2008年07月06日(日) 政治の第1位は
『官僚国家の崩壊』!
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【くちコミ情報】
ステルス複合体とはよくぞ言ってくれた!
中川秀直先生が看破された「ステルス複合体」。本当にその通りなんですよね。現状からの変革を拒む弱い心が官僚に宿った瞬間に、日本政府の堕落が始まっています。中川秀直先生の慧眼に感服します。 本書に付け加えることがあるとすれば、現状からの変革を拒む弱い心は、官僚だけに巣食っているわけではなりません。買収防衛策に汲々とする企業経営者、社会保障改革に抵抗する医師会、などなど。日本の再生は、社会を構成する一人一人の心の問題であることがよくわかります。
マスコミの大罪
この本を読んで、日本のマスコミの官僚寄りの姿勢に慄然としない人はいないのではないか。日本のマスコミが作る中川氏の人物像があまりにもかけ離れていることに驚いた。この本を書いた中川氏は、実直で愛国者である。 日本人は政治家を叩くことに対して無頓着すぎるといわれていますが、我々はそろそろ目を覚ますべきと思う。 1つだけこの本に対して言いたいのは、将来の日本の成長産業は限定しない方がいいことです。環境、IT,コンテンツもいいですが、まだまだ日本が牽引できる産業があるかもしれない。そのためにも、中川氏には是非、産業人が自由に活動できる環境を整えて頂きたいと思います。
正しいこと
私は40代なのですが、20・30代は一度も選挙には行かず政治や経済には 何も興味がなかった。日本が日本人はなどどいうことも一切考えもせず 政治家のスキャンダルに騒いでいるワイドショーを横目でみて愚痴る 俺たちに何ができる・・・あきらめのような そんな私でも今の日本の状況は、もしかしたら変わるかもしれないと 民主党の云う民意が日本の政治に影響する時代の一歩になるのかなと 小泉政権の「ぶち壊す」がどんなものであるかが少しずつ形になろうとしている 悪いことは誰もが判っているのに正すことのできないもどかしさ 高橋洋一なども同様に官の腐敗ぶりを説いているが・・・悪いことなんだよね。 国民の声が届かない官僚という人種にどうすべきか考えさせられる。 ぜひ皆さんにも読んでもらいたい。 ただ、わたしがこの本を開いて呼んでいると、ほとんどの女性や若い男性は 「難しそうな本」「頭がいたくなりそう」といった感想が聞かれた お堅い本にしか見えないのかな・・・マンガ官僚国家の崩壊でも出しますか? でも本当も選挙権を持った全ての人に読んでもらいたいそう思います。
官僚政治は本当に悪なのか?
くどいほど「ステルス複合体」という言葉を使用して官僚政治の終焉を告げ,党人による新時代に向けた様々な政策を提唱している。特に「上げ潮」路線と言われる経済政策には強い自信と理想を抱いてるようであり,与謝野氏の「堂々たる政治」と比較して読むと興味深い。 しかし,読後感としては,高邁な理想ばかり追い求めていて,官僚が悪者あるいは時代錯誤の権化のように批判してばかりいるのは気になるところである。官僚は官僚で,行政の立場から国を憂い,国を動かしているのであり,いくら政治主導といっても結局は官僚を上手に使わないと現実的な政策は実行できないのではないか。そんな一抹の危惧を抱いてしまった。
わが自民党がつくりだした官僚国家の崩壊
この本を読んでみました。 著者は、自民党森派の人物で小泉の流れを自認しているよう。 お書きになっていることは、納得がいくことが多かったです。 政治主導で決断を要する時代になってきているとか、そのためには、大臣を毎年変えるような人事は改めないといけないとか。 ちょっと前に元財務相の高橋洋一氏が「さらば財務省!」という本を書かれていて、本書の内容はそれに通じるところも多かったです。 しかし、私、どうしても違和感を禁じ得なかったことがあります。 「官僚国家の崩壊」というこのタイトルです。 まるで、自分とは無関係の誰かが、それをつくって、自分はそれと戦うヒーローを気取っているようだと感じました。 「官僚国家」は、一体誰がつくってきたのかと言えば、自民党政権そのものではないですか。 その自民党の幹事長まで務めた人物が、まるで他人事のように「官僚国家」などと言い放つ姿勢に対しては、激しい違和感、嫌悪感を感じざるを得ないです。 確かに、本書の中には、森派に官僚出身議員は少ないとか、自民党にも反省すべき点はあるとか、言い訳のような、反省のような記述もあります。 でも、官僚に口がないのを良いことに、「官僚=悪役、自民党=正義の味方」みたいなことを言われるのは、絶対おかしいと思うのです。 本書のタイトルに少し修飾語を付けていただくと納得できると思いました。 「わが自民党がつくりだした官僚国家の崩壊」と。
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【くちコミ情報】
由らしむべし、道連れにすべし
