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【くちコミ情報】
サイードの特異な境地を知るための入門書
本書は簡潔にまとめられたサイード入門書である。インタビュー集なので大変読みやすい。サイードは、パレスチナ問題を中心として大活躍した知識人だが、彼の思想はしばしば誤解された。だが、この本を読めば、植民地出身のサイードのきわめて複雑なスタンスを正確に理解する手助けになるだろう。 さて、サイードは「オリエンタリズム」という概念によって一躍有名になった英文学者であり、帝国主義や植民地主義の文化に対して批判的であることはよく知られていた。だが、世間が誤解するのとは異なって、サイードは単純な反帝国主義者ではなかった。そのことを、我々は繰り返し本書で再確認することが出来るのだ。 たとえば、キプリングというインド生まれのイギリス人で、帝国主義的思想を支持した小説家がいる。ところがサイードは、帝国主義の辛辣な批判者であるのにもかかわらず、信じられないくらいにキプリングを絶賛しているのだ。「彼[キプリング]は、いろいろな種類の住民たちを信じられないくらい細かく描き分けられる。また彼は若者と老人とを描写することにかけて、すばらしい才能を発揮している」(本書の87頁) サイードの特異な境地を理解するためにも、本書を一読することを強く勧めたい。
真の教養人サイードが語る人生と藝術、そしてパレスチナ
「イスラエルは確固たる存在となった。わたしたちがその存在を与えたからね。また国家として認知され、支配権、平和に暮らす権利、非暴力といったことも獲得した。そして彼らはその見返りに、わたしたちになにもしてくれないのだ。PLOをパレスチナ人の代表と認めること以外には、ね。これは合意の基盤としてじゅうぶんなものではない。わたしたちは、あまたの解放運動のなかでも、占領軍と合意した史上初の解放運動なのだ。こんなばかげたことをした解放運動は、歴史上かつてなかった。」(本書116ページより) サイードが、1994年6月に、タリク・アリのインタビューに答えて語った自身の歩みと信条についての本である。この中で、サイードは、自身の生い立ち、家族、少年時代を過ごしたカイロの思ひ出、イギリスとアメリカで過ごした青春時代の事、音楽について、自身とPLOの関はり、オスロ協定への批判、文学について、ニューヨークでの自分の生活についてと、極めて多岐に渡る事柄を語って居る。どの箇所も、読む者に知的興奮を与えずに居ない。中でも、私は、サイードが語った、サイードとアラファトの出会ひと決別に関する部分を興味深く読んだ。−−パレスチナの悲劇は、アラファトの様な指導的立場に在る人間が、サイードの様な人士の言葉を理解出来無かった点に在るのかも知れないと、思った。−−教養と言ふ言葉の本当の意味を知らされる本である。本書が、多くの若い人々に読まれる事を願ふ。 (西岡昌紀・内科医)
対話の一つ一つが素晴らしい・生きています!
サイードとの対話をそのまま収録したもの。エドワードサイードの考え方、深い研究をするにいたった経緯など良く伝わってきます。サイードとはどんな人か、またそれをとりかもむ環境などについても注釈を設けて深く説明されています。
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【くちコミ情報】
サイードは人文学者でした
この本については、翻訳が悪いと書かれている方もいます。もしかしたら、そうなのかもしれません。しかし、私はあまり気になりませんでした。原文と照らし合わせてじっくり読む本でもありませんし、値段もそれほど高くはありませんでしたから。 訳者の後書きは適切だとは思います。要するに、サイードをラディカルな政治的理論家であるとみなしたり、最後の偉大な知識人として絶賛するのではなく、どちらかというと伝統的な人文学者であり、そのうえで、歴史や世界に開かれた人文学の方法論を模索していった人だといった解説です。(一昔前ならば、イデオロギー批判的解釈学(ハーバーマス)と対比されるかもしれませんね)。ただ私としては、「オリエンタリズム」的なもの過剰に期待している大半の一般読者に、もう一言なにか書いて欲しかったですね。 あまり新しい議論があるような印象は受けないので、評価は星四つとしておきます。
岩波の翻訳書には幻滅しましたが、闘い続けたサイードに感服。
