2010年09月03日(金) 戯曲・シナリオの第1位は
『父と暮せば (新潮文庫)』!
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【くちコミ情報】
死者を思へ
劇の構造を述べることは種明かしになってしまうので止すとして、死者を思う心、人間の聖性、分裂した自己の救済などといった主旋律が見事な重奏となって胸を打つ。正直ノーベル文学賞ものではないかとも思う井上戯曲の見事な達成である。読めば分かる。 「あの二個の原子爆弾は、日本人の上に落とされたばかりではなく、人間の存在全体に落とされたものだと考えるからである。あのときの被爆者たちは、核の存在から逃れることのできない二十世紀後半の世界中の人間を代表して、地獄の火で焼かれたのだ」(作者の前口上、5頁)。 「わしゃのう、おまいの胸のときめきから、おまいの熱いためいきから、おまいのかすかな願いから現れよった存在なんじゃ。そいじゃけえ、おまいにそがあな手紙を書かせとってはいけんのじゃ」(97頁)。 今度二人が逢うのはいつの日か。「しばらく会えんかもしれん」(106頁)が、「おとったん、ありがとありました」(同頁)という感謝の気持ちとともに、彼はいつでも其処におるのであろう。
10年間の苦闘の結実
この作品をメディアはよく反戦ものとして取り上げるが、それは彼らの勝手な都合によるもので、むしろメディアのエゴに利用されているのが本当のところではないだろうか。作者である井上ひさし自身も、本当に主張したいことは犠牲者たちへの「鎮魂」なのであり、「祈り」なのだと思う。実際、現在どれほどの国民が当時の犠牲者たちのことを考えるだろうか。年に一度の式典も、本来の目的から外れお祭りさわぎと政治活動の一環になってしまっている始末。反戦、戦争はいけない、そんなあたりまえのことを口にしておしまい。作者もテレビ出演などのコメントでは、そのことは一言も言ってはいない。むしろ、戦争のことは歴史の流れの必然のこととして、あまり多くは語っていない。あるいは、最初からそのことは自分の役割ではないと思っていたのか。作者がこの作品にこめた思いは、「知ってほしい」そして、「賢く生きてほしい」に尽きるのだと思う。自分の心のなかに原爆を落としてみるしか、彼らのことは理解できない、そう考えて10年の歳月の末に完成されたのがこの作品。
作者がDV加害者だとおもうと、何を偉そうに、と思う
逮捕されてもおかしくない、壮絶なDVをくりかえした男が、何を偉そうに平和主義だ、と思う。 作者はただの偽善者
作家の魂
前口上が付されています。そこで井上ひさしさんは原爆にこだわりつづけてゆくことを宣言されています。原爆は日本人だけに向けられたものではない、人類に落とされたものである。この短い戯曲を読み進むうちに、目頭に熱を感じました。世界で唯一つの被爆国である日本。その日本は昭和20年以来一度も戦争を行っていません。これは繋がりがあるのではないでしょうか。原爆が落とされるまで「負け」を認めない民族だった日本人は、占領したアメリカを憎みませんでした。日本人が憎んだのは、日本国民を戦争に駆り立てていった不吉な軍国主義であり全体主義であり侵略思想であり歪んだ正義感だと思います。アメリカ軍がやってくるまで日本は軍部に占領されていました。戦争を行うものの本性を見たのだと思います。どんなことがあっても戦争をさせてはならない、というのが昭和一桁の心ある作家の戦後の闘いであったのではないかと感じます。たった一人取り残された広島の女性が語る日常の会話の中に、底知れぬ悲しみが秘められています。
明るく、静かに深い悲しみ
原爆の記憶を持つ親子の、というよりは 人類愛の戯曲といったほうがいいかもしれない。 もはや人間の力をはるかに超えた原子爆弾という 圧倒的な暴力は、人間を人間でなくする力を持っていた。 その忘れたい記憶を、必死に乗り越えよう、そして 悲しみを超えた体験を次の世代に引きついでいこうと闘う 人間としての生き方。 久しぶりに、泣いた。 こんなに短い文章で、しかもこんなに 明るくリアルにヒロシマが描けるなんて。 原爆といえば、小学校の修学旅行で行った 原爆ドームを思い出す。 たしかに、日本にしかない原爆体験は貴重なものだ。 もう一度、原爆ドームを訪れたくなる。 読み終わって、憲法9条の有難さにふるえた。