小泉首相が強行した「構造改革」にはアカデミズムから転進した竹中平蔵が欠かせなかった。その竹中氏は小泉辞任にともなって政界を退いた。黒子としてではあったが本書の著者はその後に残って安倍内閣の改革で辣腕をふるった。表紙のカバーには「財務省などが隠す国民の富『埋蔵金』を暴露し一躍脚光を浴びる」と書いてある。『さらば財務省―官僚すべてを敵にした男の告白』という題名やこのようなキャッチフレーズで本書がキワモノであるかのような印象を与えるのは著者の本意ではないだろう。たしかにこれらの表現は本書の一面を言い当ててはいる。しかし真面目な読者は本書に盛り込まれた個別的、具体的な政策論をさらに深く理解したいと思うだろう。 他方では、著者の言い分を一方的だと難ずる人も少なくないだろう。とりわけ官僚(著者の命名する「過去官僚」も含めて)や彼らの意を体する閣僚たちの反発が凄まじいものであることは本書からも伝わってくる。日本の社会は彼らを代表とする多数派の支援、許容、あるいは不作為によって生き延びている。それが可能であるならば、ただ感情に走るだけでない、本書同様に筋の通った(望むらくは官僚による)反論を読みたいところである。 「日本はもっとも成功した社会主義国だ」と言われたことがあった。社会主義国のほとんどが破綻を露呈した今になってみると、このような言い方はただの冗談ではなかったと思われてくる。そう思って読むと著者の鉾先は、統制経済で市場を管理することによって領土を拡大した「霞ヶ関帝国(むしろ、霞ヶ関連邦?)」に向かっていることに気づく。この「財政原理主義」を奉ずる権力の基盤は自由化の進展によって脅かされつつある。そしてそれがそもそも何のための帝国であるかも解き明かされる。彼らにとって「市場原理を前面に出す竹中さんは生理的に受け入れられない相手だったのだろう」。著者の立場はもちろんこの竹中流である。小泉、安倍両内閣に顕著であったこととして、その国際感覚や歴史意識を記憶する人も少なくない。しかし本書にそれに触れるところがない点も竹中流である。
内容は別として自慢が鼻につく
なかなか売れているという噂を聞き、読んでみた。前半は高橋洋一さんの役人時代の成果について自慢っぽく書いてあり、何だか鼻持ちならない。役人本というよりは政治家本に近い印象。が、後半は公務員制度改革に対する想いなどまともである。買って読むほどのことはなかったか。
ばさら財務官
こんな小物に日本が振り回されてしまった、 それが小泉構造改革である、ということが了解できる本である。 筆者は東大卒の財務省官僚だったそうである。 しかし、東大卒や財務省官僚であるということは、 即、人間としての優秀性や、 政治家としての卓越性、 学者としての独自性の資質を立証するものではない。 筆者は、ただの「会計屋」に過ぎない。 たとえば、冒頭の部分である。 筆者は「大きな政府」や「中央集権の官僚機構」を「社会主義」と非難している。 その上で、 社会主義は失敗したのであるから悪である。 したがって「大きな政府」「官僚機構」も悪である、と論理展開している。 おやおや、である。 「大きな政府」はケインズらの政策の所産であり、社会主義とは無縁である。 マルクスが「福祉国家」のような改良主義を容認するはずがないではないか。 水に落ちた社会主義を叩くという時流に悪のりし、 ついでに嫌いなものをその仲間にでっち上げて攻撃するという、 いかにも日本的な卑俗性が発露されている。 また筆者は、政治学の素養も欠くようである。 「安倍前総理から政治任用され、官邸に残った」としている。 安倍に政治任用する資格がある、と思っているのである。 安倍は、小泉が郵政選挙で国民を幻惑させて得た議席を継承したに過ぎない。 国民が「教育基本法」の改正や「国民投票法」の制定、 そして「政治任用」の権限を信託した政権では決してない。 「政治任用」は、国民が任命権者を選択することで正統性を付与される。 権限があるとすれば「自公」という連立の枠組み、ということになる。 選挙の洗礼を受けていない安倍に「政治任用」の権限などもともとないのである。 筆者は、権限は総理大臣という地位に由来すると信じているらしい。 権威主義者なのである。 そういう意味では実に東大卒であり、元財務官僚である。 というわけで、「平成の官僚は決して有能な集団とはいえない」という筆者の主張に、 その点では強く同感してしまうのである。
改革は欺瞞だ
楽しみにして手に取ったのだが、読み終わったあとかなり腹が立たった本。 最初から最後まで小泉・竹中構造改革賞賛のオンパレード。 よくここまで自分に都合の良いことばかり書けるものだなと呆れた。 今の日本においてありとあらゆる分野で改革が必要だと思う。 特に既得権益の下で甘い汁を吸っていた輩に激痛が走るような改革は必須だ。 しかし改革の結果、既得権益は温存され、官の力がより強固なものにあり、 その代りに本来手を差し伸べられるはずの弱者に激痛が走った。 これが改革の成果であり、今や多くの国民が改革の欺瞞に気づき始めているのではないか。 郵政民営化でどうなったか? 振り込み手数料が上がり、多くのATMが撤去された。 時間外窓口は何時行っても長蛇の行列である。 郵便物遅配の話もよく耳にする。 国民生活に密接にかかわる部分のサービスは何も良くなってはいない。 著者は散々官僚を批判している。 公務員は税金で食っているのだから国民(納税者)のために汗を流すべきだが、 その国民に一切見向かないのであれば、著者も同じ官僚の仲間に過ぎないと思った。