またしても岩波書店が誤訳だらけの訳書を出してしまった。もう岩波には何の期待もできない。「人文的ないしは美的な規範の無残な衰えは、じつはひそかに同根であるというものだ」のような訳し方では何が同根で、どこがひそかになのかわからない。また「聴衆が」にはじまる文が3行続いた後「要求しているし、」とつづくような主述の係り受けすらできてない訳文。 サイードが本書で述べている思想は、ひとりの人間の言葉の理解には、その人間の生きた世界の全体をを追体験する必要があり、その現実全体の理解には政治・文化・社会の枠組みをもってしなければならない、というものらしい。サルトルに近い思想だと思う。 しかし、そうした専門的に細分化された学問に抗するサイードの闘いぶりについて、遺稿集であるにもかかわらず、翻訳書からはまったく読み取れず、文章のリズムや呼吸、思想の盛り上がりやユーモアなど、すべてかき消されている。 なぜ、こんな人たちに訳させたのだろうか、残念で、なさけない。
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【くちコミ情報】
サイードのメッセージ
本書に収められた8つのエッセイは02年11月から03年4月にかけて発表されている。世界が(アメリカが?)イラク戦争を始めるに至るまでに合わせて書かれた時事評論集である。本来ならこの手のジャーナリスティックな文章は、ちょうど新聞や雑誌に載せられる社説やコラムのように、リアルタイムで読まれるのがいちばんいい読まれ方なのだろう。しかし、あの時期からほぼ1年近く経って本書を手にとった私のスナオな感想を言えば「よくぞこのように本という形にして残してくれました」となる。なぜか。 p ひとつはサイードの批評と主張がきわめて冷静・明晰で、なおかつとても力強いものだから。今ひとつは、私たちはこういう形で確実に真実を記録しておかなければ、日々の情報の氾濫と洪水の中でいともたやすく真実を忘却してしまうものだから。本書は時事的なものだが、逆にそうであるだけに、むしろこれから読まれていくべきものだろう。すべてがなし崩し的に決定されてしまう状況に抵抗するには、サイードのように倦まず弛まず真実を求める声を発していくしかない。本書は励ましのメッセージなのだ。
民主主義の破綻
本書は、米国の民主主義が破綻していると告発する。米国に対する漠然とした猜疑心を言葉にすると、こうなるのだろう。 p ブッシュ政権は中東に民主主義を輸出すべく、イラク戦争を遂行した。しかし、その政権は少数者(ネオコン)によりハイジャックされ、国内ではメディアから反対意見が消失した。なんという情況の皮肉だろう。 p 本書では、ブッシュ政権への批判が展開されるが、イラク戦争よりむしろパレスチナ問題に引き付けて、問題が指摘されている。 p パレスチナ問題は、その背景が複雑で、理解し難いと言われる。しかし、そうした背景は理解すべき優先順位の筆頭ではない。理解すべきは次の現実である。イスラエルの軍事行動は、非武装のパレスチナ人の虐殺であり、人道に対する犯罪である。イスラエルによる国家的なテロと支援する米国に、国際社会は何もできない。読み進めながら、どうしようもない無力感を感じた。 p こうした米国政権批判は、長年にわたってイスラエル問題にコミットしてきた著者でなければ書き得なかっただろう。一級のジャーナリズムとして読むことができた。
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読みやすい
「オリエンタリズム(上・下)」にしろ、「イスラム報道」にしろ、サイードの著作を読むには、一語一語をかみ砕くようにして読む緊張感が必要です。ですので、私は未だに「オリエンタリズム」を読破していません。 しかし、本書はラジオ番組のインタビュー集ということもあって、大変読みやすい本です。それであって内容は充実しています。 初心者にお勧めです。
非常にまとまりのよいパレスチナ「問題」入門書
サイードの従来の議論と同じなので、その意味では新味はないが、翻訳が例によって見事で、訳注も親切で、その上もともとラジオ放送用インタビューなので全体にコンパクトで、本当にパレスチナ「問題」がわかりやすくまとめられている。親本がマイナー出版社だったので、いままで入手できないできたが、文庫本で、これだけ丁寧につくられているのは近頃稀れなので超お勧め。
知識人とはかくありたい。
