Kenchiku Publishing NEWS Thank you for your access...  宿検索.com
建築作品データベースpocket NAVI. 建築求人ケンチクジョブ! 建築・建設技術者のための出版物ニュース 建築作品データベースpocket NAVI.-最新情報・更新情報 サーチエンジンArchi Engine 構造設計ツール
 

 
         


   歴史・地理 の売れ筋最新ランキング   [2010年09月03日 12時20分]
13,297ページ中 44ページ目を表示しています (431440件) あとで携帯で見る


おすすめ度

関連のオススメ商品
海の都の物語〈3〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)
海の都の物語〈1〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)
海の都の物語〈4〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)
海の都の物語〈5〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)
海の都の物語〈6〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)
海の都の物語〈2〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)
塩野 七生  
¥ 380(税込)
在庫あり。
ジャンル内ランキング:40,737位  
カスタマーレビュー数:5

くちコミ情報
独裁を徹底的に阻止した国、ヴェネツィア
本書を読んで、最初に驚くのは、ヴェネツィアという国の、徹底して独裁者の出現を阻止しようとする、いささか神経質とも思える程の、慎重な制度設計についてです。 詳しくは本書を直接読んでもらいたいのですが、ここまで、集団指導体制の構築・維持に腐心し、そして成功した国は、古今東西を見渡しても、他にはないのではないでしょうか。 今の国々にも、充分に参考になると思われます。その合理性には、驚嘆するばかりです。
ヴェネツィアの商売と独特の政治体制
文庫第2巻はヴェネツィアのヴェネツィアたる特徴を、その経済と政治に求め解説していきます。 第3話のタイトルはそのまま「ヴェニスの商人」。そうだ、そういえば、かのシェークスピアが書いたのは、まさにヴェネツィアの商人だった…とはいえ、塩野氏がその行動や考え方を紹介する現実のヴェネツィアの商人は戯曲に描かれる商人像とは異なり、合理的で現実主義のまさに「商人」。海洋国家であることの特徴を活かしたベンチャーな商売の様子が詳しく紹介されます。 続く第4話はヴェネツィアの政治について。君主制が広がりつつあった時代に、あくまでも共和制にこだわり、かつ、権力の集中を極度に廃した独特の政体。「十人委員会」を中心とするその政体の運用は、現役の元首をも処刑するほど現実的に徹底されます。塩野氏が「資源をもたない国の工夫」と論じますが、ところどころにマキャベッリの至言が紹介されることで、説得力をもって解説されます。 物語としては退屈でしたが、ヴェネツィアという国を理解するうえで欠かせない2話でした。
ヴェネツィアの政治・経済体制
本書ではヴェネツィアの経済と政治について焦点が当てられています。前半はヴェニスの商人の姿について、シェークスピア作品に出てくるものとはずいぶん違う合理的な仕組みを構築していた姿がわかります。大きなカギは今風にいえばリスクヘッジということでしょうか。ヴェネツィアは経済面でこの技術にとても優れていたのだという印象を受けました。 また後半では、政治について記載がされていて、特に1297年に行われた当時の元首ピエトロ・グラデニーゴによる政体改革が今後のヴェネツィアを長命に導くきっかけになったとして紹介されています。この政体改革では権力の相互監視と権力の集中と分散の微妙なバランスが実現していますが、これは今の世界を見渡しても確かに塩野氏の言うように「いかに実害を少なくするか」という面に焦点を当てた仕組みといえそうです。本書の読了後に思ったのは、資源のない国の政治経済のあり方についてずいぶん日本にも示唆があるじゃないか、ということを塩野氏は暗に述べている気がしました。本書もお勧めです。
ヴェネツィアを考えて日本を思う。
塩野七海さんは、ひそかに憂国の士なのではないかと思っています。 日本もヴェネツィアのように、強く賢くあってほしいというのが、塩野さんの願いなのではないでしょうか。 海に囲まれた日本が貿易で財をなすことを、外国から批判されることがあります。 ですが、ヴェネツィア株式会社という考え方は、日本にそのまま当てはまるかも知れません。 内弁慶なのか、はっきりもの申さない美徳がそうさせるのか、日本は外国に尊敬されていないような気がします。
・・・
イタリア人の書いた面白いイタリア史の本があるのに何故この人が売れスのか?彼女の著作は基本的にイタリアの歴史書で普通に書かれている事だが、日本人向けにうまく噛み砕いた上に「これを日本に例えると・・・」とか「女の心理はこういう場合・・」などと言っている所が受けるのだろう。日本の歴史小説でよく、これをサラリーマン社会に例えると、というのと同じでうまく方程式に乗っている。そういう箇所が目障りと思う人もいるはず。


おすすめ度

関連のオススメ商品
小沢革命政権で日本を救え
日本国民に告ぐ―誇りなき国家は、滅亡する
日本人のためのイスラム原論
[新版]日本の秘密
数学を使わない数学の講義
信長 ー近代日本の曙と資本主義の精神ー
小室 直樹  
¥ 1,680(税込)
在庫あり。
ジャンル内ランキング:46,752位  
カスタマーレビュー数:6

くちコミ情報
さすがの小室先生
信長の肖像画は、教科書などによく出てくる細面のこすいようなねずみのような男の絵だが、この本の口絵にある肖像画はまったく異なる。 宣教師が写真のように細密に書いたもので、ものすごくかっこいい。時代を動かした顔とはこういうものなのか。 この口絵のためにこの本を買ったようなものでした。 なお、この本は「信長の呪い−かくて、近代は生まれた」が基になっています。本書をお持ちの方はご注意ください。 最近小室先生、過去の本の焼き直しが多いですね。新書が出ることを期待しています。対談本でもうれしいです。
おカネと切り離して論じることのできない戦国時代
漫画「へうげもの」(山田 芳裕)と併せて読むと面白みが増します。 「武士から王へ―お上の物語」 (ちくま新書)もお勧めです。 もし私が大金持ちなら小室先生のような天才のパトロンになって 大英博物館でリサーチ&執筆三昧の生活を送らせて差し上げるところです。 日本なんかでくすぶらせるにはまったく惜しい人物だと昔から思っていましたが…。
小室氏による織田信長論
本書はあの小室直樹氏が織田信長をテーマに信長の重要性について 解説した本です。 あの小室氏が解説するのですから、ありきたりな歴史の本にはなりません。 当然、資本主義とのからみや第2次大戦と絡めた話が出てきたりと 非常に面白くてためになります。 でも、小室氏の本って漢字が多くて読みにくいんですけどね。 ということで星4つ。
どうしてこんなに おもしろい
発想が素晴らしい。 ちょっと前の著作らしいが、 いやなんのその、 目にした今日、最高に楽しめた。 そうだな、うわっ!とうなること必定。 奇人は常識人では捉えられない、 奇人を語れるのは奇人だけだろう。 常識を疑い、打ち破り、真実を求める姿勢。 破戒こそが真実だな。 氏の著作にもっと触れてみたい。
天下を取る方法
この本は、信長を主題にしていますが、中身は類書と異なります。単なる歴史本ではなく、社会科学の方法論を戦国時代に適用した稀有の書です。特に、第4章はあらゆる組織、会社・政党あるいは宗教団体等が参考にできる人材登用法が書かれており必見!


