーゾフを固める役者達が続々登場する。エピソードを通じて詳細な人物像が浮かび上がる。でもこの時点では、これが後半どのようなことに結びついていくのかはわからない。 わからないと言えば、「大審問官」も同じ。ゾジマ長老のアンチテーゼとして登場した感があるが、なぜかこの部分だけ邦訳そのものが難解。後半を読めば、第2巻でのエピソード群がどのような意味を持つのかわかるだろうと思いながら読み進めた次第。 一方、ミーチャの精神状態とフョードルとの関係はいずれも益々悪くなっていく。不安を抱えながら、第3巻へ突入する。
5★歴史的大作の大審問官を現代日本で読み解くメモ■誰もが「白い巨塔」の里見になれるわけじゃない
アリョーシャは小川で子供のケンカに巻き込まれる。コレは、イワンの話の伏線だ。石ころは「闘争」パンは「貧困」を暗示する。くたびれた古いコートを着た少年は、孤軍奮闘インティファーダだ。 ■悪魔の質問「石をパンに変える」 コレは“争う兵士を平和な農夫にかえる”世俗政治の必要性だろうか?病気を抱える家族に、金銭的誘惑…姉歯建築士の耐震偽装事件05年11月を連想する。イワンの主張は『幼児虐待を前提としたキリスト教社会なんてまっぴらだ!』(幼児虐待は一つの典型例にすぎず、異端迫害や魔女狩りも含む、幼児はマイノリティの象徴か)と聞こえた。ただし、僕ら運用側にも責任があるのでは?と思った。 例えば、柔道のヘタクソなフランス人がいて、そもそもルールが悪いんだ!「技あり」なんて無くしちまえ!これって責任転嫁に聞こえる。ルールだけの問題か?運用側の問題でもあるだろう、ルールに文句つける前に審判にメガネを買ってやれよ!現実に幼児虐待がある、これって全て聖書の責任か?オレ様が、創造主の想定外なことをしたって構うもんか。そもそもルールの方が、曖昧でおかしいんだ!? ■イワンの問題提起は「教会が国家に属すべきか否か」 いっぽう、ゾシマは「教会の裁判こそが唯一の真実」さらに、教会は犯罪者の更生(良心)を見放さない。《一巻169p》太宰は『人間失格』のなかで“一つの罪に対して、罰は二種類ある”という様なことをいった。つまり 地上の罰(被告vs原告、裁判官、世間)と、もう一つは天上の罰(罪人の良心vs神)だ。 ゾシマは、神のみが“良心の呵責”を認識でき、科学や精神分析では無理、という。被告の反省の弁は、検証可能か?“犯人が心のなかでは舌を出してるかどうか”例えば光市母子殺害事件99年事件後犯人が友人にあてた手紙が、証拠として公開された。その内容は…字数オーバー次巻へ続く
2つのとても重要な話
イワンの大審問官の話は圧巻だった。最初読んだときはただ単に読み流しただけで、イワンが何を言いたいのかよく分からなかった。2回目を読み終えた今でもよく分からない。でも1回目に呼んだときには何も感じなかった何かを感じた。夢中になった。結局イワンが述べたいのは以下のようなことだと思う。人類は結局キリストが訴えているような自由を求めていない、ということだ。キリストこそが人間にとって悪魔のようなものなのではないとだろうか、そう言いたいのだと思う。 ゾシマの死に際における説教についても強烈な印象が残った。人間は互いに尊敬しあうべきである、ということを感じた。ゾシマは科学に頼りきってはいけないとも述べている。科学など、人間の理性から生じたものなど、実は大したことではないのかもしれない。人間にとって一番大切なのは他者の存在を尊重し、しっかりとコミュニケーションを取って、心の底から愛することなのだと思った。
(;//Д//)<イワンの大審問官も収録されているわよ・・・
