2008年05月17日(土) 歴史学の第1位は
『歴史とは何か (岩波新書)』!
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清水 幾太郎(翻訳)
¥ 819(税込)
通常24時間以内に発送
ジャンル内ランキング:9,478位
カスタマーレビュー数:16
【くちコミ情報】
歴史家の本分は何か
歴史哲学の古典的名著。 歴史事実、歴史叙述、法則、進歩などなど、歴史哲学の重要な問題が簡潔にまとめられている。 歴史哲学の最初の一冊にも薦められる本であろう。 以下概要 歴史は客観的に与えられたものではない。 なぜなら、歴史家は無数にある過去の事実の中から、何個かの事実を選び出して叙述するものだから。 また、おのおのの事実同士をどのような関係で結びつけるかも、歴史家の主観や現在の価値観が入り込むものである。 しかし、歴史は好き勝手に作っていいものではない。歴史家はやはり過去の事実にもとづかなければいけない。 だから「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります」(p40) 歴史家の中には、歴史事実をすべて個人の力に帰してしまうものと、すべて歴史の流れに帰してしまうものとある。 しかし、そのどちらもが誤りである。歴史は、その両方によって動かされているのだから。 歴史は科学であり、歴史家は史実という特殊的事例から一般的事例を引き出し、現在の我々に警告や教訓を与えていくものである。 歴史事実の因果関係もまた、そのような地平において設定される。 歴史の外側に完璧な未来や絶対的法則を設定するのは誤りだが、歴史をカオスとして捉えるのも誤りであり、我々は歴史の教訓を学び、未来へと生かすべきなのだ。 上記したように総じてよく出来た書である。 しかし、歴史をあそこまで科学にしてしまうのには疑問も残る。 確かに歴史を科学として機能させることは出来るし、そういう側面も歴史は有しているが、それだけが歴史ではないように思われる。 我々が歴史の本を読んで楽しんだりするのは、過去から教訓を学んで未来へ生かすという目的だけだとは到底思えない。 歴史には、そうした科学以上の深みがある。 そこら辺が、本書ではかけてしまっているように思えた。 なお、訳については、確かにときどき変な文章はあった。 例えば「第二点は、歴史は、なぜ個人が「彼ら自身の気持ちから見て、このように行動したのか」を研究する、というのですが、一見したところ、これはひどく異様に思われますけれども、私の感じでは、他の敏感な人々と同様に、ウェジウッド女史もぞ文が説教していることを自分では実行していないようです。」(p67)は、わかるといえばわかるのだが、やはり読みにくい文章だと思う。 しかし、こうした文章はそんなに多くはなく、訳で困ったりするようなことはほとんどなかった。 なので、訳の問題はそこまで気にしなくてもいいように思われる。
歴史研究者志望者と歴史教育者は必読書
本書は「歴史学」は如何なるものかについての論考である。 歴史学研究の基礎となる名著は本書以外にもあるが、 本書は多角的な視点で史実や研究方法及び史料批判の方法、 そして思想・哲学分野も含まれており、 歴史研究者を目指す者や教職課程で歴史学を学ぶ学生は、 必読の書と言えるであろう。
『水準器的意義』
歴史・宗教・民族。これらはすべて琴線に素手で触れてしまう危うさを秘めているため、どうしても扱いにくいと思うのは、小生だけではあるまい。ことに「歴史」という言葉を目にする時、その意味は、「事実」、「まつわる感情」、「歴史という名の履歴の見方」等々、完全にとは言わぬまでも、分割すべきものが、ないまぜとなっている気がする。本書は、小生が示したもののうち、「歴史という名の履歴の見方」つまり「歴史哲学」について再考を促す書物である。 著者E・H・カーは、1962年の本作出版時、トリニティ・カレッジのフェローであった。この著作はケンブリッジで1961年に行われた連続講演を基に仕立て上げられたもので、とても読みやすく、問題点がよく分かり、また原注も丁寧である。 著者のスタンス(視点)は、あくまで冷静・穏健でありながら厳しい。それは『歴史を研究する前に、歴史家を研究してください』そのためには『歴史家の歴史的および社会的環境を研究して下さい』という主張に現れている。