おすすめ度

関連のオススメ商品
学問と「世間」 (岩波新書)
「教養」とは何か (講談社現代新書)
近代化と世間―私が見たヨーロッパと日本 (朝日新書)
日本人の歴史意識―「世間」という視角から (岩波新書)
「不機嫌」と「甘え」の心理 なぜ人は素直になれないのか PHP文庫
「世間」とは何か (講談社現代新書)
阿部 謹也  
¥ 777(税込)
在庫あり。
ジャンル内ランキング:31,800位  
カスタマーレビュー数:21

くちコミ情報
日本人が大切にするのは「社会」ではなく「世間」である
日本人がその行動規範とする「世間」 とは何か,歴史を追って,時代時代の文学作品や 席巻下,宗教を背景に考察した本である。 私見だが「世間」は「世間様」さらに「お世間様」 丁寧語で称される大切で,価値観の上部に位置する、 日本人にとって晒されなければならない 世の中の監視の目なのである。 「そんなことをしたら,お天道様の罰が当たるよ」 と言うが,このお天道様もまた,世間とほぼ同義語だろう。 岡林信康さんの歌の歌詞に 「田舎のいやらしさは 蜘蛛の巣のようで  おせっかいのベタベタ 息が詰まりそう」 とあるが,このベタベタなのもまた「世間」と言うことだ
周りに合わせなければと、強迫観念にとらわれている人に。
まわりの人や雰囲気に、無理やり自分を合わせようとして苦労している人、した人がいると思う。 この本では、世間と自分はどういう関係、距離をもつことができるのか、その可能性を、慈円、兼行、西鶴、漱石、金子光晴などを紹介しながら示してくれる。 僕が中学生のとき、雑誌Boonがファッションのバイブルだった。 ゲスパン(Guessというブランドのパンツ)が流行った。 古着やナイキのスニーカーが流行った。 クラスメイトは皆だいたい同じような恰好をしていた。 僕は、何がどう良いのかわからなかった(※今では良さもわかる)が、とりあえずクラスメイトに合わせようと必死になっていた。 その流れについていかないと、取り残されたり、いじめの対象になってしまうような雰囲気を感じた。 学校での生活だけが自分の世界だった当時の僕にとっては、これは些細な問題ではなく、 だんだんと自意識過剰になり、強迫観念にとらわれ、最後には閉塞感に陥った。 高校で環境が変わり、世界が少し広がって、それまでとは少し違う関係を持てるようになった。 卒業後、海外で数年過ごしたことで、自分の生きていた世間を少し相対化できるようになった。 自分が生活してきた環境を、客観的に考えることができるようになり、だいぶ楽になった。 そのとき気付いたのは、学生の時感じた強迫観念や閉塞感は、同一を求める空気や、マイノリティを認めようとしない、日本の「世間」に起因する問題なのではないかということだった。 僕と同じように悩む人、悩んだ人には是非お薦めしたい。 世間は変えられなくても、世間の受け止め方を変えることで、少し楽になったり、解決できる問題もある。 また、慈円、兼好、西鶴というと、とっつきにくい感じがする人もいるかもしれないが、西鶴の下ネタなどがアクセントになって、意外と飽きずに読みすすめられたりするので、とりあえず読んでみることをお薦めする。
『世間』の歴史
 鴻上尚史著『「空気」と「世間」』を読んで参照元であるこちらの本を読んでみました。  世間との折り合いの付け方を書いてあるのかと思って期待していたのですが、世間の歴史を平安時代から現代までの鍵となる人物を通して説明しています。世間を知る一助になりました。
東西の個人と社会そして「自由・平等・平和」の成り立ち
自分のなかに歴史をよむ (ちくま文庫 あ 4-3) は著者がヨーロッパ社会に興味を持ち、西洋中世史を志すようになった経緯をとおして、ヨーロッパ中世史を人間関係の変化から読み解いています。たとえば、なぜ自然科学や資本主義がヨーロッパに誕生し、発達したか。二つの宇宙(ミクロコスモス、マクロコスモス)の章では、なぜ中世人たちは、占星術を深く信じていたかや、神殿をめぐって「アジ−ル(避難所)」が語られます。唐突ですが、高校生が発した質問「鎌倉以降天皇の力が弱くなりながらもなぜ現代まで存続できたのか。」「なぜ、平安末、鎌倉という時代に優れた宗教家が多く現れたのか。」という問題に答えようとして、網野善彦は日本中世のアジ―ルについて「無縁・公界・楽(平凡社)」を書いたわけですが、この大きな質問は、この「無縁」原理がキリスト教会によって制度化され、ヨーロッパにのみ、なぜ自由・平等・平和の思想が生み出されたかということにつながっていきます。さて、人間関係といえば、人間と人間のあらゆる関係の総体を社会(society) と呼びますが、阿部氏は日本にはヨーロッパ社会と異質の、「世間」があることを指摘しました「「世間」とは何か(講談社) 」。日本の学者の大多数が日本社会を「社会」という言葉で論ずるとき、実際の日本社会「世間」とのずれを全く理解していないことを指摘しました。また、社会は、個人から成り立っていますが、日本おける個人のあり方とヨーロッパにおける個人のあり方は根本的に異なっています。ミッシェル・フーコーが指摘しているようにヨーロッパにおける「個人」の成立にカトリックの「告解」が深くかかわっていますが、阿部氏は、さらに中世人が告解をとおして「男と女の関係の問題」を「自覚」する中に個人の誕生を見たのです。(「西洋中世の男と女」筑摩書房)。
世間は何かは人それぞれ
社会と世間との違いはわかったが、現代一般に使われている世間の解体はされずに終わってしまった。