全国民必読
官僚とういう動物がどうゆうものなのかわかった。 政治家は官僚に踊らされている。 一人一人は優秀なのに官僚という組織では頭脳が幼稚園生並みになる。 今の日本の状況に危機を感じているなら このような本をもっと読み国民自身が正しい知識を持ち 自分自身の判断軸を作るべきだと感じる。 もっと沢山の人たちに読んでもらえることを願っている。
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| 日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ (中公新書 (1905))
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【くちコミ情報】
日本の統治構造におけるジレンマに根底から疑義を叩きつける渾身の一冊
権力の分散を必然とする三権分立と権力の集中を必然とする議院内閣制の採用をとるわが国日本は、このジレンマを抱えているが故に機能不全に陥りやすい。 野党の審議拒否による与党の強行採決などを見るにつけても自民党の一党独裁体制と揶揄されがちであるが、むしろそうではなく逆であり、権力の分散故に、所轄省庁による法案作成は他省庁や野党への配慮もあって妥協案へと収斂していき抜本的な改革が起きにくい。さらに内閣は省庁を監視、統制する権限が与えられていないが故に官僚の放縦がおきやすい。 このような内閣による省庁統括権の欠如は、戦前からの遺物であり、こうした権力の分散による足並みの揃わない流動性の欠落が軍の暴走を誘発し、無謀な日米戦争の突入の一因を担ったという。こうした機能不全は、現代においても例えばバブル崩壊後の「失われた10年」に見られる財政政策の後手後手による対応の遅さにおいても散見されうる。 さらにこの自民党一党優位性は、選挙が政権選挙ではなくそれ故に国民の意見が反映されにくく政党政治として機能していないという問題点も挙げられる。 そこで本書は、内閣の求心力の強化から権限の範囲を拡張し、本格的な議院内閣制へとシフトすることの必要性を提示する。そのためには一党優位性から二大政党へと確立することで政党政治を機能させることで選挙が政権選挙となり、国民の意見が反映されにくい体質を改善することが必要である。一党優位性を起こしやすい中選挙から二大政党を起こしやすい小選挙への改変や「失われた10年」からの反省による橋本の政界再編改革といった国際潮流に迎合するような日本の統治機構の変遷に逆流せず、本格的な議院内閣制へシフトすることが難題ではあるが急務であると考えさせられる。
政治システムがよくわかる書
日本の政治システムの実態をわかりやすく説明した本。 新書の中ではかなり良書の部類に属すると思われる。 まず、議院内閣制というものについてのありがちな誤解を解くことから始まる。 そして官僚や省庁の政治に影響を及ぼすメカニズム、内閣と与党との関係などが論じられていく。 他国の政治システムとの比較も交えながら、政権交代や野党の位置づけなども説明される。 学校では、建前的な政治システム(憲法に書いてあること)しか習わないが、本書では実際の政治がどう動いているのかがきちんと書かれている。 学校でも用いるべき本ではなかろうか。 さて、本書が出た直後、衆参で第一党が異なる「ねじれ国会」が発生した。 この点を考えながら本書を読んでみると、またなかなか興味深い。 本書でもしばしば触れられるが、日本の参議院は強い。 多少の衆議院の優越があるが、「日本の二院制は両院対等に近いのである」(p214)。 だからこそ、「ねじれ」た場合には政治的混乱が発生する。 制度上は、衆議院こそが政権選択の選挙となるので、当然そこの選択が尊重されるべきだが、参議院で脱線してしまうのだ。 筆者は、参議院を衆議院と異なる性格のものにしていくことを提起している。これは現実的な策だろう。 しかし、今のところは「民主政の原理を積極的に認めるならば、政権の成立基盤を侵さないよう、参議院は自己抑制を心がけるしかない」(p185)のだ。 参議院第一党は、言ってしまえば国政の半分の責任を負っているのだ。 ただただ「ノー」だけ言っていればよかった抵抗勢力とは状況が違う。 国民もまた、参議院第一党が強大な力を有していることを自覚した上で、その力にふさわしい義務と責任を求めていく必要があるだろう。 そうでなければ国政自体が頓挫してしまう。 最後に目次を記しておく。 官僚内閣制 官庁代表制 政府・与党二元体制 政権交代なき政党政治 統治機構の比較――議院内閣制と大統領制 議院内閣制の成立 政党政治の限界と意義
官僚内閣制とは?