コミュニティラジオで年余に渡って放送されたインタヴューをまとめた本です。 私は、この本を読むまで「パレスチナ問題」というものをあまり理解していませんでした。でも、この本を読んで、時間の流れを追いながら広く、深く理解することができました。 喋り方が上手かったのか、翻訳もいいのかわかりませんが、文章は読みやすいのです。そして、聞き手と語り手のキャッチボールが、とても誠実で、真剣で、迷いが無い印象を受けます。知的好奇心がぐいぐいと刺激され、読み始めると一気に読んでしまいます。そして、今までぼんやりとしか分からなかったもの、敢えて見ないようにしていたものに、光を当ててくれるかのようでした。 TVでは隠された事実、当事者とコミットすることで生まれる視点、西欧(恐らく日本も)で見えないように、でも未だれっきとして存在している帝国主義…これらを見逃さない、見ない振りをしない、他者に伝えたいということ等々。それが今の世界で求められる本当に必要な知識人なんだろうなぁと感じます。 サイードの存在に、脅えつつも勇気をもらって下さい。
知識人の姿
本書はコミュニティラジオで行われたサイードのインタビューを収録したものである。収録された時期が長期にわたるため、サイードのパレスチナ問題に関する意見や自らの著作に関する意見を時系列的に読むことができる。 インタビューという形式であるため、サイードの議論が非常に分かりやすく、かつコンパクトにまとめられている。その点ではサイードの考え方を知るには非常に良い本だといえるが、本書の魅力はそれだけではない。パレスチナ問題に関わることでサイードの身辺は非常に危険な状態に追い込まれていくのだが、その中であっても現実に知的な誠実さをもって対峙していくサイードの姿を本書では垣間見ることができる。本書において我々は知識人の理想形を見出すことができるのではなかろうか。 本書はパレスチナ問題の本質を理解するのに最適な書物のひとつであるし、サイードという思想家の議論を知る非常に良い本でもあると思う。しかし、何よりも本書はサイードという思想家の姿を通して知識人とは何かを学ばせてくれる本だ。
パレスチナ知識人と現実政治の相克
サイードにより、パレスチナの置かれておる状況「常にイスラエル兵に見張られ、生活空間が脅かされている」と同時に、PLO首脳とりわけアラファトの擬似カリスマの欺瞞が暴かれる。 アラファトは米国のネオコン中心にテロリスト呼ばわり、生存中され続けてきたが、実際はPLOがシリアとイスラエルにより、レバノンからチュニスに移ってからは、政治的過激さを失っていたらしい。だからこそインティファーダがハマス主導で発生したのだが。 PLOはパレスチナ解放の主導権をむしろパレスチナ民衆からではなく、米国、イスラエルから得ていたらしい。つまりは、傀儡であったのだ。ゆえにヨルダン川西岸、ガザ地区の統治能力が、アラファトにあるわけがなく、自爆テロとイスラエル軍のミサイル攻撃のテロ応酬が何時までも続いたのだ。…イスラエル報道、パレスチナ報道に常に捏造の影が付きまとう。
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エドワード・サイードは『オリエンタリズム』『イスラム報道』『パレスチナとは何か』などの著書で知られるアラブ系アメリカ人である。コロンピア大学で英文学と比較文学を講じるかたわら、第4次中東戦争後の1977年からパレスチナ民族評議会議員としてパレスチナ問題に取り組んできたが、91年白血病と診断され同評議会を退いた。そのことが、彼に自伝の執筆を思い立たせた。「不治の病らしいもの」を患ったことから、「わたしが生まれ人格形成期を過ごしたアラブ世界と、合衆国で高等教育を受けた時代のことを書き遺しておかなければならないという使命感が沸きおこった」というのである。 著者はつねづね「パレスチナ人の側の物語が決定的に不足している」ことを訴えてきた。だから死ぬ前に、迫害と収奪の痛みを記憶するパレスチナ人として、パレスチナの物語を「わたし」の中から紡ぎ出さねばならない。それが彼のいう「使命」なのだろう。 しかし、エドワードはいわゆる「パレスチナ人」ではなかった。1935年、イギリス委任統治下のエルサレムで生まれ、やはりイギリスの植民地だったカイロで幼児教育を受けるのだが、父からはいつも「お前はアメリカ市民だ」といわれて育った。父のワーディーは1911年、ブルガリアと戦争を始めたオスマン・トルコの徴兵を避けてアメリカに逃げ、第1次世界大戦に米軍兵士として参戦した功績が認められて米市民権を得た。「エドワード」という非アラブ的名前は、「アメリカ市民」を自負する父が、アラブの中に「決然と小さなヨーロッパのまがいものをつくろうとした」結果なのである。それでもエドワードは、欧米人でもアラブ人でもない「うさん臭いまでに不確かな」アイデンティティーをかぶりながら、欧米人からはしっかり差別され、やがてパレスチナを追われていく。 かくさまざまにパレスチナを踏みしだいて行った歴史の轍をたどりながら、エドワードが探しているのは、「エドワード」の下に潜む本当の「わたし」なのである。しかし、それはアイデンティティーという「堅牢な固体としての自己」ではなく、「流れつづける一まとまりの潮流」のようなものだという。マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』にも似た、記憶への遠い旅の記録である。(伊藤延司)