登場人物の紹介 ( =ω=.) 泉こなた 26歳 二ート (; Д ) 柊かがみ 22歳 国立大学理学部生 ('・ω・`) 柊つかさ 19歳 変な宗教に入ったかわいそうな子 〜本編〜 〜ガストの中〜 (; Д )<私がライトノベルを投稿してるのは知ってるよね?そこで、私の傑作な話を考えたんだケド・・つかさ、読んでくれる? ('・ω・`)<ごめん、おねーちゃん・・私、字を読むと眠くなるから・・ (; Д )<そっか、なら、口頭で内容を言ってみるわ。 ( =ω=.)<全部、暗記してんの?凄いネ(ある意味・・) (; Д )<タイトルは『大審問官』よ ( =ω=.)<テラ中2病じゃん、恥ずかしいよ、かがみ (; Д )<私は つかさと喋ってんのよ!なんで、あんたがここにいんのよ! ('・ω・`)<・・・・・ ( =ω=.)<本当は、私にも聞いて欲しいくせに、かがみは意地っぱりのツンデレさん だなぁ・・ (; Д )<つかさ、こいつ殴っていいか? ('・ω・`)<おねーちゃん、落ち着いて・・
神の存在。
ゾシマの言う神、キリスト教の神とは存在するか?もし我々が存在しないと断定しても、実際に存在していれば存在するし、我々が存在すると断定しても、実際に存在していなければ存在しない。 つまり、人間がどう考えてもいればいるし、いなければいないのだ。神がいて私の存在を信じてくれと、言ったわけでもない。 ゾシマの言う神(キリスト教の神)とは人間に利用される存在でしかなく、利用できなければ「いらない」という神でしかない。つまり、人間世界を幸福にする、もしくは救いを与える神でなければ存在してはいけないという、押しつけられた存在としての神だ。 そんなものはすべて人間のエゴで、カラマーゾフによってドストエフスキーの信仰が揺らいでいることが感じ取れる。 神を肯定する「ゾシマ長老」、大審問官により悲惨な現実世界を示し、神を否定する「イワン」。彼はどちらを信じていたのだろうか?
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| ドストエフスキー―謎とちから (文春新書 604)
亀山 郁夫
¥ 819(税込)
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ジャンル内ランキング:177,492位
カスタマーレビュー数:7
【くちコミ情報】
ドストエフスキーは生きている
2007年の講義をもとに口述筆記を行い、加筆修正した本。NHKの番組で亀山氏のドストエフスキー作品論を見ていて、テレビ番組という時間的な制約上、もうちょっと詳しく聴きたいのに、とフラストレーションを溜めていた身としては大満足な一冊だ。 亀山氏の論考に触れると、自分がドストエフスキーをかなり概念的に読んでいたことに気づかされる。「異様に暑い」ペテルブルクの「棺桶」のようなアパートで、老婆殺しを考察するラスコーリニコフの息遣い、ムイシュキンだけでなくロゴージンとも性的な関係がなかったとされる(!)ナスターシャ・フィリポヴナの歪んだトラウマとヒステリー、そしてイワン・カラマーゾフの傀儡としか見ていなかったスメルジャコフの狂気を孕んだサディズム……実は何て生々しい作品世界だったんだろう! そして、哀れな少女マトリョーシャの自殺を察知しながら、引き止めようとせず、あとからその縊死体を「板の隙間から覗き」見るスタヴローギン。その姿を、亀山氏は「9・11」ツインタワー崩落をテレビで見ていた私たちと重ねる。スタヴローギンのみが持っていた悪魔的な「神のまなざし」を、現代人は否応なく手にしてしまったのだ。そう、インターネットの世界には神を失い、自ら神となったラスコーリニコフやスタヴローギン無数にはびこっている…… 「ドストエフスキーを読んだと思うな」という作者からのメッセージを強く感じる。ドストエフスキーを「昔読んだ本」にしてはいけない。まだ何も読んではいない、読み続けなければならない、と。
ちょーっと肩に力が入りすぎでは?