つまり、歴史は、歴史家を通じて届けられる『社会的産物』(3点とも同書p61より)であることに注意せよ、という事で、まさにこの点を意識しつつ、目次に掲げられた6項目について述べているのである。 歴史哲学というと、へ―ゲルなどに見られる「史観」という看板のもとに、ややもすると、強引な押し売りが目に付くが、本書は、たとえそのような事が後に明らかになったと仮定しても、極めて地に足のついた秀作であると、小生は感じた。 よって推薦したい。 なお現代においてのスタンスは、『岩波講座 世界歴史 第一巻』に手際よくまとめられているので、こちらも参考になる。
「歴史とは何か」についてかかれた古典
「歴史とは何か」と素朴な疑問を持った人が始めに読むといいと思います。これからも繰り返し読むべき古典です。 歴史は解釈するもので、進歩するもので、科学であり、歴史家が作り出すもので、過去と未来を結合するもので、等であり、過去の客観的な事実と法則に基づいて説明され、未来を取り扱わないものではない。と記されている。
議論を掴み損ねたら是非、原著を
E.H. Ca 自身が語り、投げかける議論について「名著」と評価される事に異論は一切ありません。 が、この日本語の難解さ、あやふやさは一体何だ。 決して誤訳でもなければ「ひどい」翻訳なわけでもない。 ただ、不必要に難解なのだ。 日本語で読み、いまいち内容を掴み損ねた時にはこの訳本を参照しつつ、原著に当たってみる事をお薦めします。 語学が苦手で仕方がないという方でなければ、寧ろ日本語より理解しやすい事が多々あるのでなないかと思います。
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【くちコミ情報】
世界中に伝播する「自己中心主義」こそ警戒すべし
本書は著者の前著『聖書 VS 世界史』の補遺である。現在行われている「世界史」にこびりついている「欧州中心主義」の残滓をランケ、マルクス、マックス・ヴェーバー等の歴史観を批判し、浮き彫りにするのが本書の狙いかと思われる。また前著で「普遍史」として紹介されたキリスト教的歴史観だけでは「欧州中心主義」の説明が不十分なため、重複する部分も多いが、メソポタミア的歴史観、ヘレニズム的歴史観が「世界史」に与えた影響が加えられている。私には、むしろ今の時代は「欧州中心主義」は相当後退し、米国、ロシア、中国、朝鮮、日本、インド、イスラーム圏等が「欧州中心主義」を換骨奪胎し、各々の「自己中心主義」を創作し、民族主義、国家主義、宗教主義を鼓舞しているのではないかと思う。そもそも今の欧州に往年の帝国主義時代ほどの力があるだろうか。むしろ残滓たる「自己中心主義」の世界的伝播こそ恐るべき弊害であり、十分に警戒すべきものであると思われる。
「歴史」を相対的に見ること
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面白い本です。
歴史とあるが、ヨーロッパ人がどのように時間や自分達の住んでいる世界がどのようなものだったのかということが書いてある。古代から始まり、現代に至るまでの世界観がわかりやすく書いてある。実は歴史の現在区分である、古代、中世、近世、近代、現代といった区分の仕方は、学問的な根拠からではなく、キリスト教から発しているものだということがわかる。世界の拡大から、差別的思考が生まれ植民地支配を西洋人がおこなったということなど、西洋文明の弊害とも言うべき現象もどうして発生したのかということまでわかる。歴史というよりも西洋人の観念が良く理解できる。哲学や社会学に興味がある人でも十分面白いと思う。
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【くちコミ情報】
意外と「哲学」の部分は少ない
まず大変に訳がよくて、すいすい読める。 タイトルに「歴史哲学」とあるので、当然哲学的な本だと思っていたが、ところがどっこい。 「歴史哲学」をしているのは、「序章」の100ページちょっと。残りは「ギリシャ」「東アジア」など、世界史の話になっている。 歴史哲学だけ知りたい人は、ボリュームに身構えることなく、気楽に読んでもらいたい。
誤解の多い本