本書は日本の政治構造がいわゆる「議員内閣制」ではなく、「官僚内閣制」であることを指摘した好著である。本来の議員内閣制の趣旨から言えば、国民の民意は、有権者(選挙)→議員(首相の選出)→首相(大臣の任命・組閣)→大臣(行政の執行)→官僚(大臣の補佐)という一本の線で国政に反映されるわけであるが、筆者によると日本の現状はそうではないことになる。 そこには自民党政権の長期化、派閥力学による首相選出、党の意向や当選回数による大臣任命、そして官僚の代理人となる大臣、といった要素が議員内閣制本来の制度を歪めている現状が指摘されており、とても興味深い。また内容の割には読みやすく、初学者にも十分理解できる。
日本における政治改革の手引書―新しい切り口で日本の統治構造を概説
かつて、中曽根大勲位が「緋縅の鎧を着けた若武者」の頃、あるいは近年、田中秀征氏が「代謝機能働く国家統治を」(1999年8月9日付「日本経済新聞(経済教室)」)という論考の中で、「首相公選論」を提起したことがあった。本書でも指摘されているように、日本では「議院内閣制は権力を分散させる」とし、それ故「権力強化のためには、大統領制(首相公選制)を採用すべきだ」といった考え方(制度理解)が一部の政治家や言論人等にあったことは否めないだろう。 「首相公選論」については、私はいわば“誤謬の合成”、つまり「一人ひとりの人が、判断力もあり、知的水準も高くとも、彼らの集合的な判断は、とてつもなく愚かな帰結をもたらす」(佐伯啓思『現代民主主義の病理』)という確信にも似た存意を持っている。それはともかく、先進的な民主政においては、実は「(民意が一元的に代表される)議院内閣制のほうが(民意が議会と二元的に代表される)大統領制よりも権力集中的な制度」(本書P.18〔括弧書きは引用者〕)だということを当書は証示する。 このような議院内閣制の本来的な在り方をはじめ、本書では「官僚内閣制」「省庁代表制」「政府・与党二元体制」などのキーワードを用いて、私たちの抱いている様々な日本政治(統治構造)の通念を改め、政治制度に関する新たな視座を提示する。そして、たとえば著者は、真の意味での議院内閣制の確立は「政党政治の活性化があって、はじめて成し遂げられるものである」(本書P.209)とも述べているが、こうしたパースペクティブのもとに「平成の民権運動」を推進していくものと思われる。
現状分析は分かり易く、納得がいく。でも著者の将来展望は、要するに劇場型政治じゃないかと思う。
著者は「日本の統治構造」を省庁の「割拠性」(p38)と「官僚内閣制」(p25)によって特徴づけ、「省庁連邦国家としての日本」(p49)の諸相を分析する。総括的に言えば「多くの政治家は『御用聞き政治家』になり、大きな方向性は打ち出さない。民意集約機能は官僚制が代替してきたが、大規模改革は不可能」(p136)となる。 その背景にある問題意識は、「決定中枢を欠くため指導者が手詰まり状態になり、決断が遅れ、既成事実の積み重ねで選択肢が狭まる中で対米開戦という破滅的決定に至った」(p17)過去と、「1980年代、戦後日本の政治システムがすでにその存在理由を失いながら、逆に全力稼動することによって傷口を広げた」(p177)結果としての現在の危機を重ね合わせ、そこからの脱出路を探ることだ。 著者の示唆する方向は、議院内閣制に本来備わる機能の活用。明確なマニフェストに基づいた衆議院総選挙による政権選択を定着させ、この民主的統制の下で首相という「権力核」を強化するというもの(p177)。そして「小泉改革によって日本の議院内閣制は新段階に入った」(p201)、「躍動感ある政治が展開される基盤整備は着実に進んでいる」(p209)と踏み込む。 他方で著者は、「内外を厳格に区別する硬い組織が時代遅れ」になった現在、「何らかの形でネットワーク型の緩やかな、新しい組織原理による政党の再建」が必要と論じる(p208)。一見もっとも。しかし具体的に考えると、これは小泉型劇場政治の全面肯定ではないか? 私はそこで躊躇する。 ついでながら、著者はあとがきで「政治家・官僚・報道関係者といった日本政治の実際を知る方々との対話なくしてこの本は書けなかった。執筆の過程では、こうした反応を心のなかで思い浮かべて、理屈を立てていくことが多かった」(p238)と述べている。この種の分析(統治者層の文化人類学)が、同級生に「政治家・官僚・報道関係者」の多い東大法出身者の独壇場なのは当然だナ、と改めて感じた次第。