おすすめ度

関連のオススメ商品
オリエンタリズム〈上〉 (平凡社ライブラリー)
知識人とは何か (平凡社ライブラリー)
サバルタンは語ることができるか (みすずライブラリー)
ペンと剣 (ちくま学芸文庫)
ポストコロニアリズム (岩波新書)
オリエンタリズム〈下〉 (平凡社ライブラリー)
エドワード・W. サイード Edward W. Said (原著) 今沢 紀子 (翻訳)  
¥ 1,631(税込)
在庫あり。
ジャンル内ランキング:47,492位  
カスタマーレビュー数:5

くちコミ情報
イギリス・フランス・アメリカ、それぞれのオリエンタリズム、そして本編発表後の余波
 下巻は、上巻でオリエンタリズムの問題領域の提示、19世紀にオリエンタリズムが制度化されていく様子が第一章・第二章として記述されたのをうけ、19世紀末から第一次世界大戦までの間に、オリエンタリズムにイギリス的・フランス的という違いが大きく現れたこと、第一次世界大戦後から第二次世界大戦までの間にオリエンタリズムの担い手がアメリカに移ったこととオリエンタリズム自体の変質を扱った第三章、本編発表の7年後に発表されたオリエンタリズムに関する再説、日本人研究者の杉田英明氏の解説、訳者解説と上下巻共通の原注・索引が収録されている。  オリエント、特に本書で論じられている西アジア・エジプト・インドで実際に植民地を統治していたイギリスでは、オリエントに対する認識が行政的・経済的・軍事的な操作手法へと変わり、その変化に応じてオリエンタリズムもより現実的になった。頻繁に用いられたのは「我々と彼ら」という区別=差別の図式と骨相学・人類学による人種類型を政治・文化の領域に拡大して適用する手口など、そんな手法でブリティッシュ・オリエンタリズムは植民地支配を正当化するどころかオリエントへの恩恵とさえ表象した。対してフランスでは当該地域にもはや植民地をほとんど持てなかったのでオリエントを自分たちの幻想・異国への象徴として観念し、オリエンタリズムもそれに応じて混乱と暴力と性的奔放さ、というイメージを流通させた。もちろんどちらのオリエンタリズムも実際のオリエントの存在を無視していたことに変わりがない。  そんななか第一次世界大戦後に国際政治のヘゲモニーを確立したアメリカは、それまでの覇権国家だったイギリス・フランスからオリエンタリズムの使用権を継承することになった。この事実だけでもオリエンタリズムという学問分野が科学というより政治技術であることが示されているが、以下、著者はアメリカでのオリエンタリズムの特質を指摘する。それは、アメリカニズムをプロパガンダする前提としてオリエンタリズムの学習制度を作り上げたことと、アメリカン・オリエンタリズムが強く性行為を含意するようになったこと(男としてのアメリカがか弱い乙女としてのオリエントを組み伏せる)の二つだ。より消費イデオロギーを広げていくアメリカニズムが同時にオリエンタリズムも使いこなすことへの強い疑義と共に、全三章の論述は幕を閉じる。  1985年に書かれた再説は、本編発表後に起こった著者本人の認識の深まりと、周辺で巻き起こった論争、彼の問題意識を受けた数多くの研究の紹介がされている。  この著作が発表されたことで、明らかになったことは数多いようだ。そんな意味でこの本は世界を変えた一冊だと思う。内容に賛成するにしても反対するにしても、この著作自体にオリエンタリズムを働かせない限り、この1冊の業績は失われないだろう。
「知識人とは何か」を二重の意味で問う本
 オリエンタリズムの再生産装置となったアカデミズムがいかに政治的に機能しているか、そして米国の大学機関とメディアが「中東生まれのオリエンタリスト」をいかに再生産しているかを告発している本著は、現在の世界情勢を鑑みると発刊当初(30年前!)よりもむしろリアリティが増してきているように思う。  この上下巻を通読すると、メディアや情報の影響を受けずに他者を知ることがどれ程難しいかを通感させられる。インターネットで膨大な情報にアクセスできるようになった現在、社会的先入観の陥穽に落ちる危険性を我々の生活はむしろ高めており、そう簡単に新たなビジョンを見つけることは誰にだって難しいだろう。  この手の人文書に対するありがちな批判が訳者あとがきにもあり、要は「オリエンタリズムに代わるビジョンがない」という批判なのだが、そんなものまでサイード1人に期待するのは酷であって、それは読者1人1人が「自分の場所」で考えなくてはならない問題だろう。サイード自身はパレスチナ国民議会議員も勤めながら積極的にベタな政治活動を行った人物であり、むしろ彼の生き方の中では、行動することで次のビジョンを模索しつつバランスを取っていたんだと思う。読んで文句だけ言ってる奴が一番卑怯なんじゃないか。(「知識人とは何か」はそういう問題意識で書いたんだろうね。)  あと、オーウェル好きの僕にとっては少し納得のいかない妙な引用があった。他にも引用の精度は当時問題になったようだ。「知識人」なのにツメが甘いというのもご愛嬌というかアメリカっぽいというか(笑)。
日本の役割
 「オリエンタリズム」という語には表面的意味合い―東洋学、東方趣味―とは一線を画す、潜在的観念―西洋の東洋に対する支配の様式―が込められている。本書は、私たちが漠然と使用している言説について(善い意味で)釘を打ってくれる一著である。本著書についてのレヴューは枚挙に暇がないので、私は少し違った観点から考えたいと思う。  訳者の今沢氏は「あとがき」で、日本の特異なオリエンタリズム構造を次のように指摘している。日本は西洋から観て地理的・文化的に客体=観られる側である。それにも関わらず、日本は19世紀末葉以降、欧米列強を模範とし、西洋側の視点―オリエンタリズムの主体=観る側―へと変容した。確かにその点では、本書は日本に対しても警鐘を鳴らす肝要な著作である、といって差し支えないだろう。しかし、(著者が特別視しているイスラーム世界に関して言えば)日本こそが「オリエンタリズム」を打破できる、西洋に打って変われる存在なはずなのである。日本とイスラームは地理的・歴史的にこれまで疎遠であったが、それこそがパラドックスとして、「オリエンタリズム」がこれまで表象してきたものとは違ったアプローチからイスラーム世界を概観し得る要素なのである。  そして、故サイード氏は末尾で次のように語る。「専門分野の境界線をいっそう大きく踏み越え、クロス・ディシプリナリー(学際的・横断的)な」視点を持て、と。この言辞は学者(学生)のみならず、現代に生きる一般の我々にも問うている重要な一句なはずだ。  「オリエンタリズム」という概念以上に、様々な事柄を教授してくれる。決して容易な著書ではないが、是非ともお薦めしたい。
またひとり…。
先日(二十四日)、E.サイードが亡くなった。 享年六十七才、死因は白血病だったという。 p 本書は「オリエンタリズム」という言葉に含まれた、 多分に西洋的なものへの批判文だ。 その思想史上の偉大さは、今さら私が語るまでもあるまい。 我々からして既にこの本を西洋的な目で見ている――。 そのことに気付いた時、必ずや得るものが有るだろう。 p 言い方は悪くなってしまうが、これを機会に一読をお勧めする。 p それにしても惜しいひとを亡くしたものだ…。
オリエントという他者
 オリエントは東方の他者として存在するのではなく、オクシデント(西洋)の中にこそ存在する。オリエントとは、支配者と従属者、この力関係の中でオリエンタルなものとされた、現実と完全に符合することの無い他者イメージであった。本書ではいわゆる西洋と東洋の認識の中で書かれているが、様々なシーンに適用可能な、例えば日韓関係を考える上でも重要となる感覚がちりばめられている。我々の認識する他者とは、我々自身に内在する他者であり、決して現実の他者そのものではない。歴史、政治、思想、哲学、地域研究、あらゆる分野に携わる上で、必読の書であろう。