【くちコミ情報】
語る能力
非常に明晰な頭脳と、高い言語能力をもつ成人の自由連想記録として非常に興味深く読みました。彼自身によるオリジナルの言葉で(英語で)改めて読み直したいものです。
根無し草
原題は"Out Of Place"である。「場違い、どこにもない場所」というこの表題の適訳は何だろうか。本書を読むと、単に故郷のことだけを指しているのではなく、家庭そのものからもサイードが疎外感を感じていたことがわかる。そこで、わたくしは「根無し草」というのが適当な訳ではないかと感じなくもない。 サイードというと「経歴詐称」という問題が指摘されているが、悪意あるメディアの捏造だということである。この本で最も興味を惹かれたのが、サイードがパレスチナの擁護者として活動するようになったきっかけがユダヤ教のラビのひとことだったという下りである。この部分を読んだだけでも、ユダヤ人を一緒くたにしてはならない(当然、立派な人もたくさんいる!)こと、サイードもそのことをきちんと認識していたことがわかる。わたくしにはこの部分だけでも価値があった。 故郷と呼べる場所もなく、両親からも無条件の愛情をもらっていたとはいい難いサイード、晩年は無数の見知らぬひとびとの大きな支持は彼に届いていたのだろうか。
確かに興味深い本です、が・・・
昨年惜しまれつつ亡くなったエドワード・サイード教授。 私も同教授の数々の著書を読んで、学ぶところ大です。 この本は、パレスチナ人の中に生まれながら「エドワード」と名づけられ、自らのアイデンティティーを求めてさまよい続けた人の物語です。 p ただ、一つだけはっきりさせておかねばならないのは、彼の人生は典型的なパレスチナ人の人生とはあまりにもかけ離れている、ということです。 簡単に言えば、多くのパレスチナ人がイスラエルに追放され、難民キャンプで肩を寄せ合い暮らしていた頃、「エドワード」は「ハーバードの修士課程中」の「夏休み」に、「ギリシャ」を旅行していたわけです。 それ自体は悪い事ではないのですが、そういった人でなければパレスチナ人の「語り部」にはなれない、(難民は生きるのに精一杯で勉強したり本を書いたりする暇も余裕もない)というのが、実はパレスチナ人の本当の悲劇なのかもしれません。
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「他者」というアイデンティティ
私たちの眼差しがパレスチナに注がれるとき、そこに「問題」を見てしまう。だが言うまでもなく、そこには私たちと同じような日常がある。迂闊にも気づかなかったこの当たり前の事実を、本書は気づかせてくれる。 ここに登場するのは私たちと同様に多種多様な人々だが、しかし私たちとは決定的に違ってもいる。私たちにとってアイデンティティの問いかけは観念的なものだが、かれらには命と身体とを賭した切実な問いである。「1948年」、本書のなかで何度も反復されるこの年号を境に、パレスチナの人々は「難民」となった。いや「自分のものではない勢力や暴力のしるしに従属」することになったのだ。かれらのアイデンティティには否応なく「他者」が刻印されている。イスラエルの捕虜となった男が当局のラジオ・インタビューを受ける場面(103頁)は漫画のように面白い。男は徹底的に屈辱的なピエロを演じきることで、これを茶番劇(パロディ)化してみせる。その根性と悲哀とが相俟って一編のコントになっているのだが、それがかれらのアイデンティティなのだと気がつけば、笑った気分も冷めてしまう。 しかし厳しい境遇にもかかわらず、サイードが描くパレスチナは、どこか素朴な懐かしささえ呼び起こす。プルースト的といってもいい原郷への憧憬、それはAfte the last sky(最後の空も尽きた後に鳥たちはどこを飛べばよいのか)という原題に込めたサイードの祈りのような思いを反映しているのだろう。
パレスチナの世界