カラマーゾフ続編論(『「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する』)に次ぐ、亀山先生のドストエフスキー論。 ドストエフスキーの生涯における思考の変遷、特にロシア正教「異端」との出会いが、彼の作品にどんな影響を与えているかを読み解いていく。 一応、初心者にもわかるようにはなっているが、基本的には少なくとも長編のうち2、3冊は読んだことのある人向けだろう。 特に後半の5大長編の解読については、一応簡単なあらすじは載っているものの、読んだことのない人にはさっぱりだと思われる(そして、ここが一番面白いのだが・・・)。 私は一応、それらを読んだことがあるという立場ではある。 それでも正直、本書は期待したほどは面白くなかった、というのが正直なところだ。 著者は、特に異端派との関連で、非常に壮大な仮説を提示する。 それらは確かに知的好奇心を煽るようなものが多いとはいえ、著者自身「空想」と言っているごとく、「本当か?」というようなものが多いのも事実。 著者の少々力が入りすぎているような語り口と相まって、著者ばかりが盛り上がり、読者を置いてきぼりにしている感がどうしてもしてしまうのだ。 特に、本書でもたびたび言及されている江川卓氏の『謎解き』シリーズの、あくまで読者にわかりやすく、それでいて知的好奇心が刺激されるような文章を読んでしまっていると、なおさらその思いを強くしてしまう。 もっとも、これらの欠点は著者の思いの強さの現われ。 期待が高すぎた、というだけで、ドストエフスキーファンにとって本書が面白くないはずがない。
ドストエフスキーをすべて読み直さねば・・・
とにかく驚きの連続です。 最初から最後まで、今まで思ってたことがすべて覆された感じです。 ドストエフスキーの作品が、宗教色が強く、それもロシア正教と思っていたものです。ところが、「去勢派」や「鞭身派」と言った異端があり、その影響が多きとは非常に驚きです。 その上、スメルジャコフがフョードルの子ではないと言われると、天地がひっくり返った感じになってしまいます。 そうした様々な作者の考え方を基に、五大長編小説の解説がなされるのですが、ここでも象徴層、歴史層、自伝層、物語層と言った4つの見方を提唱し、それぞれの見方によって、違った解釈が成り立つことが解かれていきます。 この本を読んで、ドストエフスキーをすべて読み直さねばと思いました。
異端の普遍性
ようやく読了。かなりシビアなテーマを扱っています。何よりも、異端派のテーマが前面に押し出されていて、これまでの私の知るドストエフスキー像とはかなり違います。口述筆記だけあって勢いを感じさせますが、しかし、勢いにつられての誤読という、作者が冒頭で心配している逸脱は見受けられません。それにしても、去勢派と呼ばれるセクトが、ドストエフスキーが小説を書いていた19世紀全般にわたって存在していたというのは驚くべき事実です。『カラマーゾフの兄弟』を読み上げたときには、薄気味悪さを感じこそすれそこまでディテールが書き込まれているとは想像もできませんでした。圧巻は、何といっても、『罪と罰』と『カラマーゾフの兄弟』の章でしょう。スメルジャコフの自殺について新しい説が出されているようです。また、『カラマーゾフの兄弟』のタイトルとの関連で、この小説全体のテーマを黒と白の対決としているのも興味深い結論でした。特殊なドストエフスキー論というより、特殊さを突き抜けて初めて立ち現れたドストエフスキー論とでもいうべきでしょうか。かつてロシア文学やロシアの文化に夢中になって貪るように本を読んできた私にとって、新たな節目となる一冊です。
名訳者は名解説者ならず
ドストエフスキーの生涯と作品の関係、及び作品のストーリー解説は面白く、役に立つ。 特に最後の5大作については、力がこもったものとなっている。 しかし、ドストエフスキーにおける神という問題はどうなっているのだろうか。 本書では全くと言っていいほど、その問題に言及しておらず、ドストエフスキーの問題を もっぱらサディズム・マゾヒズム 去勢コンプレックス、オディプスコンプレックス等 に還元し解説している。 いうまでもなく、西欧の文学・哲学は、キリスト教の決定的な影響の上に培われてきたものだ。 ロシアの文学・芸術もその範疇に捉えられるものとしてよいだろう。 著者はわからない問題はすべて「性」の問題として考えるという現代知性の罠に陥っている ように思う。 ドストエフスキーの問題を「性」の問題に還元し、どれほど収穫が期待できるのか。 私の疑問は、その一点に尽きる。 (但し、読者を驚かせる作品であることは、素直に認めるが・・・・。)