ヘーゲルの中では最もポピュラーで入りやすいだけに、誤解が蔓延、結果的に、同氏のあらぬ悪評の原因になった本。ヘーゲルは人間の歴史、人間の社会の原動力を「自由」に見ている。丁度、物に重力が掛かるのと同様、人間には「自由」が本質的だ、と。だがここで言う「自由」とは、自己に掛かる制約を外していこうとする情念・本能のことだ。唯物史観のマルクスの思想は天才的だが、より幅の広い概念として「自由」を立てるヘーゲルの史観はやはり天才の膂力を痛感する。「人間の歴史は自由の発展の歩みだ」というのは、様々な制約を取り払い、自分で自分を制御する真の自由「理念」への道のりだという。情念の放埓に見える人間の営みは、唾棄すべき残酷な歴史にしか見えないが、しかし、よく見てみると、結果、多くの制度や習俗規範を生んで、少しずつだが多くの人間の「自由」を保証してきた。歴史にこの姿を読み込んで「哲学」にしたのが、彼の「歴史哲学」だ。それは、超越的に頭の中で作り上げた「哲学」ではなく、「人々の足跡」を読み込んだ「哲学」といえる。民族国家さえ出来ていない当時のドイツの状況を考えれば、20世紀のナチズムの影を彼に読み込んで、国家主義者だと批判するのは荒唐無稽。アリストテレスを奴隷主義者と批判するのと同様な非常識でしかない。それに、現在、我々は国家についてヘーゲルのような楽観的な意見は持ち得ないが、しかし、国家を無視したところで、思想・日常生活・社会を語ることが可能だろうか。国家の問題を真正面に据えて取り組んだヘーゲルの思想を超える思想はまだ無いと思う。しかし、また、ここまでの現実感を哲学に持ち込むことで、「哲学」が「可能なのか」という疑問も捻出されよう。これ以上現実的であることは、もはや機会を睨んだ実務家の仕事になるし、より「内面性」に傾斜して「単独者」に注視すれば、それは真空管の議論として聞く耳持つ人間は居なくなる。「哲学の極北」にたつのがヘーゲルだと思える。
新しいヘーゲルに出会えます。
全集版の堅苦しさがなくなって、誰にでもと言うわけではありませんが、非常に読みやすくなってます。1日1日をこつこつと営んでいる労働者には腹立たしい1冊です。なんでもかんでも、自己を超えた理性のせいにするな!生きてることが虚しくなるじゃないか。そう思いませんか?そう思った人は序論だけでも読んでみませんか?
下巻へ・・・
本書は、序論・第一部東洋世界・第二部ギリシャ世界・第三部ローマ世界・第四部ゲルマン世界で構成されています。 序論に世界史の発展における基本構図が描き出されていると思います。 序論A 歴史のとらえかた (C)哲学的な歴史 B 歴史における理性とは何か (a)精神の抽象的定義 ( )自由を実現する手段 (c)自由の実現体たる国家 とりわけ、神の理念がどうこの現実世界と妥当し発展したか、その描写が私の読んだときの主眼でした。 (c)自由の実現体たる国家 「主観的な意思や情熱が目的を実現する活動力であり、理念が歴史の内面をなすとすれば、国家は現実に実在する共同の生活です。というのも、国家は一般的かつ本質的な意思と主観的意思との統一体であり、そこに共同の精神がなりたつからです。この統一体のうちに生きる個人は、共同の生活に参与し、個人としての価値を公的にみとめられます。」「国家こそが、絶対の究極目的たる自由を実現した自主独立の存在であり、人間のもつすべての価値と精神の現実性は、国家をとおしてしかあたえられないからです。精神の現実性とは、人間の本質たる理性的なものを対象として知ることであり、理性的なものが、客観的な、形のある存在として目の前にあることです。そのときはじめて人間は共同体を意識し、人とつながり、法と道徳にかなった国家生活をおくるのです。共同体の真理とは、公共の精神と主観的精神が統一されることであり、公共の精神とは、普遍的かつ理性的な国家の法律のうちに表現される。国家は、神の理念が地上にすがたをあらわしたものです。」(同、72頁、73頁)
ヘーゲルの命脈
長谷川宏によって、日本におけるヘーゲルの思想的生命は、50年は延長されたはずである。「絶対」を設定する思想は、現在においてはほとんど思想的価値をもたない。ヘーゲルのように「キリスト教」を、その「絶対」の中心にすえるごとき哲学は、スコラ哲学のように、本来なら既に読まれなくなっていてしかるべき。しかし、長谷川は、ヘーゲルに「考えるための素材」としての、21世紀的命脈を与えた。達意の新訳。