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佐々木 毅(翻訳)
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麦酒の苦味に似た味
中国や日本の古典は 経営者にもよく引用される。 「孫子」「五輪書」「論語」「日暮硯」等 いくらでも例は挙げられる。西洋の古典は 余りビジネス雑誌に出てくる事も無い。その中で 本書は健闘している。 マキャべりというと 元来悪いイメージが付きまとってきたのも日本である。性悪説に基づいた冷徹な「嘘つき」というようなイメージかと思う。僕もご多分に漏れず そんな先入観で一読した。 とんでもない。マキャべりは「人間とはどういう動物か」を語っているに過ぎない。 彼には「人間の善悪」というものは無い。善い悪いは抜きにして ただ 「人間とはそういうものだ」という彼なりの冷静な分析を披露しているに過ぎない。その意味では科学者が実験の結果を報告しているだけと同じだ。但し そこに分析されている人間の姿が 我々にとって 時には辛辣であることが 科学者マキャべり自身の評判を悪くしている。マキャベリにしたら迷惑な話だ。 「いかなる手段も 結果さえよければ必ず正当化される」 「人は恐れている人より 愛情をかけてくれる人を容赦なく傷つける」 こんな言葉は否定出来ない。吉田兼好が読んだら大声で笑って 徒然草に引用したに違い無い。 「辛いのは中傷でなく真実である」とは 誰の言葉だったか忘れた。 マキャべりへの毀誉褒貶の原因は 彼の本に含まれている 苦い真実である。「苦味」が美味しいのは麦酒だけではない。
政治学・帝王学のために必読。
マキャベリの世界的名著ですが、その内容が実にわかりやすい上に、大きな文字で書かれているために、かなり頭にすっきり入ってきました。 政治学・帝王学を学ぶ人なら必読でしょうし、多くの部下を用いて一つのプロジェクトをすすませないといけない人なんかにも、学ぶところがある作品だと思います。。 文句なしで星五つ。
君主論
目的のためには手段を選ばない、目的は手段を正当化するといった意味の「マキャヴェリズム」、権謀術数に長けた人を指す「マキャヴェリスト」の語源となった、著者ニッコロ・マキャヴェリ(本書ではマキアヴェッリ)が、当時、彼が住んでいたフィレンツェの統治者に献呈した、上に立つ者の在り方、国の保ち方、民の治め方などを書いた、政治学の古典として名高い名著。 「マキャヴェリスト」という言葉のせいか、著者にはあまり良いイメージを抱いていなかったのですが、本書を読んでそれが少し変わってきました。民を治める者は時と場合によっては悪人になるべきとか、新しい領土を得てそこを長く保つためには、前統治者の血縁を皆殺しにすればよいなど、確かに厳しいことも書いてあります。が、これらは過去の例をいくつも挙げていることからもわかるように、マキアヴェッリが初めて提唱したものではなく、大昔から何度も何度も繰り返し行われてきたことをマキアヴェッリがまとめたに過ぎないものです。美辞麗句を並べるよりも、たとえ冷酷と思われようとやらなければならないことはやるべきだという徹底した現実主義者マキアヴェッリの姿が見えてくるような気がします。 あまり良くない意味でマキャヴェリストという言葉が使われだしたのは、おそらく本書に書かれているモーゼのことが気に入らなかった教会のせいではないでしょうか?(マキアヴェッリの著作は本書しか読んでいないので憶測です。他の著書にその原因があるのかもしれません) 本書、講談社学術文庫版は、本文に入る前に前書きとして、『君主論』が書かれた当時のイタリアの政治情勢やフィレンツェの状況が簡単に説明されているので、マキアヴェッリが、なぜ、誰に対して、どのような思いで書き上げたのか、『君主論』を読み理解するのに多いに役立ちます。欲を言えば、もっともっと詳しい説明解説をつけてほしかったです。
現代でも十分に生きる政治観