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【くちコミ情報】
心理学的分析に見てみた
「死ぬべきか、生きるべきか、それが問題だ。」というように、 人間に内においてエロスとタナトスが対立し、戦っている。 そしてその戦況を自我は欲動として感じとり、超自我を睨みならがも行動に移そうとすると曳地康は思うのね。 でね 戦況がタナトス優勢である場合にはエゴイストと呼ばれる人間であっても、 自己破壊につながる事物を欲してしまうわけだと華麗に曳地康的解釈。 そして我々はまだまだ無知であるし、ある欲動に基づく行動が破壊的であるのか生産的であるのか判断しかねる場合に日々多々遭遇する。 つまり悪いとも良いともわからない欲動が超自我の監視を素通りし、素直に行動に移されているわけだ。 未だに、人間は大いに原始的であり、生きるべきか、死ぬべきか、 と無意識に問い続けている自他双方に対して危なっかしい存在なのだ。 人間は決してエゴイストになりきれるほど賢くない。 多分一度読み終わってから見て貰えればこのレビューの意味分かるよ
シェイクスピアのテーマバランスの良さ
例えば、誰もが人生において抱え育てるべき家族の絆という重要テーマ、基本的には人生の歩みに応じて、以下の3つに分けることができるわけだが、 1.この世に生を受けた段階から始まる、親との絆 2.自分が大人になり、伴侶を作り関係を育てる、伴侶との絆 3.さらに、自分とその伴侶とが親になって、子を産み育てる、子との絆 そこはシェイクスピア、それぞれの家族の絆に応じて、それらをテーマに取り込んだ名作たちがきちんと用意されている シェイクスピアの名前と作品たちが、時代を超えて広く人々に語り継がれ受け入れられるだけの理由は、こういう普遍的なテーマバランスの良さにもあるだろうね 1.ハムレット 2.オセロー 3.リア王 こういうことを意識しながら上の3作品を読んでみるだけでも、大きく人生について俯瞰できるし、考えさせられることはあると思うよ
どんどん読めてしまいます
会話文の緊張と緩和が生み出す脈々としたリズムのおかげでどんどん読めてしまいます。登場人物らそれぞれの機知に富んだ言い回しもとても楽しい、というか名ぜりふ連発で気分がすっとしてしまうくらいです。 全体として読んでさっぱりとした印象を受けるのは、この作品は戯曲であり、ハムレットを主として登場人物たちはただひたすら自分の人生(役)を演戯しているかららしいです。他の純文学作品の主人公には心理的な一貫性があるのに、この作品のハムレットにはそれがないという所がミソです。しかしそれでいてドフトエフスキーなんかの小説と比べて「軽い」という訳ではなく、十分に「あつい」し気持ちが良い。
名作に触れる
シェイクスピアといえばハムレット。 ハムレットといえばシェイクスピア。 この作品は殺人・復讐・狂気・報復といった人間の負の感情の表現が秀逸である。 時代を超えて語り継がれる本の手本だ。 値段や、本が薄くて持ち運びに便利なのもうれしい。
軽快で読みやすく舞台を連想させる翻訳。
福田恒存氏の翻訳文は、とても軽快で読みやすく舞台を連想させるものでした。あとがきに、シェイクスピアは、古典文学とする翻訳の仕方もあるけれども、戯曲翻訳として日本人が声を出して読める翻訳でなければならないというお考えが記されています。「TO BE OR NOT TO BE」にどのような日本語を付したか。ハムレットを読むときの楽しみでもあります。
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【くちコミ情報】
セリフひとつひとつにすごく勢いがある