おすすめ度

関連のオススメ商品
オリエンタリズム〈下〉 (平凡社ライブラリー)
文化と帝国主義〈2〉
知識人とは何か (平凡社ライブラリー)
オリエンタリズムの彼方へ―近代文化批判 (岩波現代文庫)
サバルタンは語ることができるか (みすずライブラリー)
オリエンタリズム〈上〉 (平凡社ライブラリー)
エドワード・W. サイード Edward W. Said (原著) 今沢 紀子 (翻訳)  
¥ 1,631(税込)
在庫あり。
ジャンル内ランキング:29,068位  
カスタマーレビュー数:14

Amazon.co.jp
 「オリエンタリズム」とは西洋が専制的な意識によって生み出した東洋理解を意味する。本書(邦題『オリエンタリズム』)はその概念の誕生から伝達までの過程をあますところなく考察した1冊だ。サイードは、東洋(特にイスラム社会)を専門とする西洋の学者、作家、教育機関などの例を挙げ、彼らの考えが帝国主義時代における植民地支配の論理(「我々はオリエントを知っている。それは西洋とはまったく違った、なぞめいた不変の世界だ」)から脱却しきっていないと厳しく批判している。

くちコミ情報
他者・異人への想像力を制御する技術
 1978年に発表された著作。フーコーの方法、特に「監獄の誕生」で用いられたディシプリンという視点と、これも序文で言及されているグラムシのサバルタン概念を立脚点にして作り上げたと思われる「オリエンタリズム」(東洋学)に関わる作業仮説を、多数の例証と読解、解釈で証明しようとした1冊として読める。 オリエンタリズムは一つの学問分野としてナポレオンのエジプト遠征以来明確に形成されたことが示されるが、学問分野としての形成の仕方、研究者団体の組織化と社会化・政治化、研究対象を系統だって把握し、関連する知識の蓄積・精緻化を目指す姿勢は、村上陽一郎氏の著作で示されている自然科学のそれと余り変わらない。オリエンタリズムが他の科学と異なるのは、その対象が一定の地域(オリエント)に実際生活している人々、飯を食い市場を歩き回る人間、心に痛みや喜びを感じ、泣き、笑う人間であることだ。オリエンタリズムがその学問分野・文化の表象で目指すディシプリンは、オリエントの人々がオクシデントの人々と本質的に同じ人間として取り扱うことが出来るしそうすべきであること、オリエントの人々が日々過ごす生活をオクシデントの人々は知ろうとしていないこと、そんなことに思いを至らせるような想像力を働かせないように組織されていることが、この上巻では示されている。上記のディシプリンを要求するのは帝国主義の宗主国としてのイギリス及びフランスが植民地としてのオリエントに対して政治・経済上握っている利害であり、オリエンタリズムも政治・経済上の利害と相互に勢力を強め合い利益を得ていた様子が何度も示される。  この書物はオリエンタリズムという問題領域自体を作り出した1冊といわれているが、私たちの日々の振る舞いにも敷衍して用いることの出来るという意味で、とても身近な内容だと思う。
知と権力
「現実」という言葉を考えてみたことはあるだろうか。 サイードは、言語学、歴史学、哲学などの学問において最高の権威を持つヨーロッパ人を批判する。彼らは東洋という想像の世界に夢を抱き、同時に自らを再発見しようとする。オリエンタリズムとは、単なる東洋の偏った表象ではなく、自らの表象でもあるのだ。 それは、まさに他者という鏡を通して自らを見出す人々を同じだ。 しかし、東洋学者達の労苦は結局、植民地主義や帝国主義へと繋がっていく。それは、自らよりも劣った他者を助けようという美辞麗句に基づくものであり、本当の価値を見失った結果である。 本当の価値を見失い、目の前の美しき現実に振り回されている現代人こそ、この名著を読むべきだと私は思う。
イデオロギーのデタラメさを示す好著
 「非文化的・強欲・性欲過多・狂信・・・etc.」という中東人のイメージが、いかにいい加減な近代欧米人の記述により生まれ、図書館とアカデミズムという制度の発達を背景にした「引用」の網目の中で強固なイメージになっていったかを示す快著。パレスチナ生まれの著者が米国社会で経験し続け我慢できなかったと思われる「オリエンタリズム」への怨念が膨大な引用に結びついているのだが、「テクストと知の蓄積」がいかにオリエンタリズムという錯覚を生んだかという論証のためにも、これだけの引用量が方法論上必要だったのだろう。  なお、著者がどこまで意識的していたかはともかく、オリエンタリズムの成立は(、当初は「文献学」と呼ばれたと思うが)「人文学」の成立と並行しており、この本は奇しくも「人文学」のイデオロギー性にも暗に気づかせてくれる。    この点で、「人文学者」と自らを呼ぶ著者が本著の中で文学研究の重要性を強調さえしているにも関わらず、この本はその立脚点である「人文学」の脱構築としても結果的に機能してしまっている点が面白い。そして、このことは(冒頭でフーコーに言及している)著者が良質のフーコー読者だったことを示している。