アメリカに亡命したパレスチナ人であるサイードが 隔たった地点よりパレスチナとは何か、そしてひいては 自分はどういう地盤のもとに生きているのかという問いを 追究する。 「他者」「outside 」「追放」「悲惨」… このような言葉よりなる言説、それはやはり我々には 最後の最後までは理解できないものなのではないだろうか。 流浪の民族であるパレスチナ、何も確固たるものがない 何も依拠するものがない民族。 そこに生きるものの底に少しでも触れようとする努力 それが必要であると思う。 その現実から目を背けず、そこから真実を少しでも 拾おうとする、そんな試みが必要であると思う。 まだ現代においても存在する悲惨をしっかりと 認識する必要がある。
難解だが外せない
スイス人写真家のジャン・モアが撮影した、パレスチナ内外での写真に、サイードが付けた随想のような本である。が、内容は難解である。少なくとも、パレスチナの歴史についての予備知識を、たとえば「パレスチナ新版」(岩波新書)などで仕入れておいた上で、サイードのパレスチナ問題についての著作「戦争とプロパガンダ」や「パレスチナ問題」にあらかじめ眼を通しておくことが望ましいだろう。 その理由のひとつは、サイードの文章がかなり凝ったレトリックを用いていることである。それは訳書に付された多数のカタカナ(英語)を見てもわかる。もうひとつは、サイード自身も述べている通り、本書が系統だった記述をはじめから放棄していることだ。むしろ、散文詩という印象すら受ける。 内容は四つのパートに分かれている。第一章「現状」では、いわば外から眺めたパレスチナの諸相について触れられている。第二章「内側の諸相」では、パレスチナ内部の亀裂についても触れられる。第三章「創発」では、普段あまりわれわれが知ることのないパレスチナの側面、すなわち生活の面にも触れられ、最後の「過去と未来」では、アメリカとの共犯関係やディアスポラ・ホロコーストをも含む過去の問題と未来についての展望が述べられる。が、結論は呈示されていない。 サイードの著作の中では特異な位置を占めるもの。サイードの思想に興味のあるかたにとっては外せない本の一冊であろう。
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パレスチナ生まれの批評家、研究者として、常に世界の現実に批判的な目を向け、政治的発言、行動もいとわなかった著者による精神的自叙伝。『オリエンタリズム』をはじめとする主著の多くは学術的な色彩が強いが、本書は英国BBC放送向けに行われた講演をまとめた内容だけに、比較的平易な用語でつづられている。それだけに、20世紀後半を代表する世界的哲人の膨大な業績のエッセンス、入門編として位置づけることもできる1冊である。 主要なテーマである知識人論に関する主張は明確だ。単に知識を持つ者のことではなく、自立的に自己を見つめる「永遠に呪われた亡命者」こそが知識人なのだと著者は説く。権力に迎合せず、狭い専門性に閉じこもることなく、少数派であることを受け入れる。そんな知識人の特徴が、「大衆」「アマチュア」「周辺的存在」などといったキーワードとともに展開されていく。こうしたスタンスは、米国市民でありながら、繰り返し米国政府のパレスチナ政策に異論を唱えてきた著者の生涯ともぴったり一致する。 重要なのは、知識、批判、議論を自己目的化してはならないという論点だ。常にマイノリティーの立場に立ちながら、その集団に属することなく、むしろマイノリティーを選別する境界線の存在を否定していくのが本書における著者の戦略である。自己と他者を分かつものの歴史的な本質は何か。その点から目をそらさない本書における著者の思考の粘り強さは、それ自体が理想的な知識人としてのモデルを体現している。(松田尚之)
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「権力=悪/弱者=善」というステレオタイプに乗っかった知識人論