見た目は醜いが、心優しい詩人であるシラノ。美青年だが、中身は空っぽのクリスチャン。 二人はともに、ロクサーヌに恋焦がれていた。 当のロクサーヌは、クリスチャンの美しさに心奪われている。 シラノは自分の気持ちを押し殺し、クリスチャンに台詞をつける代役として協力するのだが・・・ さすがは、一世紀以上も講演され続けている戯曲。もう、設定からして惹かれる。 そして、半ば想像通りのシナリオにも関わらず、終盤の盛り上がりが異常。鳥肌モノです。 各人のセリフひとつひとつにすごく勢いがあり、引き込まれた。 その裏にある想いを想像すると、もうダメだ、泣けてくる。 今読んでもなお、色褪せない不滅のテーマですね。 戯曲なので、小説などに比べると、テーマがはっきり前面に出ている。 読み慣れていない文体だったので、最初は面食らいましたが、慣れてくるとすごく読みやすい。 会話のリズムが心地よく、一気に読めました。 おすすめです。
シラノの心意気
舞台でシラノを演じたことのある尾上松緑が、この「シラノ・ド・ベルジュラック」が日本人に好まれる理由として、「武士道」と「歌舞伎」と言う二つの日本的な伝統に通じているところがあると語っているそうです。 確かに、高潔さや名誉を重んじ、しかも自己犠牲的な部分もあり、動きに歯切れの良さがあり、精神的にも気風の良さがあります。 このあたりは、原作の「アレクサンドラン定型詩句」を訳者が工夫されたこともあるでしょうが、ロスタンの原作自身の持っているテンポの良さが生きているのでしょう。訳者はそのあたりを「シラノの言葉がスイングする!」と言っています。 いずれにしても、シラノの心意気が全編から伝わってくる素晴らしい戯曲だと思います。 更に、この本には訳者の丁寧な「解題」が載せらており、それも楽しく読むことが出来ました。
結ばれない運命
世界で最も知られているフランス演劇であり日本でも何度も演じられている古典を、原作に忠実に、リズムとスピードを重視して訳した最新版。17世紀フランスの詩人かつ剣の達人だったシラノの片想い。 大きな鼻にひけめを感じているシラノは、仲良しの従妹ロクサーヌへの想いを諦め、二枚目の若者クリスチャンの「代役」として愛の詩を送り続ける。自分の心情を偽りつつ、しかし、手紙では本心をつづる。外見よりも愛の言葉にほれていくロクサーヌと、それを知って悩むクリスチャン。その結末は。。。。くーっ!シラノの片想いも切ないが、クリスチャンも切ない!言葉と声に真実が宿るロマン主義の極地の物語であり、身近にある愛が結実するかしないかをめぐるメロメロなメロドラマ。 掛け合いのようなセリフ分割や時に七五調のようにも聴こえる心地よいリズム。周囲の男たち女たち(とくに「ガスコン青年隊」といわれる仲間たち)とのやりとりもおもしろい。一気に読んで泣きましょう。
韻文を踏まえた切れのよい日本語に
「良く出来た商業演劇だが通俗的」と悪口を言われながらも、フランスで大人気を博した理由は、やはり主人公シラノのキャラにあるだろう。シラノは、鼻が大きいという容貌コンプレックスのために、恋い焦がれる女性への想いを心中深く隠し、彼女に恋する親友の恋が成就するように彼を全面的に援助する。親友が戦死した後も自分の恋を隠し続け、15年後に修道院で彼女がシラノの片思いを知った時に彼は死ぬという純愛物語。原作(1897)は時代がかったアレクサンドラン(12音節詩)で書かれており、見栄を張った、きっぷのよいシラノの科白が、渡辺氏の新訳で生き生きと再現されている。複数の異なる人間が語り継いで12音節にするのだが、渡辺訳はそれを「韻文分かち書き」にする。その「分かち書き」は紹介できないが、第4幕、恋する女性ロクサーヌの「醜い顔でもいいわよ」という言葉を、藁をもすがる思いで聞き返すシラノとの対話を、既訳と比べてみよう。「(シ)(夢中になって)恐ろしい顔をしていても? (ロ)ええ恐ろしくっても! (シ)妙な顔をしていても? (ロ)妙な顔をしていても!(シ)グロテスクな顔をしていても? (ロ)私にとっては、どんなものだって、あの人をグロテスクに思わせることはできませんわ! (シ)そうなっても、まだあの人を愛するというのですか? (ロ)そうなればなおさら恋をしますわ!」(辰野・鈴木訳、岩波文庫)。「(シ)(熱っぽく)おぞましい顔でも? (ロ)おぞましい顔でも! (シ)二目と見られぬ? (ロ)二目と・・・ (シ)グロテスクでも? (ロ)ありませんわ、あの人をグロテスクにするものなどは! (シ)そうなっても、まだあの人を愛すると? (ロ)ほとんど今まで以上に!」(渡辺訳p320)。渡辺訳は切れがよい。