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物語ることの普遍的理論付けをもとめて
著者の専門は科学哲学を中心に分析哲学や大陸系の現象学など広範囲である。哲学においても物語り行為は重要な役割を担う。かのカントの純理にしろ、フッセルのヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学にしろ、ハイデガーの名著存在と時間にしろ、著者が自ら訳し親炙したローティの哲学と自然の鏡にしろ、哲学書の論理的展開を支える強力な物語的構成力なくしては古典的な著作たりえない。たとえばアインシュタインの特殊相対性理論のシンプルな公式表現ですら、物語的ですらある。 そこで著者第1章を「人間は物語る動物」である、と始める。本書は単著で刊行されたさいには柳田國男と歴史の発見という副題が付けられていたが、著者の意図は物語論一般にあり、現代文庫版では削除されている。つまり、原初的な口承文学を含めて歴史叙述との類似性などを精緻に分析、理論化することが目的である。したがって、所謂文学理論的な著作とは異なり、哲学的あるいはメタ理論的な概念を敷衍して議論を展開している。理論的な流れの中で注目に値するのは、リチャード・ローティが集大成した20世紀前半の哲学革命言語論的転回が、実は歴史学においても1990年代に波及したという指摘を踏まえて、前版を補正してなったのが本版だという。物語理論は、なにも文学が独占する領域ではない。哲学的視点による知の総合理論としての物語論と読むべき著作の誕生である。
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国民文化
国民文化についての本。 いくつかの西洋の理論を使いながら伝統は伝統でないということを述べる。 著者のめざすところは晩年の坂口安吾がしきりに述べていた無政府主義だろう。 ポストコロニアルという英国の伝統的な学問を学びたい人におすすめ。 学問の伝統をきちんと受け継いだ作品。
文化論の本質
文化論の本質が述べられている本。「イラク国民を解放する」というイラク戦争での大義名分の虚偽性、模倣文化といわれる日本文化の真実、日本、ドイツが文明の名の下に裁かれた第二次世界大戦の構造。この本を読むと今までなんとなく見てきた歴史に切り込む視点が手に入る。 確かに筆者の言う「私文化」に関して、坂口安吾のように強く生きていける個々人はどれくらいいるのだろうかとの疑問は湧く。 しかし、最終的に文化のレベルを個人まで下げることによって、構造上欠陥のある「国家」や「国民」という概念に縛られることはなくなる。国民国家形成から約200年、著者の言う「私文化」で生きていく人間は増えていくんじゃないかと思う。 読み応え抜群の中身この本に☆五つ付けなかったらどの本に付けるんだと思う。
文明・文化の虚構性・暴力性
文明・文化が自分のことしか考えていないと言うのがよく分かります。 「国家」や「国民」の中身のなさも物語っています。 では「国家」・「国民」という欺瞞性が分かった今我々は何をすべきなのでしょうか。 西川氏は動態的な「私文化」にこだわっています。 われわれは文化を捨てるべきだけれども、持ってしまう動物なのでしょうか。 p 後ろの上野千鶴子さんの解説も忘れずに。
著者の意図はどこにある?
スチュアート・ホールのアイデンティティ論の近代性を批判しながら(p429-430)、「主体」という近代的概念に基づいた「私文化」を提唱する(p272-)のは矛盾しているように思う。さらに多文化主義に関するカナダの政治家の発言を新しいアイデンティティの萌芽として手放しで賞賛しているが(p412-413)、そこに逆に政治性を感じてしまう。解説の上野千鶴子氏も、「「私文化」に希望を託すことは、安易なオプティミズムではないのだろうか」と懸念を表明しつつも、その「難民のまなざし」を評価している(p476-477)が、そこに「学界」の政治的な意図を感じてしまうのは私だけではないだろう。本書全体の議論は面白いだけに非常に残念。
著者の孤独