他の勢力と結託して保護されている団体は、危うい。もし団体を守りたいなら、団体それ自体に由来する力を増強するしかない。 雇われて味方をしてくれている“傭兵隊”は、都合が悪くなれば雲散霧消するか、裏切って敵対勢力にさえなりかねない。 団体の持つ潜在的影響力が強大であればあるほど、他の勢力はその力を恐れ、弱体化させようと企むことはあるにせよ、一時的に味方をしたからといって“恩”を感じることなどない。 「自らが自らとして強くなれ」。マキアヴェッリは他人に頼ろうとする甘さ、他人に恩を売っていると勘違いする愚かさ、自らの力を不用意に誇示する危険性を鋭く指摘している。
分かりやすい
難解と言われている君主論がスッと頭の中に入ってきました。佐々木先生の翻訳が良いのでしょうか。字も大きいですので、お勧めの版です。
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| 小倉昌男 経営学
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「儲からない」といわれた個人宅配の市場を切り開き、「宅急便」によって人々の生活の常識を変えた男、小倉昌男。本書は、ヤマト運輸の元社長である小倉が書き下ろした、経営のケーススタディーである。 全体を通して読み取れるのは、「学習する経営者」小倉の謙虚さと、そこからは想像もできないほど強い決断力である。成功した人物にありがちな自慢話ではない。何から発想のヒントを得たか、誰からもらったアイデアか、などがこと細かに記されている。講演会やセミナー、書籍、マンハッタンで見た光景、海外の業者に聞いた話、クロネコマークの由来…。豊富なエピソードから伝わってくるのは、まさに学習し続ける男の偉大さである。 一方で、並々ならぬ決断力を持っていたのだと思わせる記述がいくつかある。宅急便に注力するため、大口の取引先であった松下電器との長期にわたる取引関係を終結させたこと、三越岡田社長のやり方に反発し、「とてもパートナーとして一緒に仕事をしていくことはできなかった」として取引関係を解消したこと、運輸省を相手に訴訟を起こしたこと…。いずれも確固たる論理がその根底にあった。それにしても見事な決断力と言わざるを得ない。 終わりの部分で紹介されている宅急便の各種サービス内容や、有名なNEKOシステムなどの話は、流通・物流の関係者以外には興味がわかないかもしれないが、全体的に読みやすく、興味深いエピソードが満載なので、読んでいて飽きることがない。経営者としての小倉の人となりが伝わる、好感の持てる1冊である。(土井英司)
【くちコミ情報】
人生の壁にぶつかった時に読みたい本。
まさにビジネスマンのバイブルではなかろうか? 今では、当たり前になってしまった宅急便も、当時は商品化するにあたって相当の苦労があったことが読み取れる。役員全員の反対、冷たい周囲の目。リスクが多すぎるとの声。最重要取引先との決別をする時の決断。運輸省との闘い。。。 それらの困難を打ち破っていくところなど、勇気をもらうことができる。 新しい市場を開拓したブルーオーシャン! 小倉昌男氏の言う、サービスが先で利益が後という徹底した顧客主義! わかってはいても、なかなか実行できないのではないだろうか? それを、やってのける行動力。 どの名経営者にもいえることだが、共通してでてくるキーワードは仮説をたて行動する。 そして検証する。といったもの。 時代が変わっても、それは同じ。 サービスの差別化、口コミの効力、ゆるぎない理念。社員に責任をもたせてモチベーションをあげる。 一度は読むべき良書です! 最後にこの本で感銘をうけた言葉 できるできないを考える前にすべきかどうかを考えることが重要だ。
顧客サービスとは何か
会社の経営者が本を書くと本業が傾く、というジンクスがある。 だから小倉氏は会社の経営から引退するまで本を書かなかった。 このエピソードだけで、小倉氏のことがなんとなくわかる。 クロネコヤマトの宅急便の創始者が書いた、半ば自伝。 半ば経営の書。 宅急便が軌道に乗り始めていたとはいえ、当時の岡田社長の倫理観に異議を唱え、ヤマト運輸の収入源だった三越の運送委託を打ち切ってしまう。 まさに英断。 三越はコスト削減で業績回復するも、その後の岡田社長のことは言うまでもない。 運輸省との喧嘩、郵政省との喧嘩いずれにも勝利する。 サービス第一、利益は第二のモットーの元に経営されてきた結果、天命によって発展した仕事が宅急便だと感じた。 クロネコ。 なぜヤマトのシンボルは黒猫なのか。 もともとは昭和30年当時提携していたアメリカのアラド・ヴァン・ラインズ社の三毛猫がヒント。 「母親が子猫を運ぶように荷物をやさしく運びます」というメッセージである。