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【くちコミ情報】
読み終えた後、もう一度筋を反芻したくなります。
シェイクスピアの物語は、いろんな場所や場面で出くわしますので、何かのきっかけで突如がむしゃらに読みたくなってくる時があります。突然、牛丼が食べたくなったりハンバーガーが欲しくなったりするのと同じような欲求なのでしょうか。この作品を読んでみて感じたのは、文学とは自分自身を映してくれる鏡のような存在でもあるのだな、ということです。若い時期に感じるのは、命さえも惜しくない若者の恋心への共感や仇同士の家に生まれた悲しみに他なりません。月日が経って感じたのは、若者の恋は周囲をを見えなくしてしまうほどの危険と滑稽を孕んでいることや、年寄りはいつの世も若者の邪魔ばかりしている、といったことでした。悲劇的に感じるよりは、人間というものの喜劇性、愚かさがより強く印象として残りました。そして、翻訳者のご苦労も感じ入りました。それは、18ページにも渡る「注」で確認することができます。古臭い表現や仏教用語が使われたり、変な感じを受ける訳もないわけではなかったのですが、注を読むと、意図するところが理解でき、好意的に読み進むことができました。次にこの作品を読んだとき、また違った風に語りかけてくれるように思えます。読み終えた後、筋を反芻してしまう作品です。これがシェイクスピアの魔法なのでしょうか。
有名すぎる悲恋
あまりにも有名なこの作品。 展開は知っているけれど、ロミオやジュリエットが どんな風に話すのか、周りの人間がどんな人物像なのか、 知らないこともたくさんあって、 わかっていながら案外楽しめたと思う。 特に、ジュリエットの父が、彼女の結婚を勝手に決め、 彼女が断る場面が面白い。 父の取り乱しようときたらない。 あそこまで子供みたいに怒るとは、 まさしく子供の様。 母の冷たさもさることながら。。 結局は自分たちに悲劇が降りかかってくる。 ロミオとジュリエットは、彼らに反省を促すための 駒にすぎなかったのかもしれません。 また別のシェイクスピア作品を読んでみたいと思った。
引き込まれます。
ロミオとジュリエットの悲劇的な恋愛が描かれています。 「ロミオ」がモンタギュー家の「ロミオ」でいなければ・・・。 訳(文章)に関しては、とても読みやすく、 読んでいて、どんどん引き込まれていくものでした。 あくまで個人的な感想ですが、 ストーリー展開は、 ありきたりなものでしたし、 ロミオとジュリエットの恋愛は、 青臭く、子どもっぽい印象をうけました。 おもしろさはわかりますが、 私の趣味には合いませんでした。 趣味が合えば、繰り返し読みたくなると思いますが、 評価としては、星4つとさせていただきました。
劇としての魅力
仲の悪い二つの家のひとり娘とひとり息子が恋に落ちたら。 シェイクスピアの時代よりも古代からある物語のテーマを、シェイクスピアがテンポ良く演劇用に構成しなおしている。 分かりやすい象徴的な性格設定の人物を配して、テンポのいいセリフ回しで、劇的効果を狙っている。ロミオとジュリエットが出会ってたった5日間の短期間の物語に時間設定を変更している。 ここのところは翻訳者である中野好夫氏が解説しているので読んでみるとおもしろい。 現代風の小説を読むようにして読むと、型にはまりすぎているようで、面白みがなさそうに感じてしまうが、劇を見ているような気持で読むと、はしばしの演出がなるほど舞台映えしそうだなと感心してしまう。 この翻訳版では、こみいった地口、シャレの部分は、直訳ではなく、日本語を使ったシャレの形で翻訳者が雰囲気の再現を狙っている。これはこれで、変な直訳の文章を読まされるより良かった。
喜劇