端的に指摘すれば、本書を通っているドグマは「知識人はどんな場合にも、二つの選択肢しかない。すなわち、弱者の側、満足に代弁=表象されていない側、忘れ去られたり黙殺された側につくか、あるいは、大きな権力をもつ側につくか。」(p61〜62)というものだ。サイードがとるのはもちろん前者である。そして、彼によれば、知識人というものは「なかんずく権力の側にある者や伝統の側にある者が語ったり、おこなったりしていることを検証もなしに無条件に追認することに対し、どこまでも批判を投げかける人間」(p49)であり「権力に対して真実を語ること」(第5章表題)をしなければならないのだという。 彼の指摘は半分は正しい。正しい半分というのは、知識人は「検証もなしに無条件に追認することに対し、どこまでも批判を投げかける人間である」べきであり、「真実を語る」べきであるということに対してである。正しくない半分というのは、批判をしたり真実を語る対象が一方に定められている点である。知識人は、相手が権力者であろうと弱者であろうと、要するに誰であろうと、無批判な追従はすべきでないし、自身の思惟に基づいて真実を語るべきである。 サイードの論の根本的な問題点は、「権力・伝統=力を持つ者=悪/マイノリティ=弱者=善」という、ステレオタイプな二項対立に固執してしまっている点にある。任意の議題に対して、権力サイドの主張が正しいか、それとも弱者サイドの主張が正しいかは、それは実際に双方の意見を聞いて、きちんと考えた上で下される結論のはずである。すなわち、権力サイドの意見も弱者サイドの意見もきちんと聞いた上でならば、知識人はいかなる結論をも下しうるわけであり、そこでたまたま権力サイドの主張の方が妥当性が高いと判断したところで、それはなんら問題ではない。 ところが、サイードは、双方の意見を聞いて自身の見解を出す前に、「先行して」弱者サイドの主張をそのまま自分の意見にしなければならないというのだ。 そして、彼に言わせれば、知識人が権力サイドの主張の方に妥当性を認めることは「迎合」「屈服」「何も考えていない」ということと同義なのだ。 以下は推測だが、サイードは、力によって目を曇らされない限り、思考力ある人間ならば誰しも自分と同じ結論に達し、同じ主張を行う、と信じ切っているのではなかろうか。 だからこそ、彼は湾岸戦争について「(前略)戦争と、それに付随する殺戮という目標を回避できたであろうべつの選択肢をしめすことこそ、当時、知識人が果たすべき責務であったのだ。」(p48)と言う。彼が何らかの思惟を経て湾岸戦争に批判的な見解を抱くのは自由である。しかし問題は、彼以外の知識人もまた、彼と同様の見解を抱かねばならないという点にある。 こうした知識人の最大の問題点は、自分たちのような「反=権力」「反=政府」の思想が知識人界においては圧倒的多数を占め、主流化し、力を握るようになっているにもかかわらず、その力の存在をひた隠しにし、自分たちこそは少数派、弱者であると言いまわっている点にある。今日のように、警察が権力批判者を刑務所にぶち込むことなど考えられない先進国では、知識人にとっての「権力」というのは、まさしく知識人の世界において自分の居場所をどれだけ安定させられるか、という点にかかってくる。そして、今日の知識人界がまさに「反=政府」で主流をなしている以上、まさしく「反=政府」的なサイドこそが権力サイドなのである。権力の側の主張を行うなとは言わない(これはすでに記した通り)が、自ら権力の座にいながら、他人を「権力の手先」と罵るのは愚劣極まりない。
読んで人生が変わる若人もいるでしょう
BBCの番組の原稿をもとに書籍化されたものらしい.哲学書を少し噛み砕いて一般向けにしたような内容である.「知識人とはなにか」ではなく「知識人(ほぼインテリと同義)はどうあるべきか」を中心に述べた本ではあるが,実業や統治を行なう立場の人は本書が論じる知識人からはほぼ除外されているようだ.教育者,研究者,作家が念頭におかれているように思える.知識人のあるべき姿の他には,歴史的な話や著者の経験に基づく話が色々と散りばめられている.中身は非常に濃く,内容もよい.ただし,読みやすさについての配慮(とくに予備知識不足に対する配慮)はほとんどない. 僕なりの言葉で本書の内容を解釈すると,著者が主張するあるべき姿とは, ・知的な面でマゾ的なまでに誠実である. ・エスタブリッシュメントを説得力をもって平然と批判する. ・専門家としての能力はおまけであり,幹の部分は内的な動機やアマチュアリズム. ・リスクを自分で背負う. ・非俗で抽象的なものに高い価値を見出す. あたりになる.もう少しかいつまんで言うと「知的で一貫した言論により社会にフィードバック機能をもたらす者」あたりだろうか。僕はインテリの範疇には入るけど,著者が主張するあるべき姿をとれるほどの精神的な強さや知性があるかというと,そこまでの自信はない.著者の理想と僕の理想は近いものの,残念ながら今の僕は少々パワー不足のようだ.また,さらに残念なことに,著者が理想とする知識人の態度というのは,大抵は経済面や人事面で物凄く不利なのである.ただし,この不利益は充実した人生という意味では必ずしも不利とは限らない.