壮大な体系のいかがわしさ
参照と引用、それに基づいた観察と記録、さらにその参照といった繰り返しの中で強化され権威づけられていく定説。それに政治、経済的利害と小説などの文化とが絡み合いながら、オリエンタリズムという壮大な虚構が育まれていく様子を、執拗なまでに探り、暴いていく。 しかしこの本の価値は、そうした“オリエンタリズム”だけに限定されるものではありません。学問と文化、政治との絡み合い。それぞれは単独に存在するのではなく、互いに影響し合い、利害関係を持っています。政治的状況から文化は大きな影響と制約を受けます。それは逆についても言えることです。 学問、文化、報道、そして政治的、経済的利害・・・学会の権威や定説を守るための、異論を排斥しようとする力学。それらの土台の上に、参照と引用、観察、そして強化され築かれる定説。支配的な価値観、パラダイムはそれ自体が現実と見なされ、信仰している自覚すらなく、独断的教義として多くの人々の間に浸透し、放っておいても人々はそれを守ろうとする。かくしてそれは人々の間で絶大な力を持つ。そうした力学の存在。私はこの本を読み、そのいかがわしさと複雑さに頭が重くなりました。 学問、文化、報道、いかなる分野にせよ、根本的にものを考えようと思うなら、この厳しく困難な仕組みから目を逸らすことは出来ないでしょう。 私が作成した"リストマニア"リスト「民主党とマスコミから日本を守るために」も参考にしていただけますと幸いです。
二重の共犯関係によるオリエンタリズムの亢進
近代に入り、歴史学・文献学等の知の分野で、オリエント(東洋)に関するテクストが集積された。オリエントについての膨大なテクストの集積がオリエンタリズムだ。オリエントに関する膨大なテクスト達は、西洋にとっての他者であるオリエントの表象を、西洋人たちにもたらした。その表象は、西洋人たちが「オリエント」と指し示す人々の表象だが、重要なのはこれらの人々の多様性・個性が切り捨てられた表象ということだ。独り歩きする表象は、やがて“真理”となり、「オリエント」と呼ばれる人たちがそこに取り込まれていくだろう。 サイードは、膨大なテクストをもとに、西洋=オリエンタリズムがいかに異文化=オリエントを表象してきたか分析し「オリエント」は西洋がかってに作り上げた都合よい他者イメージであることを指摘する。そしてサイードは、西洋とオリエントとの間に、権力・支配関係を見出す。 ここに彼は、フーコーの提起した知と権力の相互作用を見る。オリエンタリズムという知の体系が帝国主義権力によるオリエントの植民地化を促進させ、同時に権力に促されたオリエンタリズムが権威を持っていく。第一の共犯関係。 さらにサイードの議論で重要なポイントは、当のオリエントがオリエンタリズムにとって他者であるという点だ。つまり、皮肉にもオリエント自らが、オリエントのイメージを代表=表象する( ep esent)資格も能力もないので、西洋にイメージを作ってもらわなければならない状態だ。「オリエントは西洋にとっての局外者(アウトサイダー)であるとともに、西洋に合体させられた弱いパートナーでもあった」((下)、p.26)。オリエントの人々はオリエンタリズムのイメージに沿った「オリエント」へと訓練されていき、オリエンタリズムに寄与するのだ。第二の共犯関係。 このようにオリエンタリズムは二重の共犯関係のもと、文化的優勢を勝ちえた。


おすすめ度

関連のオススメ商品
飛鳥の朝廷―古墳(大和)時代・飛鳥時代 (小学館版学習まんが―少年少女日本の歴史)
奈良の都―奈良時代 (小学館 版学習まんが―少年少女日本の歴史)
平安京の人びと―平安時代前期 (小学館版学習まんが―少年少女日本の歴史)
貴族のさかえ―平安時代中期・後期 (小学館版 学習まんが―少年少女日本の歴史)
源平の戦い―平安時代末期 (小学館版学習まんが―少年少女日本の歴史)
日本の誕生―旧石器(岩宿)・縄文(紋)・弥生時代 (小学館版 学習まんが―少年少女日本の歴史)
児玉 幸多 あおむら 純 佐原 真 (監修)  
¥ 872(税込)
在庫あり。
ジャンル内ランキング:14,827位  
カスタマーレビュー数:6