これは喜劇の要素が強いと思う。 シェイクスピアには4大悲劇がある。ハムレット、リア王、オセロ、マクベスだ。この4つも各々味わいは違うが 一応 人間の愚かさを見据えている点が共通している。シェイクスピアの悲劇とは 「登場人物が可哀想」という事ではなく「人間が不毛である」という突き放した視線にある。彼の悲劇くらい 泣けないものはなく 暗澹とするだけである。 それに比べると シェイクスピアの中でも人気の高い本作は 喜劇である。簡単に言い切ってしまうと 誤解したカップルが頓死するどたばた劇ではないか。この話であれば 人間の不毛性というよりは「登場人物が 間抜けだけど まあ 可哀想」ということかと思う。人によっては泣けるでしょう。 すくなくとも 書いているシェイクスピアが 冷笑しているような気がしてならない。
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井上ワールド最後の傑作
井上ひさしの最後の戯曲作品にしてついに小林多喜二が登場した。多喜二を他の作家が書くと言えば三浦綾子の「母」が有名であるがここに登場するのは姉佐藤チマと恋人田口タキ(文中では瀧子)そして妻とされる伊藤ふじ子である。瀧子とふじ子の関係やなぜ恋人と結婚できなかったかの理由がここで明らかになる。スパイMによる大森銀行ギャング事件の真相、多喜二虐殺に至る真相までが 多喜二以外のとりわけ当時の特高警察官によって語られる姿は井上ワールドの中の真骨頂といっていい。いずれにしてもこのような戯曲を私たちは二度とみることはできないのだ。
さよなら、井上ひさしさん
云うまでもなくわれわれは、客観的事実として1933年の小林多喜二の非業の死を知っている。しかし、ここに描かれた群像劇そして小林多喜二像の何と軽やかなことだろう。歴史から目をそらすことなく、事実は事実としてこれを直視し徹底的に踏破しつつも、それを怒りではなく(怒りは結局何物をも生まないことが多い)笑いへと昇華させるその手練手管。笑いこそが、希望そして未来へと結びつくことの見事な実践。井上戯曲の見事な達成。いわば、劇の構造そのものが、氏の哲学そのものであるかのようである。 なお、帯の惹句に「井上ひさし最期の傑作戯曲」とありますが、これはやはり「最後の」が正しいのでは?
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復讐か、欲望か。
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王位になることを望んでいた武将は、荒野で出会った三人の魔女の奇怪な予言と夫人の教唆によって野心を実行に移していく。野心に従い王位を奪った後、王位を失うことに対する不安から次々と血に染まった手で罪を重ねていく。 手に入れられない事に対する恐怖と失う事に対する恐怖。どちらの方がより人を蝕んでいくのでしょうか。 「その手は食わぬぞ、運命め、さあ、姿を現わせ、おれと勝負しろ、最後の決着をつけてやる!」
名著というけどほんと暗い
読むと気分がめいる。 言葉のいいまわしはかっこいいです。
シェイクスピアをはじめて読んだ
シェイクスピアの作品をちゃんと通して読んだのは始めてだ。 三魔女のそそのかしに逆らえないマクベスの弱さが生む簒奪劇。 王権を手にしつつ自分が殺したダンカン王や同僚の武将バンクォーの死霊に悩まされる。 三魔女の存在が暗示するものは、マクベスの野心という名の内なる力と、自分の力ではどうすることもできない運命という外的な力の二つがあるような気がする。 内からも外からも誘惑に負けやすい人間というものをよくあらわしている物語だ。 読み物としては、難解でもなく、テンポもいい。セリフ回しも歯切れがよくて舞台にかけるにはピッタリだ。 むしろ解説の方が難解に感じた。 まぁ、言ってることはなんとなくわかるけど。 とにかく「ハムレット」が対比に使われている。 そうか、そのうちハムレットも読んでみることにしよう。
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戯曲にしちゃうと何がなんだか?なコントもあるけど、 そんなの気にならないほど言葉遣いが器用で予測不可能。 DVDを見て、アドリブだと思っていた箇所が台本どおりだったり 見比べるのも面白い。 そして小林賢太郎が片桐仁を愛していることがよくわかる(笑) 学生時代からラーメンズの舞台美術担当のニールセンさんの図版も味があって好きです。 「王様」の王冠は、プラスチックの植木鉢!