西川長夫氏の国民国家論についての主張がよく分かる一冊。 p 特に、解説で上野千鶴子氏も書いているが、「「 文明と文化 -その起源と変容」における「文明/文化」概念の議論はかなり面白い。昨今跋扈する「文明」の名の下に「敵」を「野蛮」と名指しして殲滅してしまう「思想」はどこから来たのか、あるいはそこからの「希望」はあるのか、を考える助けに必ずなるだろう。 p 個人的には著者の坂口安吾の読みが好きだ。「生存それ自体が孕んでいる絶対の孤独(坂口安吾)」と「私文化(西川長夫)」が通底すると考え思索を進める著者には、「国民国家論の立て役者」の一言では括れないものがある。
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びっくり
不思議なのはこの世界がいつ始まったかについて考えないといけないそうです。 そんなことよりごみ処理の問題を考えるべきかもしれません。
普遍史を焦点とした西洋の聖書解釈史
1943年生まれのドイツ近代史研究者(成瀬治の弟子)が、1996年に刊行した、1〜18世紀の西洋(および明治日本)における普遍史の内容の変遷史。普遍史とは聖書の記述に基づき書かれた世界史であり、明確な始点=天地創造と、近い将来における終点=神の国の実現=終末を持ち、四世界帝国論に立ち、化物世界をも含む三大陸から成る平円盤状の世界観と結び付いていた。古代のそれは、キリスト教護教活動の一環であり、異教徒を説得して聖書の優越性を示すために、異教徒の歴史の古さの否定や、ときには聖書の読み替え・一部無視も行いつつ書かれた。中世のそれは、基本的には古代的普遍史を継承し、第四帝国=ローマ帝国の存続を前提とした(皇帝と教皇を2つの焦点とする楕円的世界像)。また、創世紀元を基本としながら、キリスト紀元の緩慢な普及をも伴った。しかし、ルネサンスにおける人間の力量の発見や、古典・聖書(三系統)の批判的比較研究の興隆、植民地支配・対中国交易の開始(球体・四大陸世界観の勝利、化物世界の否定)、科学革命による時空間の無意味化の中で、普遍史記述は危機の時代を迎え、それが教派論争とも絡まり合いながら、年代学論争という形で現れた。18世紀には、ゲッティンゲン大学を中心として、科学知識の援用、世俗化されたキリスト紀元と古典的三区分法の普及、西洋史の相対化(ただし優越的地位は維持)といった特徴を持つ、啓蒙主義的世界史が成立し、ここに普遍史はついに自己崩壊する。本書は普遍史(歴史学前史)を焦点とした西洋の聖書解釈史を扱う、専門的な内容でありながら、叙述は平易であり、多くの図表を掲載している。大局的な流れと共に、興味深い個別事実も多く紹介しており、お薦めできる本。
読み終えてじわじわ満足
細かい記述が多いので、はじめのうちはちょっと退屈に思いました。たくさんの数字や人名が出てくるところでは、斜め読みしてしまいました。私のような素人読者はつい、文章に単純なメリハリを求めてしまうので、問題点や結論が複数あるときは箇条書きにしてもらえたらな〜と思いましたが、それはあまり美しくないやり方かもしれませんね。 というわけで、読んでいる最中はそれほどでもなかったのですが、読み終えた時には衝撃と深い満足を味わいました。「これを読んでよかった」という気持ちがじわじわ広がってきます。読んでいるとき面白くても、読み終えるとすぐ忘れてしまうような本もありますが、これはその反対でした。細かい数字や人名をさておいても、得るべきことがたくさんある一冊でした。
キリスト教的歴史観を抹殺した主犯とは…
本書の「普遍史」はユダヤ人による聖書記述である。絶対神が万物と人類を創造し、世界を支配する歴史観である。中国人も歴史観念は劣らないがキリスト教徒とは異なる。司馬遷以来、創造説に執着しないし、自己を中華とし「異物」は全て夷荻として片づけた。そこに歴史観の発展の契機はない。しかしキリスト教徒は、何事も聖書に沿って解釈する必要があった。まず科学的歴史家の先駆者たるヘロドトスと対決する必要があった。そして護教的意図からローマを取り込み、さらに地理的知識の拡大からインド、中国、新大陸と「異物」が現れるたびに、それまでの前提は否定され、歴史観自体が弁証法的発展を遂げた。聖書記述と新事実の矛盾を直視する態度こそ「世界史」を生み出す原動力になったのだろう。なお本書では「普遍史」の崩壊を少々衒学的に議論しているが、そんなことをせずとも「キリスト教信仰」そのものを抹殺したダーウィンの「進化論」にご登場願えれば十分だと思われる。
ミステリーを読むような知的興奮!