くちコミ情報
中学受験生の強い味方
中学受験生の強い味方である。 歴史は、特に女子受験生に苦手な人が多いらしいが、 好きになる工夫をしてみようと思う人は このマンガを読むことをお進めする。 何しろ中学受験の歴史は このマンガに描いて有ることぐらいで充分なのです。 尚、歴史は新たな発掘や、発見で 書き換えられることがあるので、 それだけは注意してください。 書き換えられたばかりの歴史はまた、 出題の狙い目。 富本銭についてどれだけ多くの 中学が出題した事か。
よく出来ています
歴史ものの学習まんがを初めて読みました パッと見た感じは今の漫画に比べて絵も古臭く、子供のための学習まんがといった感じですが、きちんと読みはじめてみるととてもよく出来ていることがわかります 古臭く感じた絵も、実はとても丁寧に、そして優しく描かれていて漫画家の力量と熱意が伝わってきます ただ、学習まんがなのでしかたないことですが登場人物が非常に多く、それぞれのエピソードも駆け足で進んでしまうので読み終わったあともあまり印象に残りません かなり細かい歴史的事実も入れ込んであるようですが、そういう部分を端折ってでも登場人物に深みをもたせ、ぐいぐいと引っ張っていってくれるようだとさらに面白く読めると思いました
これも元は全20巻+2だけどヒットしてるのは最新版?
はじめに、勉強嫌いなお子さんのために漫画だから大丈夫だろうなんて絶対に思わないでください。漫画は漫画・勉強は勉強と考えていた当時の私に、親がこれを強要したせいで日本史の魅力とともに3年間も縁がなくなりました(歴史漫画とは横山さんの三国志などがあるのに、こういう学習漫画って作者はなにもわかってない、と)。 ですが年をとって高校受験するとき、日本史を復習しようと思って購入してから何年も放置してたこれを読みながら、自分でノートをとって勉強してました。おかげでずいぶん役立ちました。細かい部分はWIKIPEDIAで補足しましたが、これは子供用ではなく万人が読めます。 それよりも歴史全体を漫画にしたのはさすが日本だと思う。こういう素晴らしい素材があるのは、将来を担う子供達にも積極的に読んでほしいと思う。21巻という長編だとラストの「そして未来へ」とか感動しますね。 ☆重要な感想 歴史を見るとき「縦」か「横」という言葉をよく使いますよね。縦とは文字通り年表を読む感じ、横はその時代のみを見ることです。私はこの漫画をもっともシンプルかつ縦方向に描いた歴史書だと思ってたんですが、実は「横」の歴史書です。 なぜかというと、読み終えた後、作中のエピソードは覚えてるんですけど上下のつながりが忘れてて、私の集中力も関係してるでしょうが、これは横の歴史を21巻分積み重ねて成り立ってます。全巻一気に読めば流れはわかるでしょうが詳細な繋がりはほとんど忘れます。その理由はこれが漫画だからだと思いますが、横の歴史っていうのはとても重要で、それをこんな気軽に読めるのは良いことです。 白村江の戦いとか楠木正成という名将をこれを切っ掛けに知りました。 あと題名の通り、私がこれを購入したのは2002年でBOXの全20巻+2事典のおまけがついてる奴を買ったんですが、今それを検索するとタイトルが同じで表紙が違うのがあります。これおそらく最新版じゃないですかね?中身がどう違うのかは残念ながら今わかりません。 私は世界史が大好きです。それと比べて日本史はやっぱつまらないと思いますよね。 なぜなら日本の歴史の長さを一番良く理解しているのは日本人なのに、天皇以外に実感がないからでしょう(矛盾してるようですが、私はこうだと思います)。ですが、 ここが日本であることを考えると戦後の大発展や首都Tokyoの化け物的な規模も、それが奇跡の復興ではなく当たり前の結果のように思えてならないんです。 こういう考えが、やはりここは日本で私は日本人なんだと思えます。
今もこの漫画の顔が歴史の顔に
私が小学校の頃から読んでいたものだから、もう最初の刊行は20年以上前になるでしょう。 第一巻については私が子供の頃読んでいたものが大きく改訂され、絵も内容も違いますね。 その後の研究の成果が反映されているようです。 漫画で描く日本史本は他にも数社から出版されていたかと思いますが、 この小学館本は最も万人受けする絵柄でクセがなく、すんなり入っていけるものでした。 今でもさほどの古さを感じさせない点は素晴らしい。 少年時代の記憶とは大したもので、今でも史上の人物を頭に描く際、この漫画の顔と場面を思い浮かべてしまうのです。 そして、それは後に歴史を学ぶ上で、記憶を形成する大きな助けになってくれました。 子供にとって文字だけの教科書より漫画が親しみ易いのは当然のことで、 何となく見るだけでも後年大きく役に立ってくれるでしょう。 本作にも携わっておられる児玉幸多氏の著作からは、これ以外にも大変多くの知識をいただきました。 交通史に興味を持ちその分野に足を踏み入れた時、児玉氏の名前を見つけ、 思わず懐かしい先生に再会したような気分になったものです。
絵がいい!
ほかの出版社の同様のものと比較して、絵がなじみやすく、面白い漫画を読んでいる感じでよかったです。小学校4年生くらいになったら読んでくれるかな?と思って買いました。 歴史ものの漫画をあらかじめ読んで、昔の色々な名称になじんでおくと、いざ学校で歴史を習い始めた時に、断然子供の反応が違うんだそうですよ。


おすすめ度

関連のオススメ商品
日本人が知ってはならない歴史
日本人が知ってはならない歴史 戦後篇
シナ人とは何か―内田良平の『支那観』を読む
中国大虐殺史ーなぜ中国人は人殺しが好きなのか
博士の独り言 -マスコミが絶対に伝えない「日本の真実」-
続・日本人が知ってはならない歴史
若狹 和朋  
¥ 1,575(税込)
在庫あり。
ジャンル内ランキング:29,938位  
カスタマーレビュー数:4