追体験として、或いは読み物として
ラーメンズの最近のライヴ「study」「ALICE」「TEXT」のコント戯曲集。 過去のコントから一歩踏み出し、洗練され続ける小林賢太郎のコントが味わえます。 ライヴ会場に一歩足を踏み入れた瞬間に感じるのは ラーメンズの表現方法は一種のインスタレーションなんだなぁという事ですが、 そんなラーメンズの戯曲を読むというのはライヴを追体験して復習して ニヤケる為だけではなく、そのベースとなった素材をじっくり味わう楽しみがあります。 今回のコントは言葉の比重が比較的多いために戯曲で読むのには適していると思います。 その上、小林、片桐各氏に当て書きで書かれているので非常に読みやすい。 大真面目に、必死に一生懸命に、脳細胞をフル回転して 絞り出された素晴らしくバカバカしいコントの世界。 そんな小林賢太郎ワールドが楽しめます。 「ラーメンズって気取ってねーか?」って思っている方も必読。 ケンブリッジブルーを知らなくてもS・ベケットを知らなくても トートロジーを知らなくても、全然関係ないし大丈夫。 どんなボキャブラリで語られようと要するにバカバカしくて 面白いとっても素敵なコント戯曲集です。 次回作がよりステキで素晴らしいものであることを期待しての ★−1。 DVD等で観る方は、戯曲と収録映像との違いを楽しむ事もできます。
また見たくなる!
読んでいると、実際のコントでの二人の表情や動きなんかが思い出されて、思わず笑っちゃいます。 また、台本の状態から実際の公演までにどれだけ変化したか比べるのも楽しいです。 特にバニー部は暴走っぷりがよく分かります(笑) 他三冊よりページ数が多くなってます。 ラーメンズにおける「言葉」の重要性がさらに増している証拠でしょうか。 何にせよ、またDVDを見てラーメンズの世界に浸りたくなること請け合い。 買おうか止めようか思っていた方、買って損はありません!
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3次元空間がぐにゃりと歪む感覚
私はシェイクスピアを読むことは得意ではない。強く激しい情緒が、私には刺激的すぎて、自分の様々な体験を思い起こしたり、心の底から揺さぶられたりして、苦しくなるからだ。『夏の夜の夢』も同様であった。しかしもう一度読んでみた。すると、楽しくさわやかな気持ちになると同時に、私たちの4次元空間がぐにゃりと歪むような感覚に陥った。今自分のいる場所が、夢なのかうつつなのか、その中間なのか、私の思考や感情は、私のものなのか、妖精のいたずらなのか、、、。それらが、単なる想像の延長線上にある、うたかたであり、まやかしであったとしても、それは閉塞感でも絶望感でも孤立感でもなく、シェイクスピアの手にかかると、人間のおかしみとして感じられたのが、味わい深かった。
今の季節にぴったり
妖精の女王タイターニアと、人間の世界の恋人たちに 妖精パックが魔法をかけるが、手違いで奇妙なことになる「夏の夜の夢」と、 追い落とされたかっての王が、元の地位につこうと魔法をふるい、 その娘と、互いにひとめぼれした王子の恋が すべてを大団円に導く「あらし」 二話とも、人間の世界と魔法や妖精の世界がまじりあう幻想的な雰囲気と 登場人物たちの心情のリアルが 美しい文でしあげられています。 ちょっと強引な大団円ですが、あらしのラスト、エピローグは ちょっとした仕掛けになっていて、すごく好きです。 今の季節に読みたい一冊です。
「身の自由」とは