聖書対世界史という題名であるが、この書物は西洋における「世界史観の変遷」を追った書物であり、新たな事実の発見で世界観が覆ってゆく様には、ミステリー小説を読むような知的興奮がある。 古代ギリシャ・ローマの時代、世界史とは、アッシリア、メディア、ペルシャ、ローマという世界帝国の興亡史として認知されていた、という冒頭の記述から、おもわずへぇ~ と感心。それがキリスト教の登場で紀元前4000~5000年程度に世界創世が置かれた結果、事実と合致しないエジプト史の扱いが古代神学者の間で大きな問題となりこれを神学者達がどう解決していったのか? 大航海時代にもたらされた中国の歴史の深さに関する知識は再び古代末の論争を興起し、ついにはキリスト教的世界史観が崩壊に至る様から、「古代、中世、近代」という近代的世界史観成立の流れを追う記述はスリリングである。あまり類を見ないアプローチの内容かつ高額な書籍として出版してもよかったのではないかと思える程の内容の充実。買って損はありません! 最近同著作者による世界史対ヨーロッパという続編的新書が出ましたが、個人的には本書の方がコストパフォーマンスは圧倒的と思う。
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歴史小説ばかりを読んでました。
歴史に興味があります。 歴史関係の本をよく読みます。 私はこれまで何度か発言してきましたが、 自分は歴史小説が好きなのであって、 歴史(史実)に興味がある事と同一でないと理解しました。 歴史は繰り返すと、誰が言ったのか不勉強ですが、 歴史から学ぶことがあるのは当然のように思っていましたが、 そもそも歴史は本当に役に立つのか、 史実は明らかにできるのか?を考えている方々がいて それが歴史家だということが分かりました。 少なからず歴史学の知識がつくと、 浅はかですが、歴史小説を純粋に楽しく読めなくなるようにも思ってしまいました。
歴史学者の苦悩
「歴史を知る事は何の役に立つのか?」 これはランケの実証史学によって歴史学が科学の域に高められた結果、 歴史が物語(歴史小説や伝承・神話・あるいはプロパガンダ的な歴史)と 事実(客観的・科学的な史実追及)に分かれてからずっと議論が続けられている問題だろう。 現時点では秦郁彦氏の言う所の「教訓・説得・娯楽」辺りが無難な答えなのだろうが、 「教訓」は自然科学の法則ほど絶対的なものではなく、一種の経験則程度に留まるし 「説得」は定性的な一例を挙げているに過ぎないと言われればそれまでである。 「娯楽」は確かに有力な所だが、これを基調にすれば「面白ければ真実はどうでもいい」という論すら成り立ちかねない。 ランケとその末裔達の努力で歴史学は「史実を見つける」という点で間違いなく科学となった。 だが科学としての歴史は、物語としての歴史に比べて遥かに需要が少なかったのかも知れない。 「実用性を重んじるな」という著者の意見をランケもまた唱えていた事を思い出しながら、そう感じた。
思考力を磨く
タイトル通りの内容が、平易な語り口で記述されており、 それぞれに具体例をそれなりに詳細に検討しているので、 興味深く最後まで読める文献である。 特に従軍慰安婦問題を取り上げており、 タイムリーと言えばタイムリーでありがたい。 世界史の第一回の授業で使いました。 そのほかの参考図書は 東京大学教養学部歴史学部会『史料学入門』岩波書店, 2006. 福井憲彦『歴史学入門』岩波書店, 2006. 吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書, 1995.
勉強のナビとして最適。
『使える新書』で教えてもらって読んだが、実にすっきりと歴史学についての見取り図を描いている。歴史好きな高校生がこの本を手引きにして、引用されている「おすすめ本」を読み込んでゆけば、それこそ「自覚的にものを考える」最良の教養が身につくだろう。人文系の大学生であれば、どの分野に進むにしても、知識を深め「センスオブワンダー」としての好奇心を培うのに、うってつけの本だ。塩野七生や司馬遼太郎の小説で歴史が判ったような気分にならない事(ノヴェルとして楽しむのはいっこうかまわないが)が教養がある、ということだ。 フランスのアナール学派や網野史観、あるいはポストモダンなどに興味がある人、ぜひこの本を一読して関心の整理をされることをお奨めする。ここ十数年で一番読みやすく役に立った新書である。
この著者は批判相手の本をちゃんと読んでいない!