くちコミ情報
優れた研究であるが疑問も多い
よい点は他のレビューアに任せ、あえて疑問点を提示する。米国政府に一貫した親ユダヤ・反ロシアポリシーがあったどうかは疑問である。日露戦争まで米国は南北戦争の恩義から親ロシアであった。日露戦争中も以後もロシアとは友好関係にあった。第2次大戦間であってもルーズベルトが本当にユダヤ人を救出しようとは考えられない。米国はユダヤ難民船の受け入れを拒否すらしている。国家政策としてユダヤ人を救済したのは日本のみである。  著者は満州を日本が独占したかのような記述をしているが、日本は満州を独占はしていない。人口3000万の満州が4億の中国本土の2倍の米国製品を輸入している。満州は米国にとっても大マーケットであった。米国は自国の経済圏である中南米への外国商品の流入を高関税で拒否している。南満州鉄道の枕木、線路、信号等は米国製品を購入している。このため満鉄は「南満州米国鉄道」とまで呼ばれた。著者は米国が中国での反日運動を策動したことには触れていない。米国の対日敵視政策は日露戦争直後からのもので、共産主義者がホワイトハウスを牛耳る以前からのものである。東欧とアジア赤化の責任は米国にある。日本の勢力が大陸に1部にでも残っていれば文化大革命や北朝鮮の惨状は生じなかったのではないか。  日本の統帥の分離や稚拙な外交政策は悔やんでも悔やみきれないが、共産主義とユダヤ人のみをフィルターにして歴史をみるのはいかがなものか。  著者の更なる研鑽・研究を期待する。
補足しましょう
第二次大戦当時、米国は、ソ連の傀儡でした。 ソ連のエージェントがホワイトハウスを占領していました。 有名なハルノートも、これは、ソ連が記したものです。 国連憲章も、ソ連が記したものです。 第二次大戦後、300名以上のホワイトハウス内の職員が逮捕 されています。ソ連のスパイだったからです。 米国は、ソ連に意のままに操られていたに過ぎません。
歴史のif
内容の詳細については他の方がレビューされてるので控えめにしますが、そもそもあの「戦争」とは いったい何だったのだろうか? 歴史上の事件等は、いきなりポッと起こるわけではなく、連綿と続く大きな歴史の流れの中で いくつもの伏線が繋がり合って起こるものです。そこには当時の人々の価値観や思惑、宗教的な 本当にいろいろな要素が含まれているわけです。 この作品は、日清戦争〜日露戦争から第一次大戦、そして先の戦争まで、全てが繋がっている事を 実感させてくれます。そしてそこに深く関わってくるユダヤ社会、共産主義(コミンテルン)等 今まで知らなかった事まで言及しており、日本はそれら複雑に絡み合う(帝国主義)国際情勢の駆け引きを 読み間違え、そして戦争に負けたのです(と著者は結論付けています)。 盧溝橋事件や満州事変、今では広く知られる事になっている「ハル・ノート」等についても 更に一歩踏み込んだ内容になってます。 「歴史にifはない」という所謂一般論。 もちろんそれはそうなんですが、あくまで「史実にifはない」という事であって、「歴史考察」に ifはあって然るべきものだと思います。今ではそういう領域のifですら「歴史にifはない」という言葉で はじかれてしまいがちです。 結論に帰結するまでに至った一次資料の提示があればもっと良かったですが、 本書はそんな一般論に一石を投じる作品でもあります。 そして、歴史とは年号を暗記するだけではないという事もまたこの作品は如実に表してくれています。 あの時代の歴史をいろんな方向から「多角的」に見ていく事ができる作品であると思います。
日本人が知るべき歴史:敗戦革命に導いた「共産的世界主義者」
日本近代を見る目は、通俗的な「東京裁判史観」による日本否定史観か、もしくは「日米百年戦争」による日本肯定史観に分かれてきた。 しかし、従来の2つの歴史観では「なぜあの戦争が起こったのか」が良く見えてこなかった。その闇に隠されてきた真の日本の敵、日本を破滅に追いやった張本人が単なる「米国」ではないことがよく見えてくる、そういう非常に良くできた本である。 著者の主張をまとめれば、かの戦争は祖国を戦争に引きずり込んで疲弊させて革命を起こすという、「敗戦革命」によって導かれた「引きずり込まれた」面があり、「何であんな無謀な戦争へ」という<歯軋り>は、この点を冷静に学ぶことによって静かに収まるのである。祖国と同胞の血をを犠牲にしてでもある「理想」を実現させようとする彼らの思考は、まさしく共産主義者(理性主義者)の典型的であり、人間社会を破壊する独善的思考の典型として批判されなければならない。 ともあれ、我々日本の戦後社会人は、半ば「敗戦革命」によって国家を変えられてしまった社会に生きているのであり、その再認識から私たちは本来の日本を取り戻すことを志向する意義をしっかりと知るべきなのである。 また、彼ら「共産主義者」グループはいまだ生きている。 彼らは、歴史的伝統として培われた国家や文化、すなわち「ナショナルなもの」を否定して、彼らだけがより生きやすい世界となる「単一世界主義者=グローバリスト」なのだ。彼らの志向性はユダヤ民族に現れやすいが、ユダヤだけでなく、あらゆる「単一世界志向、歴史的ナショナルなものの否定」に傾く人々は、基本的にそのグループなのである。 我々にその真実を教えてくれる稀有の本である。唯一、このような結論に至った基本文献を紹介していただければ、教師業に就かれていた著者の経歴にもあった「導き」となったであろう。


おすすめ度

関連のオススメ商品
奈良の都―奈良時代 (小学館 版学習まんが―少年少女日本の歴史)
日本の誕生―旧石器(岩宿)・縄文(紋)・弥生時代 (小学館版 学習まんが―少年少女日本の歴史)
平安京の人びと―平安時代前期 (小学館版学習まんが―少年少女日本の歴史)
貴族のさかえ―平安時代中期・後期 (小学館版 学習まんが―少年少女日本の歴史)
源平の戦い―平安時代末期 (小学館版学習まんが―少年少女日本の歴史)
飛鳥の朝廷―古墳(大和)時代・飛鳥時代 (小学館版学習まんが―少年少女日本の歴史)
あおむら 純 児玉 幸多 (監修)  
¥ 872(税込)
在庫あり。
ジャンル内ランキング:13,102位  
カスタマーレビュー数:1

くちコミ情報
マンガで学習!!
古墳時代と飛鳥時代の事が、マンガでくわしく書いてあります。マンガの他にも、資料編で歴史博士のものしり教室などがありとてもわかりやすいです。


おすすめ度

関連のオススメ商品
ローマ人の物語〈15〉ローマ世界の終焉
最後の努力 (ローマ人の物語 13)
ローマ人の物語 (12) -迷走する帝国
ローマ人の物語〈11〉―終わりの始まり
ローマ人の物語〈10〉― すべての道はローマに通ず
キリストの勝利 ローマ人の物語XIV
塩野 七生  
¥ 2,730(税込)
在庫あり。
ジャンル内ランキング:26,258位  
カスタマーレビュー数:26