『夏の夜の夢』は素敵な戯曲です。四人の若き 恋人達のドラマ、妖精たちの幻想的な物語、そ して職人達の芝居修業という、三つの筋が夏の 夜の森の中で展開します。 タイターニアに仕える妖精、豆の花・蜘蛛の巣・ 蛾・辛しの種が可愛い。 読み終えると「ハーモニー」の感覚が、読者の 心を満たし、「幸せ」を実感させてくれます。 子供の頃、『あらし』の和訳を読んだ時、ラスト でプロスペローが魔法の杖を折ったことに、「何 故?」と思ってしまいました。 「昔の悪事を許された人たちが、これから翻意し たらどうなるだろう!近く結婚するミランダと ファーディナントの為にも、魔法の杖を持って いるべきでは!」等と考えてしまったのです。 今思うと、当時の自分の感想が恥ずかしいです。 プロスペローは自分の意思で杖を折った。 魔法の使い手でもなければ、妖精を自在に動かす 存在でもなく、有限な存在である自分自身を受け 入れたかったのだとしみじみ実感しました。 そこに彼が最後に求めた、「身の自由」があった のだと思います。 作者シェイクスピアが単独で書く戯曲としては これが最後。プロスペローに自己の心境を託した ことが窺えます。
妖精の信じられないリアリティー
「夏の夜の夢」にも「あらし」にも、妖精が出てくるが、 それが現実にいるかのようなリアリティーがある。そ して、どちらの話もハッピーエンドで終わるのが、う れしい。シェークスピアの目には、妖精が、魔法が、 見えたのではないかと思ってしまうほどのできばえである。
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【くちコミ情報】
コンピュータ時代を逆照射する問題作
ファウストは世界の神秘を窮めつくすために、古今の哲学書を読破、錬金術の研究・実践によって自然のあらゆる秘密を探求しようとした。だが、人間的認識の限界に挑戦したこの「知の巨人」は、自然の中に生命の躍動を感ずることができない。生の歓喜へのやみがたい欲求を満たすために、認識への野心を捨てて「悪魔」メフィストに魂を譲り渡し、善悪の観念にとらわれない行動の自由を得て、生気あふれる官能の歓びに酔うが、それは彼を新たな「牢獄」の苦しみに陥れるー ファウストにおける「錬金術」を、愚かな迷信というなかれ。それは今日の科学に相当する。いや、近代の科学者が一線を画した「超科学的」領域への探求を含むと言うべきか。コンピュータの飛躍的な進歩によって、いかにデータの厳密な吟味と精密な解析結果を誇っているにせよ、今日でさえ科学は人間のプログラムに従った計量・計測・計算の域をでない。「この世をもっとも奥の奥で動かしているものは何か..すべての生あるものを動かしている力はなにか、そのもとはなにか?」というファウストの根源的な問いに、科学的方法のみで答えることはできないからだ。 メフィストはファウストをからかって言う。「人間界はバカ者の小宇宙であって、いつも自分を一つの全体のように思っているが、こちら[メフィスト]は部分の一部でありまして、はじめは一切であったところ、のちには闇の一部になりましてね。」この「悪魔」は、自分の方が人間より謙虚だというわけだ。 ことは科学のみにとどまらない。ファウストは、聖書に言う「初めに言葉ありき」を否定して、「初めに行為ありき」の立場を取る。だがそれは、〈生きること〉と〈認識すること〉がついに一致し得ないディレンマを証し立てる結果になり、人間のこの世における位置と運命を改めて浮き彫りにしていると言えるだろう。恋の陶酔もつかぬ間、第一部の結末で、母と子を殺した恋人マルガレーテの悲痛を、ファウストが我が事と感じ、己の罪深さに茫然とたちすくむところに、そのことがもっとも見事に描かれている。だがメフィストを導師とするファウストの旅は、まだ終わっていない。彼が囚われていた自我の牢獄を脱して、蘇生しうる可能性が暗示されているのだ。 池内紀訳は、原文の詩形式にとらわれず、より自由な日本語の散文形式によって、スピード感とリズム感を重視した名訳である。おそらく上述したような現代の状況を写す鏡としての意味合いを、この古典的名作に読み取ったのではあるまいか。
読みやすさ抜群、だがもう一歩奥を!