現代の経営に欠けているものがここにある
正直な話、本書を読むまで小倉昌男という人間を全く知りませんでした。読むきっかけもレポートを書かなくてはいけなかったからです。でも本書を読み、目から鱗が落ちる心地です。今でこそ当たり前となっている宅急便や翌日配送。そこに至るまでの作者の軌跡が記されています。一見作者のとった戦略は無謀にも思えるが斬新な工夫と確かな裏付けによる判断は素晴らしいの一言ですし、何よりも利用者の事を第一に考えた経営手法はまさに経営者の鏡といっても過言ではないでしょう。昨今、消費者の事を全く無視したような利益第一の偽装など信じられないような事が相次いでいます。確かにキレイゴトでは飯は食えなく、作者も成功したからこそ言える言葉とは思います。ですが作者の残した「サービスが先、利益は後」という言葉はまさに現代の経営者に必要な事ではないかと思います。
一生参考になる経営書
大和運輸の設立から、今に至るまでの経緯がつづられている本。 過去の短距離成功で長距離輸送に乗り遅れ、会社が傾いてゆく様、そこに宅急便で活路を見出す様はとても勉強になりました。表面的に物事を考え、可否を判断するの事と、何故、自分の頭で考えないで他人の真似だけをするのが不味いのかを教わったような気がします。 ルールは変わり続けますが、「これから」に適応する事を忘れた公私は衰退するというのは変わらないだろうなと。どっかのダーウィンの話が耳に沁みます。
ヤマトとライバル会社の違いは何か?
ヤマトとライバル会社S社と比較したときに、イメージが良いのはどちらかと問われれば、 ヤマトと答える人は圧倒的に多いのではないだろうか。 それはなぜなのか? 本書には、その答えが書かれている。 「サービスが先、利益は後」 という言葉に表されているとおり、著者が徹底的にこだわったサービスにこだわった。 そのために経営戦略、事業戦略、人事戦略、広告戦略にそれを徹底的に反映し、結果出来 上がったのが圧倒的な競争優位性を誇っている現在のヤマト運輸ではないだろう。 経営とは何のなのかという本質をわかりやすく具体的な言葉で示してくれており、 また、わかりやすい言葉で伝える力がある人だからこそこれだけの実績を出せたのではない だろうか。
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【くちコミ情報】
洞察力のすごさ
藤原正彦さんは、おそらく自分の思考というものを一段高いところから、 思考出来る人なのだと思う。 だから、論理を超越したものの存在の重要性を説くことができるのだと思う。 論理で生きてきた人ほど、論理的でないことはすぐに否定してしまいそうなものだけどそうな っていない。 考えるベースに絶対的に正しいものというのを、おそらく決めていないのだと思う。 肯定も否定もしないフラットな状態で物事を見ているのだと思う。 だから、論理でさえ、ときに万能でないという考えが出てくる。 そして、あらゆる可能性をつぶした所から生まれてくる考えなので本質を突いていて説得力 がある。 藤原さんは一般的でない意見を断定するわりに、ものすごい論理を積み上げるわけではない。 自然と何をいいたいのかすぐにわかるのだ。 おそらく、日頃我々が感じている矛盾をするどく言い当てているからだろう。 損得を考えずに少数派でも正しいと思うように行動する人間をすばらしいと肯定 しているところが特に共感できる。 どちらかが一方的に勝とうとしていると、必ず人口の何割かはバランスを取るために行動する ものだ。 そこに理屈は特にない。 強い者を応援するとバランスが取れなくなると無意識に感じているからだ。 敗者がわざと負けてくれたから勝者になれたのかもしれないのだ。 そういったことまで、藤原さんは見抜いている。
国家単位で物事を考えるのはなぜ?