くちコミ情報
歴史を楽しむ−沈痛な気持ちを共有できる
ローマの歴史もこの巻にいたっては、終焉への流れの中でその本質であった多様性の容認がキリスト教の国教化で決定的になるのを、実に淡々と表されています。私が驚いたのは誰かの宗教的情熱で成されたのでなく、皇帝が自分の権力基盤の強化にキリスト教を利用したこと。そしてその結果、ローマ帝国の自己否定と皇帝自身をも縛る結果になったことです。 塩野さんのすごさはそんなことは研究者以外は関心を持ちにくいはずの古代の歴史を、読みものとして誰もが愉しめる作品にされるところです。千何百年のそれも日本の歴史でもない物語は、日々の自分の生活のあらゆる場面で「あぁそういえば」と思い出さないではではおれず、自分のことのように沈痛に感じてしまえます。
キリスト教がもし生まれなければ、、、
 第14巻では表紙に皇帝ではなく司教が描かれている。これだけでローマに大変化があったことが分かる。  もともと宗教に寛容であり、多宗教だったローマがキリスト教を国教としたのである。唯一排他的で他の宗教を絶対に認めなかったイスラエルを解体してしまったほどのローマが、である。  ササン朝ペルシャとの戦い。絶え間ないゲルマン人の侵攻。首都にある皇宮における勢力争い。もうかつてのローマ帝国の面影は無い。  ローマ皇帝はキリスト教の司祭による戴冠式を経て神の意志により皇帝になるのだ。かつてのように市民(兵士)による投票による執政官選出でもない。敵を倒した功績でインペラトールと称えられる皇帝でもない。来世の救いのために信者から金を巻き上げる仕組みを作り上げたキリスト教が皇帝を任命する形式になった。その最初の司教が表紙に描かれたアンブロシウスである。  歴戦の勇者の顔ではない。戦いに無縁で、高みから睥睨する聖職者の顔である。そして、もうこの時代からキリスト教内部での対立、異端論争が始まるのである。
宗教国家へ変貌するローマ
 『ローマ人の物語』をほぼ三年ぶりに手にとりました。この14巻では、コンスタンティヌス大帝亡き後のローマ帝国が描かれています。コンスタンティヌス大帝はキリスト教を国教化しましたが、それ以後キリスト教が他の宗教に対して優位に立ち、かつ内部の教派的対立を克服していく過程が描かれています。これはローマの伝統的知識人の敗北でもあり、人間よりも神に関心が向けられることでローマの豊かな文化が失われていく過程でもあります。少なくとも塩野女史はそのような観点に立っているように思われました。  最終章は皇帝に関する記述ではなく、アタナシウス派の司教アンブロシウスに関するものとなっています。ローマ帝国の官僚として長いキャリアを積んだ彼は、きわめて冷徹な頭脳を持った人で、キリスト教の組織化に多大な貢献をしました。彼によって、宗教は国家に対して優越した地位を持つようになったともいえるでしょう。
キリスト教が主役
14巻はコンスタンティウス帝からテオドシウス帝まで。辻邦生の『背教者ユリアヌス』のファンとしては待ちかねた巻であった。塩野さんもユリアヌス帝を好意的に描いていて、ひと安心。ユリアヌスの時代背景の理解が深まった。 思い入れは別にすると、本書の最大の特徴は章立てである。第一章のタイトルはコンスタンティウス帝、第二章はユリアヌス帝だが、第三章はテオドシウス帝ではなく、司教アンブロシウスとなっている。塩野七生はこの時点で権力の中心がキリスト教に移ったのを象徴したのだ。そして、キリスト教に支配されてローマ精神は帝国に先駆けて滅亡したと述べているのだろう。 ただ、先日読んだ『ローマ教皇歴代史』の印象では、宗教権力と世俗権力との関係は、上下が理論的に決まってしまうというより、双方の権力者のパーソナリティーに依存するところが大きそうなので、結局アンブロシウスとテオドシウス帝の個人的な関係が作った時代だったのだろう。ところが、その個人関係が時代を廻したのだ。キリスト教は権力と決定的に結びつき、中世が幕を開ける。 本書を読んでもキリスト教がなぜこんなに流行ったか、そして権力を握ることができたかを完全に納得できたわけではない。ローマ人の物語は基本的には権力者の物語だし、キリスト教はむしろ下層から広まったのである。まあ、どうしてキリスト教がここまで広がったかは世紀の謎なんだし、そんなことが簡単に分かるわけないよなあ。
人は明日に希望が見出せなくなると宗教への傾倒を深める
私は、古代ローマ帝国がコンスタンチヌス大帝により、キリスト教国家へと転じた辺りのことは、イマイチ、どうにも、理解できていないのだが、これは、むしろ、今のアメリカにおけるメガチャーチと呼ばれるキリスト教系の巨大宗教保守団体の台頭を見ていると、何となく、わかるような気がしてくる。 人々は、自分の生活が苦しくなり始め、また、明らかに国家が行き詰まり始め、希望が見出せなくなると、敢えて、見たくない物は見ようとしない・・・、つまり、宗教への傾倒を深めるのではないだろうかと。 巨大宗教団体は、信者を集めることで、説教本などの印税や寄付金などで財政は潤い、潤沢な資金は教会を一大レジャーランドに変え、さらに、人を集める・・・。 その結果、信者は教会・・・、いや、神職が推す人に投票するようになり、政治も、ますますこれらの力を憚るようになる・・・。 コンスタンチヌス大帝後は、ついに、司教・アンブロジウスが皇帝以上の勢威を得て行ったことに似ているように思えるのである。


おすすめ度

関連のオススメ商品
明治維新―明治時代前期 (小学館版 学習まんが―少年少女日本の歴史)
戦争への道―大正時代・昭和初期 (小学館版 学習まんが―少年少女日本の歴史)
アジアと太平洋の戦い―昭和前期 (小学館版学習まんが―少年少女日本の歴史)
幕末の風雲―江戸時代末期 (小学館版学習まんが―少年少女日本の歴史)
現代の日本―昭和後期‐平成 (小学館版 学習まんが―少年少女日本の歴史)
近代国家の発展―明治時代後期 (小学館版学習まんが―少年少女日本の歴史)
あおむら 純 児玉 幸多 (監修)  
¥ 872(税込)
在庫あり。
ジャンル内ランキング:11,267位  
カスタマーレビュー数:2

くちコミ情報
「坂の上の雲」と「ああ野麦峠」の時代
小学館の「少年少女日本の歴史」の明治中〜後半編です。 時代的には自由民権運動〜明治の終焉近くまでを描いています。 色々とイベントが多い時代ですが、非常にわかりやすくまとめてあります。 時代的には映画やテレビドラマで有名な「ああ野麦峠」や「坂の上の雲」と同じ時代! 産業革命と女工、富国強兵の政治、自由民権運動、大衆運動、日清日露戦争もしっかり描かれています。 幸徳秋水、夏目漱石、正岡子規、与謝野晶子、石川啄木さんも登場。 特出すべきは自由民権運動の流れの中で秩父事件をかなり詳細に描いています。 これだけでもかなり貴重。 ややこしい、明治史を判りやすくまとめているし、大人でも楽しめる御本です。
とても分かりやすい
小学5年生の息子に買ったのですが、大人の私が読んでも知らないことが多く、面白くて一気に読みました。他のシリーズも全部読んでみたい。
13,297ページ中 44ページ目を表示しています (431440件)
«Previous | 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 | Next»

新着書籍情報をメールマガジンで配信していますバックナンバーはこちら...
E-mail :

このサイトはAmazon Web サービスを利用して作成しています。