知識社会化の進行で専門家が増えて知識人の居場所は狭くなる。けれども知識人は批判者、代弁者であり続けなければならない。
知識人に踏みえを迫り、体制の批判者、虐げられたもの、忘れ去られた者の代弁者でなければ貴方は知識人ではないと訴えている本。確かに日本にはそういう知識人が昔から少ないし、今まさに死滅しつつある。また「専門能力が直接的な関心事の外にあることをみえなくさせ、人を特定の権威なり規範的な考え方だけに迎合させるp.127」という問題は知識人ならずとも心しておくべき。内容はとてもわかりやすくシンプルだが、根拠に取り上げている文献が膨大(丸山真男まで出てくる)、知識人はこれだけ幅広く本を読んでいるものなのか。知識人候補でない我々には、知識人でない「ただの知識の売人」の見解には敬意を表さなくて良いということが解るという点で読む意味がある本。
知識社会化の進行で専門家が増えて知識人の居場所は狭くなる。けれども知識人は批判者、代弁者であり続けなければならない。
知識人は、体制の批判者であり、虐げられた者、忘れ去られた者の代弁者でなければならないと訴えている本。確かに日本にはそういう知識人が昔から少ないし、今まさに死滅しつつある。また、「専門家能力が直接的な関心事の外にあることを見えなくなせ、人を特定の権威なり規範的な考え方だけに迎合させるp.127」という問題は知識人ならずとも心しておくべき。内容はとても解り易くシンプルだが、自説の根拠として取り上げている文献があまりに幅広い(丸山真男まで読んでいる)知識人はこれだけ沢山の本を読んでいるものなのか。知識人候補でない我々凡人にとっても、ただの「知識を切り売りする人=専門家」と、敬意を表すべき知識人を見分けることを教えてくれるという点で有益な本。
知識人のあり方を通して自己のあり方を問う
私とこの本の出会いのきっかけは、数年前にとある大学教授が退官にともなう記念に実施された最終講義にさかのぼる。その教授は、その最後の姿を見届けようと集まった教授や生徒を前にして、ご自身の生い立ちや研究とその成果を語り、講義の最後にこの本に触れ、この内容にいかに触発されたのか、そして退官後はこの本を基準として「周辺的知識人」になるために日本を飛び出して生活するつもりだと、具体的な人生設計までをも語っておられた。そして「是非みなさんも読んでいただきたい」と勧められ、講義は閉じられた。 その教授を知識人とするなら、私なんかはもちろん「知識人」と呼称されるに到底及ばない存在である。しかし、この本が投げかける数々の問いは、鋭く自分につきささったのも事実であるし、「知識人」と自認しなくても、これを通読した多くの人もそのような感覚を得たのではと思う。そして悩む。知識人はいかに存在し、誰をどのように表象するべきなのか、誰に向かって主張を訴え続けるべきなのか。特に、自国の犯罪行為には目をつぶって、他国の犯罪行為に対しては糾弾し断罪 |