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【くちコミ情報】
前衛芸術運動の栄光と挫折
1949年生まれのロシア文化論研究者がロシア・アヴァンギャルド運動の軌跡をできるだけ幅広く概観することを試みて、1996年に刊行した新書本。この「前衛」運動は、あくまでも後世の人々により規定された一個の総称であり、未来主義、スプレマティズム、構成主義等がそのより実質的な下位概念となる。また著者は、それを政治革命と密接に関連づける立場をとり、ソビエト体制下での代表的な芸術家(詩・演劇・絵画・建築・音楽・映画等)の動向を叙述の中心に据える。したがって、本書の対象時期は1910〜20年代=ロシア革命期からスターリン体制確立までが中心である。いささか難解な本であるが、本書を読む限り、この運動は当時の工業化の進展を背景とした近代芸術批判であり、新たな芸術を創造するための拠点の模索であり、「原始」(=未分化な混沌たるエネルギーの源泉)への回帰志向と当時の技術発展への適応とに特徴づけられるように感じられる。また、著者はアヴァンギャルドの挫折の原因を共産主義による政治的な抑圧にではなく、大衆から遊離した彼らの芸術に内在する限界に帰している。本書の主題からは、共産主義の理想と現実のみならず、芸術を通して現代社会を考えるための手がかりも得られるように感じられるが、本書自体は事実が列挙されている感が強く、もう少し分かりやすい理論的な整理が欲しい。
かなりのレベル
ロシア・アヴァンギャルドに関心を持っています。難解ながらも、非情にヴィヴィッドな入門書ですね。でも、あと5年もすれば、これが常識になっているのかな。96年の本なのにグロイスの理論が紹介されているのに少し驚きました。つまり、スターリン主義に圧殺されたという一方的な視点をとっていない。これが著者の将来の「磔のロシア」に繋がるのかと思うと、改めて懐の深さを感じました。また、アヴァンギャルドとレーニン廟の関係から書き出した点に著者の着眼点のよさが感じられました。
20世紀の夢
20世紀初頭、人類初のロシア・ソヴィエト革命と伴走した芸術運動、ロシア・アヴァンギャルドの概括書。その拡がりは、文学・美術・演劇・音楽・映画・建築・批評などに及ぶ。ロシア・アヴァンギャルドは一枚岩の運動ではない。多様な芸術運動の総称だ。 p 1905年、日露戦争、血の日曜日事件をきっかけに、既成文化の解体運動が始まる。新世紀における新世界・新社会創造への夢と熱情は、政治的にもロシア革命となって現実化する。アヴァンギャルドたちは、革命政府の芸術部門となってその理念と自由を謳い上げる。 p 彼らの運命は、戦時共産主義時代の密月、ネップの反動期を経て、スターリン支配の第一次五か年計画時代に至る。1932年、ついに自主芸術の禁止が宣言された。季節は変わった。アヴァンギャルドたちには、様々な死が待っていた。フレーブニコフは'22年に病死。マヤコフスキーは'30年にGPU監視下、自殺。メイエルホリドはスパイ容疑で'38年銃殺。 p 彼らはスターリンに圧殺されたのか。そうではない。ロシア・アヴァンギャルドは運動としての一周期を終えていた。ではロシア革命と無関係であったのか。いや違う。ともにユートピアを目指した運動として相互刺激し合っていたのは事実だ。政治と芸術、重層的な把握が必要だ。
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【くちコミ情報】
大胆な試み
著者の方法論上の要点は、以下のようにまとめられています。”ドストエフスキーの小説全体を、ドストエフスキーの現実の体験に即したリアリティーとして読むのか、あるいは一種の儀式、ひとつの象徴劇と捕らえるか。”(265ぺ-ジ)今回の作品は、”父親殺し”というモティーフを基本線とすることにより、この両者の目的を融合しようとした大胆な作品です。したがってこの評論では、”ドストエフスキーの伝記とその現実の深みへ”と想像力をめぐらすだけでなく、”ドストエフスキーの小説のもつ儀式性の |