「日本人は」とか「アメリカ人は」とか、確かに何かしら傾向はあるのだろうが、その枠組みで切り取って是非を論じることに必然性を感じられない。論理が飛躍している。 仰っていることの中にはいいこともある。もののあわれ、惻隠の情、弱いものいじめをしない(ただし、著者はあくまでも強者の視点で書いているが)などなどは今更感はありながらも忘れてはいけないことであろう。 「野卑」な欧米諸国を日本と対置させて、私を含めて多くの日本人が持つ劣等感をくすぐるような戦略をとらずに、海外でも読まれるような普遍性を持ち得なかったのだろうか?インドのクンバコナムの例のように、全編をグローバリズムへの批判と世界各地に存在するオルタナティブな伝統や文化で構成することもできたはず。グローバリズムを批判する本は多いが、ここまで国単位で決め付けている本は稀であり、乱暴さを感じる。
無作為な一般化
日本人という民族の特性を惻隠の情や感性の敏感さに見出し、日本を訪れた外国人の感想を踏まえながら論述しているが、全く説得力がない。 一個人の感想を右的色眼鏡で捉え、一般化し、躊躇なくそれを日本民族の特性と称している。そもそも江戸時代に10%しかいなかった武士の思考、すなわち「武士道」と言われる物が、日本人全ての固有の特性と主張できるのか。この本がベストセラーになったことに、日本人の盲目的な右傾化を危惧する。
国家とは
民主主義国家とは個人が万能であることが条件であると思います。 また、美しい国するためにはごみ処理の問題を真剣に考えることだと思います。
独自の文化を大切にしたい
民主主義の前提は「成熟した国民が存在すること」である。しかし、今も昔も成熟した国民など存在した試しがない。国民は基本的に無知であり、無責任である。本来、国の政策を決めるには正確な情報と的確な分析力が必要であるが、一般人全てがそれらを持つのはどだい無理な話である。普通の人はメディアの情報が全てであり、結果として民主主義で一番力を持つのはメディアということになってしまう。 資本主義も同様である。資本主義の前提は「公平性」である。スタートラインは皆同じで、最後に勝った者が全てを持っていく。しかし、そこでは強者が弱者を打ち負かす事も反則とはならないのである。一方、日本の「武士道精神」はそれを明確に否定する。強者は弱者に対して慈愛の心を持たなければならないのであって、本気で戦って良いのはお互いに同じ能力を持つ者同士だけである。 日本という国は、世界史の上では古来より異常な国であった。「文明の衝突」で有名なハンチントンも、日本文化は独特として他の文化とは区別して扱っている程である。我々は普通の国=アメリカみたいな国ではなく、異常な国を目指すべきではないだろうか?独自の文化を持ち、独自の価値観を築く。情緒や憶測により人と人がわかり合える文化。世界のどこにも存在しない、日本独自の文化。それを目指してこそ、日本は世界をリードしていけるのではないかと思っている。
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【くちコミ情報】
こんなリーダーだったら!
私事で恐縮ですが、今、理想の君主像を追求したというドラマを見ています。 映像も美しく音楽もよく、役者もいい人が沢山でてきます。 でも肝心の理想の君主様が、なんだか現実から目を背けて、 悪い意味での平和主義にむけて疾走中。 そのせいで、死ななくてよい人が、ばたばた死んでゆきます。 ああ、もったいない。 そこで、本棚から、大分以前に買ったこの本を引っ張り出してみました。 おかげで、やりきれなさがすっかり解消。 自分がマキアヴェッリの追求する君主像に近づくことが無理でも、 そんなリーダーの下でなら、自分のやれることをやろう、 と思えるような気がします。
「注」がないのがE!
「君主論」「政略論」を中心とするマキアヴェッリの著作・随筆・お手紙等々の中から著者が独断と偏見で選びに選び抜いた「抜粋」本。古典の和訳につきものの、著訳者の薀蓄と含蓄を寄せ集めた「注」がないのが絶対的にいい。だから、だから、すらすらと読める、読める、読める。 読者が気に入った言葉がどれかを著者に知らせて欲しいといっているのも、この人らしさが出ていてなかなかいい。文庫本になっても、これを続けているのもいい、いい、絶対にいい。
西洋の孫子
まずマキアヴェッリの考えを知りたければ本書を読むのが一番手っ取り早い。 なぜか。それは本書が君主論のみならず政略論やフィレンツェ史その他知人 に宛てた手紙などから広く抜粋されているからである。 また孫子の兵法を読んだことがある人ならばマキアヴェッリが孫子とほぼ同様の 考え方を持っていたことが分かるはずである。事実この本で書かれているいくつ ものことが孫子の兵法にも書かれているのである。 たとえば、『中くらいの勝利で満足する者は、常に勝者であり続けるだろう。 反対に圧勝することしか考えない者はしばしば落とし穴にはまってしまうことに なる』などはまさに孫子のいうところの「百戦百勝は善の善にあらず」や孫子の 戦略を基にした武田信玄の「凡そ軍勝は五分をもって上となし、七分をもって中 となし、十分をもって下となす」ということばとその意味は共通している。また 民衆に関しては「群集心理」の著者ギュスターヴ・ル・ボンと驚くほど似ている。 その他にも友人に関して(意外にも対極の)論語とその意味は同様のことを言ってい る箇所もあるのである。 ところで、なぜこの二人が共通した認識をもっていたのか? それは二人とも冷徹な現実主義者であったらだと思う。やはり時代が変わろうとも人 間の性質というものは冷静に見ればさほど変わらないということであろうか。 とにかく、マキアヴェッリの本どれがよいかと問われたら本書を一番に |