鴎外の名訳があるというので、高校生時代にファウストに初挑戦したが、なにが面白いのかわからなかった。先生に話すと、受験とは関係ないなと言われた。大学生時代だったかに相良訳のファウストが岩波文庫で出たというので読んだ。内容を掘り下げるのに苦労した。自分でも読み方が不十分と思ったし、ゲーテに対する一般的評価とは違いすぎるなと思った。その後、中央公論から手塚訳(手塚富雄訳のことで、池内訳2巻の末尾に出ている手塚治虫の漫画とは別物)が出た。これは面白かった。たしかにファウストは(そういわれるからかもしれないが)、特に第2部が奥が深いなと思った。そして、別の契機から「新訳」というのに興味がわいて、池内訳を読んだ。今までのものとの違いに驚いた。わかりやすさは格段上だ。ただし、この訳を最初に読んだとすると、ゲーテの深みが出ない感じもする。一語一語を理解するのに考えながら読んだ過去のファウストに比較すると、池内訳は「斜め読み」さえ可能である。これは、過去とは違って、時間にゆとりも出来て、ゲーテの「イタリア紀行」を携えながらナポリからパレルモへ船で渡ったり、ヴェネチアを楽しんだり、ギリシャ神話の母国やトロイ遺跡へ行ったりした後で読んだから、よけいにわかりやすかったのかもしれない。ちなみに、シチリア島のパレルモを歩くと、ゲーテの時代を感じることが出来るから面白いものだ。この池内訳は、活字離れの進む今の若者にはいいだろう。ファウストの粗筋を知って、手塚訳か相良訳に挑戦してもらうとよけいにいいと思う。特に、全てを「金銭」で判断したり、片づけようとしている今の日本の社会を見ると、多くの人(若者も高級官僚も政治家も)にファウストを読んで、考えて欲しい(特に第2部)。なお、池内訳では解説が素晴らしい。挿絵は断然、文庫ではない手塚訳のものだ。★4の理由は、新しさ(読みやすさ)と豊富な内容の解説への高い評価に、これだけではゲーテを理解するには不十分であることと挿絵のまずさのマイナス点を加えたものである。
積ん読だったけど、読み終わった。読んでみるべきです。
“ファウスト”積ん読の一冊だったのに、読んでしまった。 池内訳の散文は一気に読めたし、山本容子の銅版画のイラストもぴったりだと思った。 前半は、戯曲という形式と、神や悪魔などを受け入れるのにちょっと戸惑ったが、霊液で若返り、マルガレーテにいいより思いを遂げるファウスト。そのためにマルガレーテは、ファウストに兄を殺害され、母は死に、妊娠。産まれた赤子を殺し、獄に繋がれる。彼女に救いはあるのだろうか。最後の場面には、感動した。 読むきっかけとなったのは、北村薫「スキップ」のなかに「時よ、とまれ、おまえは美しい」の「ファウスト」の詩句を読んだことにある。 古典とは、さまざまなものに影響を与えているのだ。人間は何時の時代も変わらない。読み返すほどに奥が深いと思う。
わからない・・・
作品がすごいのはわかります。というか有名なのですごいのはわかるんですけど、僕の頭ではよくわかりませんでした。 恋したり、悪魔がでてきたり、本から学んだ云々というがあった気がしますが・・・いまいちよくわかりませんでした。急に歌いだすのも外国文学ならではでしょうが、歌もなんとなく理解はできても感じることはできませんでした。 まだ未熟だからでしょうか・・。 またいつか読んでみようと思います。この本ハードカバーでメチャクチャでかいです・・・ 文庫版にすればよかった・・・・
今までに無い素晴らしい訳本
ファウストと言えば、相良守峯先生の名著と思われている方にも是非ご一読をお薦めしたい。 深くを追求するには、あまりにも困難きわまるゲーテであるが、このような訳が可能であるのかと、驚きながら一気に読みきってしまった。 本来の文章を追う訳本である場合、言語差による面白みの欠如からどうしてもストレスを感じてしまうのだが、異国への憧れ、人の本質、著者の伝えたいイメージがぐぐっと押し寄せてくる感じ。 ゲーテは難しいと苦手意識のある方にも安心して薦められる。少しの西洋史か神話の知識があれば、青少年にも楽しめる内容であると思う。 個人的に、挿絵のイメージが異なり星4つとさせて頂いた。
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