とりあえず、従軍慰安婦問題はある程度知識があるので言うが、著者はろくに慰安婦関連の本を読んでいない上に、坂本多加雄氏の主張を歪曲している。 まず、従軍慰安婦問題で、秦郁彦の名前がまったく出てこない時点でおかしい。 取り扱いから見ても、さも実証学的には吉見氏の主張が全面的に正しいことが立証されているかのごとく書かれている。これは大いに誤りである。 この本を読んだ方は、慰安婦問題については、とりあえず「慰安婦と戦場の性」を読んでから判断していただきたい。 さらに、坂本氏は「歴史は物語なので、史実はわからないという立場(p97)」などではない。 坂本氏は、「まず、歴史研究は、来歴が言及する個々の事実の実証性を確証することで、その「真実性」を高める(「象徴天皇制度と日本の来歴」p29)」といっており、個別の歴史研究は物語としての歴史を支えるという立場である。つまり、歴史研究によって事実はわかるとしている。 坂本氏の主張は、無数の歴史事実を歴史に組み込むときには、必ず主観が介入するということである。例えば、日本史において「トイレの歴史」が出てこないのは、それが日本史において重要でないという主観的な判断が働いたためである。 その主観的部分を「国家に対する重要性」としたのが主張の根幹であり、それを「史実がわからない」などというのは歪曲以外の何物でもない。 そもそも、坂本氏が言う「慰安婦は他国に比べてとりわけ悲惨だったわけではない」というまっとうな主張を「古い」の一言で切って捨てる筆者の姿勢の方がよほど問題だろう。
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歴史の真摯さ
histo ical t uthfulnessという問題提起はそれこそ真摯に受け止めたい。 ただし、ある歴史が真摯でないと言えてしまう立場はどこに求めるものなのか、今ひとつテッサの思考が一貫しているとは思えないのが不満。
“歴史への真摯さ”を問う
歴史とは物語である。しかし、それは誰が誰に向けてどのように語るものであり、さらには、ある出来事とその記憶が歴史化されてゆく過程において、人々はそれをどのように共有し受け継いでいくのか。 p 著者は、こうしたプロセスにおける歴史の力学を重視し、その連累に「“歴史への真摯さ(histo ical t uefulness)”が、すなわち、過去の出来事と人びととのあいだに開かれた、発展的な関係が必要」だと主張する。本書では豊富な事例をもとに、小説、写真、映画、漫画、インターネット上のウェブサイトやCD-ROM、博物館等といった広義のメディアを通じて流通/媒介し再生産される歴史の語り(ナラティヴ)に焦点を当てながら、人々の経験が構造化され「歴史化」する過程を読み解いている。 p ここには、ナチス・ドイツのユダヤ人絶滅政策と絶滅収容所のガス室の有無を巡って繰り広げられた歴史修正主義論争や、その粗雑な再生産とも言うべき日本での「歴史教科書」論争でも見られたような、証明困難な歴史的事実の真偽を掛金に単一のナラティヴの正統性を争う不毛さに対する、極めて批評的な態度が貫かれている。 過去の出来事についての唯一完璧な「正しさ」や「真実」を語ることの不可能を限界として認めながらも、未来へと向けてそうした出来事への交渉可能性をつねに開き、継続的な対話を通じて私たちの現在と過去との関係を問い続けることこそがここでは問われているためだ(したがって、同時にそれは無責任な単なる相対主義ではあり得ない)。 p 本書は、過去の出来事と現在の私たちとの関係を見直し、人一人がそれぞれ主体的に新たな歴史へと参加する手懸かりを考えるための一助として非常に有益な一冊と言えるだろう。 また、メディア・スタディーズに関心のある興味のある読者にも、マリタ・スターケンの『アメリカという記憶』(邦訳:未來社、2004年刊)とともに薦めたい。
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福井 憲彦(著)
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【くちコミ情報】
よくまとまっていて便利
放送大学での講義をもとに、 歴史学を学ぶ学部学生用に書かれた本。 どこかで聞いたことがあるような話が並ぶが、 活字になって改めて読むと、響く記述が連なる。 まとまっていて、使いやすいので、 ぜひ手元においておきたいような本。
歴史学初級
学校で行われる「歴史学基礎」ないし「歴史学概論」を一冊にまとめたものです。 本書は初学者向けに書かれており、歴史という学問に関わる予定の 若い方々は触れておくといいでしょう。 また参考文献を頼りに自分の関心のある書を手にしてみるのもいいでしょう。 初学者にはもってこいの本だと思います。
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